介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2020年12月

東の渋沢栄一、西の五代友厚


先程、また、近場の旅行に行き、帰ってきました。

今回行ったのは、同じ埼玉県内の深谷市。

来年、大河ドラマの舞台となる場所、でもあります。

ぶっちゃけ、渋沢栄一の生誕の場所。

埼玉県が生んだ3偉人は、意外と知らない人が多いのですよ。

渋沢栄一、塙保己一、荻野吟子。

荻野吟子なんて、マジ、大河ドラマとか朝ドラの主役になれるほどの人物。

ヘレンケラーが尊敬するのは、塙保己一。

で、渋沢栄一については、来年の、大河ドラマで見てもらうとして、西には五代友厚がいて、東には渋沢栄一がいたと、こうなっております。


今年、天国に帰られた三浦春馬さんが、まさにその五代友厚を演じていますね。


まあ、五代も凄いが、渋沢も凄い、と。

僕もまだ61歳。

老け込んでいる場合ではありません。



フリーターのまま時が過ぎて「貧困女子」に


大学を出ても、すんなりと、良いところに就職できる人ばかりではありません。

ましてや、卒業時に、多額の奨学金でも背負っていたら、その後の人生が大変になるのは目に見えています。

高度経済成長期のように社会そのものに勢いがあれば、そうした個人のマイナス要因も吸収してなお還元する力があったのですが、今は、時代が違います。

今日、ネットで知ったケースは、かなり厳しい状況。

僕だったら、何がアドバイスできるだろうと、考え込みました。
 
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▼相談者

田中のぞみさん(仮名)
女性/パート社員/31歳
実家(持ち家マンション)

▼家族構成

母親(60代/契約社員)、姉(36歳/家事手伝い)

▼相談内容

大学を出てフリーターのまま時が過ぎました。いわゆる「貧困女子」です。正社員になることはほぼあきらめています。

今のパート先は、給与は低いですが、職場環境は気に入っています。幸い実家のため家賃や光熱費はかかりません。月1万円入れているだけです。結婚の可能性も低く、このまま独身でやっていけるでしょうか……。

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(1)雑費について
たまに洋服などを買うが、その半分は家族へのプレゼント。たとえば、母と姉の誕生日に各2万円、母の日に5000~1万円、クリスマスに母と姉と叔父に3000円ずつ、お年玉は母と姉に各8000円、叔父に1万3000円ぐらいのおせちを送った。

(2)家族について
母親は体力的にきつくもうそろそろ仕事を辞めたがっているが、家計が苦しく続けている。姉は独身で、障害者のため年金で暮らしている。父親は5年前に他界。


うーん、 これは、僕がこの人の立場だったらと考えると、かなり厳しいものがありますね。

この人は、お金を貯めようにも、貯める条件が整っていません。

60代の母親も、体力的にきついので仕事をやめたがっているとのことですが、この母親もつらいですよね。

で、障害を持つお姉さんがいて、将来このお姉さんの存在も、相談者にとっては大きな不安材料だと思います。

もっと収入の良い職場に転職するように、などと、安易なことを言うのも酷というものです。

今でも、精いっぱい生きているのでしょうからね。

ただ、救いだなと思ったのは、この人は、持ち家で、なおかつ、奨学金などの借金がないこと。

この辺りが、プラス材料でしょうか。

僕に何がアドバイスできるかと考えると、お金のかからない読書、それも、本は買わずに図書館から借りて読んで、学校の勉強とは違う、人間の洞察を深める読書を勧めるくらいかなあ。

自由に使えるお金は少なくても、心までしぼんでしまわないような生き方を、勧めるような気がします。



65歳までフルタイムで働くのはきついけど


ネットサーフィンの面白いところは、どこに行くかわからないところ。 

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徒然なるままに流れていると、ときどき、非常に示唆に富んだ記事に出会ったりします。

以下は、その一例。


哲学者・アリストテレスは、「賃金が支払われる仕事はすべて、精神を奪い、弱める」という言葉を残している。

日本でも、縄文時代の労働時間は、なんと1日に3~4時間にすぎなかったとされている。また江戸時代には、定職につかず、食べ物がなくなると町にやってきて、日雇いの仕事を必要な分だけするというフリーターのはしりのような人が多くいたし、たとえば大工といった技術職も懐具合によって仕事をしたりしなかったり、あるいは夏の暑い間は長めに仕事を休んだりと、かなりいい加減な仕事ぶりだったそうだ。

その後明治時代に入ると政府が富国強兵策を打ち出し、多くの労働力を必要とするようになったため、今のような厳格な労働形態がとられるようになる。

今日まで続くこのフルタイム労働は、たった150年程度の歴史しかなく、しかもそもそもの始まりは「お上の都合」だったというわけだ。

現代社会において長時間働くことは、時としてまるで美徳や武勇伝のように扱われる。酒場を覗けば、仕事の多忙さを競ったり、自慢したりするかのような会話のなんと多いことか!

古代ギリシャや縄文の時代に自らの労働量を誇ったりしたら、きっと狂人扱いをされたことだろうし、その感覚のほうが僕にはまっとうに思える。


うーん、激しく同意しますね。

とにかく、現役世代の労働時間は長すぎるし、過酷。

それは、僕も、経験しているからよくわかります。

仕事のことが、休日でも頭から離れないようになったら、赤信号。



街だけでなく、人生も泣いていますよ。

ただ、今の僕は、週3日の5時間勤務。

まあ、この辺りが、体力の落ちてきた61歳の僕には、最適解かなあ。





急坂にある墓参りがだんだんきつくなる


昨日は、僕の両親と弟、そして義母が眠る墓参りに行ってきました。

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ただ、行くたびに思うのは、この坂、年々きつくなるな、です。

実は、いずれは墓じまいも考えているのですが、まだ、その時期ではないと思っています。

ただ、後継者もいない以上、無縁墓となるのは必定。 

であれば、僕が動けるうちに、何とかしたほうがいいのかな、とも、思っています。

ただ、それをするにも、先立つものが要りますからねえ。

その意味でも、アルバイトを再開したのは良かったのかな、と。

 

急坂にある墓の坂道を上るたびに、墓じまいのことを、考える僕なのでスタ。



県の最低時給で働きながら


11月から始めたアルバイトも、一か月が経ちました。
 
埼玉県の最低時給は、確か928円。

それに2円足した930円が、僕のアルバイト先の時給。

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昨日は、外にいる時間が2時間ほどあったのですが、今までで一番寒く感じました。

週に3日の勤務なので、働く頻度としてはちょうど良いですね。

このアルバイトを始めるまでは、月6万円ほどの支出を、わずかな貯金を切り崩しながらの生活。

それに、住宅ローンの支払いも別にあり、まあ、ギリギリの生活ではありました。

それでも、旅行に行ったりできたのは、旅行は、年10万円ほどの予算を別枠で設けていて、その範囲内で済むことが大半です。

それは僕が、自分でいうのもなんですが、旅行上手なことと、近場にしか行かないからでしょうかねえ。

沖縄や北海道に行っていたころも、年10万円以内でおさまっていましたからね。

つまり、ざっくり言うと、月6万円の生活費掛ける12か月、プラス旅行代10万円が、僕の支出。

これに、税金関係が加わったり、場合によっては、家電の買い替え費用なども発生します。

まあ、それでも、100万円でおつりが来ます。


で、そうそう、アルバイトの話。

県の最低時給とは言え、たかが930円ではありません、されど930円です。

この930円の時給が積み重なって一か月ともなれば、だいたいですが6万円前後にはなる計算。

まだ、丸まる一か月分の給料をもらっていないので、あくまでも計算ですが、時給は変わらないので、計算しやすいのですよ。

で、その6万円は、まさに僕の生活費、そのもの。

これは実にありがたい、と、こうなっております。



次の日、仕事さぼって寝てた、と歌う清志郎の気持ちが、わかりますねえ。

で、契約書には時給はこのまま上がりません、とか書いてありましたが、少しでも上げてもらえれば、ありがたいのですがねえ。



平均を求めると不幸になる


日本人は、何かと平均値を知りたがる国民性のように思います。

この時期だと、ボーナスの平均額、とか。

もう、ボーナスなど貰わなくなって久しいので、そうした話題に食いつくこともないのですが、現役会社員のことは、僕も、自分の賞与額を、平均と比較して少ないなあ、とは思いました。

ただ、僕は、自分の仕事能力とその内容からしたら、まあ、こんなものだろう、とも、思っていました。

年金なども、平均額が話題になりますが、僕も時々、年金の話もしますが、平均値を出したうえで、自分の年金額を公表しています。

ざっくり言って、確か、男性の年金の平均額が16万円台で、女性のそれが10万円台だったように記憶しています。

で、そうした平均額を見て、自分のそれは多いとか少ない、とか、思うのでしょうかねえ。

僕の年金は、満額でも、9万円台なので、女性の平均よりも1万円ほど少ないわけですが、転職の多かった自分が、良くこれだけもらえるものだと、感心すらしています。

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平均を求めると不幸になる気がするのは、その平均とやらに、気持ちを振り回されるからです。

平均、とか、常識、ですね。

それなりの年齢になったら、結婚しないのはおかしい、とか、女は子供を産んでこそ幸せだ、みたいな。

まあ、昔に比べれば、そうしたことは言われなくなっていますが、今でも、多少は、そうした常識という名の押し付けを言ってくる輩はいるでしょうね。

平均、にしろ、常識、にしろ、それにとらわれて自分の不幸感覚が強くなるのなら、それは、自分の人生を生き切っていない証拠。 



自分の人生を、しっかり生きていれば、平均も常識もどこ吹く風、ですよ。



未完成な世界に生きる悲しみ


この世を生きることは苦しみも多く、また、悲しみも多いです。

だからこそ人は、ときどきでも、旅をしたくなるのかもしれません。


今回もまた、近場の旅。

武蔵一宮氷川神社に、行ってきました。

長い参道を歩くだけでも、レジャー。

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さいたま新都心駅で降りて、歩けば、その長い参道を歩けます。

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僕は、3月生まれなので、自分の月のものをパチリ。

すべての月の一転語が、参道沿いに貼り出してありますよ。


そして翌日は、宿を出ると、西大宮駅まで歩きました。

そして、川越経由で帰宅。

マイカーは、僕の友人のAさん宅の駐車場に停めさせてもらいました。



悲しいことが多い人生ですが、その中で、喜びを見つけるセンサーだけは大切にしたいと思っています。



 

今も友人でいる人たちの共通点


昨日は、友人Oと、町内の湖のほとりで、3時間ほど語り合いました。

僕の人生において、この友人Oは、エポックメイキングな存在です。

どういうことかというと、人生の大事な局面で、僕は助けてもらっているから、です。

いちばん大きかったのは、彼の紹介で入った会社から、事実上の僕の会社員としての安定した日々が始まったし、その前には、僕が、20代で、統一教会から逃げ出して、最初に駆け込んだところが、当時彼が住んでいた武蔵境の公団住宅でした。 

また、彼は新し物好きなので、パソコンにもいち早く着目していたため、事実上のパソコンの師匠は、友人Oということになります。

事程左様に、いろいろなところで助けてもらっているのですが、つい最近では、アイフォンから中華スマホに換えた際に、ウィルスバスターというセキュリティソフトを入れたのですが、それも、彼のアドバイスで、無料のカスペルスキーセキュリティに換えました。

まあ、そうした細かいことまで挙げればきりがないほど、彼には助けられています。


さて、僕は先日、改めて、今も付き合いが続いている友人たちに共通するのは何だろうと、考えてみました。

そして得た結論は、彼らは一様に、精神的に独立している、ということ。

たとえば、このブログでもよく登場する、AさんやIさんなどは、宗教的なバックボーンがあるとはいえ、精神的な自立と同時に、人格的にも優れています。

また、ときどきこのブログにも同じく登場する、花火師で投資家のSさんや、そのSさんの師匠でもあるTさんなども、長年投資で培った精神性からか、自己責任の意識が強く、独立した気概を持っています。

それ以外にも、今も付き合いのある人に共通するのは、自分の人生に責任を持ち、他人を恨むことがない、あるいは、自分の責任を他人のせいにしない、という点が挙げられます。

これに反し、僕が、もう付き合うことは難しい、僕の許容範囲ではない、と思った人は、自分を反省することなく、他人のせいにする人、あるいは、依存心が強く、自分の思うように相手が行動しないと、子供のようにへそを曲げる人、です。

勿論そういう人であっても、僕が付き合ってきた人というのは、それ以上に良い部分があったからでもあるのですが、しかし、その良い部分を加味したとしても、その依存心や自分の非を認めない姿勢は、もはや僕の許容できる範囲を超えてしまったのかもしれません。

つまり、僕もそれだけ、年を取るにつれて精神的にタフではなくなった、ということなのだと思います。

 
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るように生きるのではなく、気楽に生きていきたいと思っています、猫のようにね。




お互いの自由を尊重する在り方が、軽やかで心の負担もなくて、いいですよね。

それは、友だち同士だけでなく、すべての人間関係において言えることなのかもしれません。




「人生50年間勤務」時代の憂鬱


1億総活躍社会の到来で、雇用期間も伸びている様子。

マネーポストで見た記事によると、70歳定年制の導入が近づいているのだとか。

うーん、そんなことになるのでしょうかねえ。


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とりあえず、以下は、その記事の一部を抜粋。


 かつてサラリーマンにとって定年は退職する年齢だった。日本企業の8割近くは現在も「60歳定年」制をとっているが、定年後の雇用延長期間が10年(70歳)へと延ばされて「人生50年間勤務」が当たり前の時代になれば、定年の60歳は長い会社人生の「退職金をもらって給料が下がる日」にすぎなくなる。それが定年と退職が完全に切り離される「定年の崩壊」だ。

 その先には75歳までのさらなる雇用年齢引き上げが控えている。政府は「日本の高齢者は10歳若返っている」と今後も生涯現役社会に対応した雇用制度改革を進めていく方針で、「高齢者」の定義そのものを75歳まで引き上げる議論さえある──。

 今年12月に60歳の定年を迎えるA氏は迷っている。雇用延長で70歳まで働くべきかどうか。

 30代の頃にバブル崩壊で勤めていた会社が倒産、大手メーカーの流通子会社に転職して25年懸命に働いてきた。ストレスで体を壊したことは何度もある。

「人生100年と言われるけれども、80歳になる頃に元気でいる自信はない。あと5年、65歳までは雇用延長で会社に残るつもりですが、その先の15年くらいは趣味の車いじりとか、これまでとは違う人生を楽しみたい。働くだけの人生はもういいというのが正直なところです」(A氏)

 雇用延長を選ぶと給料は半分以下に減る。心配なのは、定年後も会社に残った先輩たちは待遇の悪化でやりがいを失って2年ほどで辞めていくケースが多いことだ。



うーん、 秋冬は、いろいろな人が歌っていますが、やはりご本人が歌うのが一番良くね、ということで。


祈るしかない無力さを思う


政治的な話はもうしないようにしよう、とは思っていたのですが、心配でたまらず、書いてしまいました。

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香港の西九竜裁判所は2日、昨年6月のデモをめぐってデモ扇動罪などに問われた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏(23)に禁錮10月、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(24)に禁錮13月半、林朗彦(アイバン・ラム)氏(26)に禁錮7月の量刑をそれぞれ言い渡した。いずれも執行猶予はつかず、3人は再び収監された。

 香港紙、蘋果(ひんか)日報(電子版)などによれば、法廷で量刑を聞いた周氏は号泣した。3日に24歳の誕生日を迎える周氏の弁護士は上訴に伴う保釈を裁判所に申請したが、その場で退けられたという。一方、黄氏は傍聴席の支持者らに対し「頑張って耐えていく」と話しかけ、林氏は「後悔はしていない」と大きな声で叫んだという。



これは、対岸の火事ではありません。

将来、日本の若者たちがこんなことにならないようにと思う以上に、今現在の、この3人の若者たちのために、祈っています。 






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