昨日は、友人のIKさんと、三峯神社に行ってきました。
IKさんが、川越から車で来てくれて、彼の車に乗せてもらい、話をしながら2時間ほどで、到着。
前回、三峯神社に来たのはいつだったろうと記憶をたどっても、すぐには出てこないくらい前のこと。
記憶をたどると言えば、内省においてはこの記憶をたどるということが不可欠で、アルバイトを辞めた理由の一つが夏の暑さから逃げるためであり、もう一つの理由が、内省への思いが強くなってきているからであることは、依然述べた通り。
で、実は、どちらの理由も、深く関わり合っているのですよ。
まず、自分の体力の衰えがあり、腰痛やめまいなど、体調の不良もときおりあり、このような状態でこの夏を乗り切るのは、危険であると判断。
空調の効いた快適な環境であれば、また、違うのでしょうが、高温多湿の無風状態の中での作業は熱中症の危険大。
加齢とともに、そうした温度調節機能も衰えており、天涯孤独の一人暮らしである事情もかんがみて、アルバイトを辞めたわけですが、同時に、内省への思いが強くなっていたのも事実。
で、ここで問題になるのが、仕事を辞めて生きていけるのか、というお金に関すること。
で、僕は、いろいろな人のブログを読んでいて、家賃込みで10万円、あるいは8万円、あるいは6万円、あるいは5万円、あるいは、それ以下のお金で、暮らしている人を見て、僕よりも食欲も旺盛な若い人たちでも、そのような、ローコスト生活が可能なのだから、齢61の僕であれば、なお可能であろうと。
まあ、僕の場合は、だいたい無理をしない範囲で、6万円での生活が最適と判断。
残る問題は、住宅ローン。
こちらの残債も計算し、今の持ち金と株の価値を計算し、さらに、2年後から貰える、報酬比例部分の年金額を見て、何とかギリギリ、辞めても、生きられると、判断。
で、この選択が間違ってなかったと思うのは、僕の今の気持ち。
この、無限大の解放感。
目覚まし時計に起こされない暮らし。
毎日、自由に過ごせる日常。
で、この幸福の根底を支える条件が、健康の維持。
しかし、健康や寿命は、かなり不可抗力的なものもあるのも事実。
そこで、決めた覚悟は、自分の才覚の中でできる限りのことをして、あとは天に任せる、というもの。
つまり、食事と睡眠と運動に配慮したうえで、可能な限りのストレスフリーな生活を送ること。
僕の、大してできの良くない頭では、それ以上のことは思いつきませんでした。
でも、そこまでの自助努力をしたら、たとえ不治の病に侵されても、それを、天命だと受け止めることもできます。
そうした、潔い気持ちでいると、小さなことにはこだわらなくなりますしね。
シンプルイズベスト、だと、思っています。