介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2020年05月

赤木さんの死と誠実な仕事について


コロナ騒動で、すっかり忘れ去られたかのようになっている近畿財務局職員だった赤木俊夫さんの死。

彼のパソコンには、手記が残されていて、誠実な仕事をしようとする彼の実直な態度と、それを、寄ってたかって捻じ曲げようとさせる上からの圧力、を見て取ることができ、僕自身、何ともやり切れない気持ちになりました。

僕が思うに、赤木さんのことは、まだ、このように表沙汰にもなりましたが、似たようなことは、これまでにも、そして、もしかしたら、今も、起こっているかもしれないし、また、これはなにも、官僚の世界だけに限ったことではないでしょう。

誠実な仕事をしていた赤木さんが直面していたストレスは、想像するに余りあります。

 鉄の結束を誇る財務省では、そもそも内部告発などほとんど考えられない。さらに森友事件は、組織としての不祥事で、しかも、安倍総理夫人直結なのだから、告発しても返り討ちに遭うのが落ち。検察に期待しても、本格立件どころか、むしろ、検察の狙いは、赤木さん一人に罪をかぶせて一件落着というシナリオだった可能性すらある。

上記のように述べるのは、自身も官僚であった古賀茂明さん。

赤木さんのようなまともな官僚が追い詰められ、彼を間接的に殺したともいえる上層部が今もろくに処罰されることなく、むしろより厚遇されているさまを見て、この世を生きることのむなしさを感じずにはいられません。

僕は、この赤木さんの死を想うとき、 藤沢周平の小説を思い出します。

彼の小説の主人公は、ほとんどが名もなき一庶民や、武士であっても下級武士。

軋轢は、今も昔も、同じ。

所詮は、人間社会に違いなく、上からの理不尽や、不条理、濡れ衣、行き違い、などなど。

現在、赤木さんの奥さんが、訴訟を起こしていますが、成り行きを見守りたいと思います。

汚濁にまみれた世の中ではありますが、以下の、シルバーバーチの言葉が救いになります。


神とは法則です。それを悟ることが人生最大の秘密を解くカギです。なぜなら、世の中が不変不滅、無限絶対の法則によって支配されていることを知れば、すべてが公正に裁かれ、誰一人としてこの宇宙から忘れ去られることがないことを悟ることができるからです。


そうです、たとえこの世の法律で裁くことができなくても、天網恢恢疎にして漏らさず、と、言うように、宇宙法則が、赤木さんを間接的に死に追いやった輩を裁きます。

パウロは、ローマの信徒への手紙12章で、復讐は神のすることである、全ては神の裁きに任せよ(19節)と、言っていますが、復讐、と言ってしまうと、そこには人間的な感情が入ってしまいます。つまり、神があたかも、人間のような喜怒哀楽がある、との誤解のもとです。

そこで、僕なりに、より、正確に言うと、宇宙法則として統べる神の法則が因果の理法として自動的に裁く、と、現代的に解釈するのが良いように思います。

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そして、もうすでにこの世の存在ではない赤木さんに目を転じれば、赤木さんの誠実な仕事ぶり、そしてそのまじめな人柄は、肉体を脱ぎ捨てた今も、霊として存在する彼の中の美なる徳目として生き続けているはずです。

この世は、正しいことが必ずしも通らない世の中ではありますが、この世とあの世を貫く宇宙法則が存在することが、絶対的な救いであり、結果的には、悪いことをすることは割に合わないのです。

そうした、損得の観点から見ても、赤木さんを追い詰めた小賢しい輩は、大いに割の合わない、あとで大変な代償を支払わされる未来が待っていることになります。

なぜなら、すべての存在が、この世だけを生きているのではなく、むしろこの世は、永遠の実在である霊界に行く前の、準備段階の世界ですからね。






感性と理性とのせめぎあいの果てに導かれた平安


霊的な光の感覚が、その頃の僕の、最後の拠り所でした。

この拠り所とは、幸福の科学で言うところの、信仰の命綱、でもありました。

精舎で感じる光、あるいは、東京ドームの講演会での光体験、これらが、実に強力な動機となって、僕の幸福の科学での信仰を支えていました。

それは、僕にとっての、エルカンターレ信仰の根拠でもあり、原動力でもありました。

しかし、その一方で、僕の理性が、度重なる矛盾の数々を、どうしても受け入れられずにいたのです。

よっぽど、矛盾になど気づかずに、無邪気に、信じ切っていた頃のほうが幸せだったとも思いましたが、いや違う、という自分がいて、苦しくても、不都合な真実と向き合う今の自分のほうが尊い、という思いもありました。

この、ぎりぎりのところの攻防は、到底短い文章で語ることはできません。

感情が揺れ動き、自分を制御することが難しいときも、ありました。

光体験を重視する感性と、矛盾に承服できない理性との、戦いでもありました。

この苦しみは、他人に話しても到底理解される類いのものではないことを、僕自身、わかっていました。

わかってくれる人がいるとしたら、同じ様な体験を通過した人だけだろうと思いましたが、そのような人は周りにはいませんでした。

そのように悶え苦しんだ日々ではありましたが、退会すると決めた頃だったでしょうか、僕の親友でもあり、法友でもあり、年下ではありますが、何かと頼りにしていたAさんに、苦しい心情を打ち明けた記憶があります。

Aさんは、自分の仕事が忙しいにもかかわらず、辛抱強く、僕の話を聞いてくれました。

当時、僕は、マンションで独り暮らしをしており、Aさんの住居も、僕のところから歩いてすぐのところにありました。

Aさんは、僕の気持ちを尊重してくれ、それで僕が本当に幸せになるのであれば退会するのは構わない、という趣旨のことを言ってくれました。

また、Aさん以外にも、僕よりもだいぶ年上の会員のSさんも、僕のマンションを訪ねてきて、話を聞いてくれました。まあ、このSさんには、僕の気持ちや考えは全く理解はしてもらえませんでしたが。それでも、わざわざ訪ねてきてくれたことは、ありがたく思いました。

それ以外には、当時の支部長とも話しましたが、こちらは短い時間でした。僕の、退会の決意が固いことを知るとあきらめたようでしたが、別れ際に、せめて6月まで保留しないか、と言われました。その間に、富士山の大爆発が起こるから、と、言っていました。

僕は、富士山も活火山だから、いずれ、そういうこともあるでしょうが、6月までに噴火するということはないと思います、と、答えたのを覚えています。

僕自身、当時、そうした、教団の天変地異の予言に、本当に嫌気がさしていたので、それは、即座に答えました。

寄る辺なき子さんは、おそらく、僕より信仰歴が長いと思われるので、法友を失う苦しみ、自分が根拠として立っていた足下の大地が消えていく苦しみを、体験されたことでしょう。

そしてその苦しみは、今も継続中かもしれませんが、その葛藤があってこそ、真実を見つけることが可能となるのだと、思います。

話を、元に戻しましょう。

光体験を重視する感性と、矛盾に承服できない理性、とのせめぎ合いに、どのように決着をつけたのか、あるいは、どのように、運命が僕を導いたのか、の続きです。

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結論から言うと、僕の、過去の宗教体験が、役に立ちました。

僕は、父が世界救世教の信者であったために、自然に父と同じ信仰を持つようになりました。学生部、青年部と、順調に、信仰生活を続けていたのですが、善悪の問題で悩み、教団職員に相談しても、そこでは答えが得られないことを知り、やがて、真理を求めて、さすらうようになります。

その後、統一教会の堕落論を知ることとなり、長年心を去らなかった善悪の起源の問題が解決しました。そして、統一教会に入信し、全財産を献金し、専従生活に入りました。

で、実は、世界救世教時代にも、統一教会時代にも、僕は、タイプの違う、神体験、をしていたことを、思いだしたのです。

世界救世教のときは、熱海にある救世会館という、建物内で、突然、霊感に打たれて号泣したことがありました。一緒にいた人が、びっくりした顔で、僕を見たことを、今でも、覚えています。当時は、十代で未成年でもあり、多感でもありましたが、霊体質でもあったのだと思います。

統一教会では、ツーデイという合宿で、神が現れて、長い間探し求めていた我が子よ、と言って、僕を泣きながら後ろから抱きしめる、という体験をしました。ああ、これが、生きた神なのか、と、思いました。それだけではなく、専従生活で、日々、伝道に明け暮れている中で、奇跡とも思える体験を、いくつかしています。

そうした、過去の宗教団体における神体験、光体験を思いだすに及び、この、幸福の科学での光体験も、それに類するものではないのか、と、冷静に分析できるようになりました。

少し余談になりますが、今年1月に、上祐史浩氏に会いに行った話は以前しましたが、彼の友人で、広瀬という人だったと思いますが、やはりオウム信者で、大変な秀才だったそうですが、その人も、最後は理屈ではなく、神秘体験によって、麻原に心酔し、サリン事件を起こしたとのことでした。

つまり、結論を言うと、個人の神秘体験や個人の霊的能力には、普遍性はない、と、いうことなのです。

ただし、普遍性はないが、その人にとっては、強力な体験であり、信仰を継続する上での大きな動機付けになる、ということ。

ここが、神秘体験や霊的能力の、功罪相半ばするところではないか、と、思います。

そして、そのことに気づいた僕は、さらなる検証と内省の日々を重ねていきました。


僕が今でも、貴重な体験だったと思う研修を、一つ紹介します。

それは、日光精舎での、八正道研修でした。

礼拝堂のピンと張りつめた空気の中、出された公案に対して思慧していく、というものでした。

このとき、僕の守護霊がすぐ背後に立ち、この機会を逃すまじ、という強い気迫で、僕にメッセージを送ってきたのです。僕は、自動書記のような感じで、送られてくる言葉をノートに殴り書きしていきました。

そして、その公案が終わったときには、その与えられた言葉の数々に、自分でもびっくりしたのを覚えています。そこには、自分でもうすうす気づいていた自分の欠点や課題、これからの方向性などが、書かれていたのです。

こうした体験から、僕は、精舎での研修などにも、かなりのめり込んでいきました。

こうした体験を積み重ねていくと、信仰の確信が深まるばかりで、その結果として、活動にも、熱心になっていきます。

その後、幸福の科学を退会した僕ですが、たとえば、今例に挙げた日光精舎での研修における体験は、今でも、守護霊からのメッセージであったと、思っています。

事実、その研修の後、僕は、そのメッセージを、日々の生活の中に生かすようにしましたからね。

シルバーバーチが説くように、守護霊なり、指導霊なり、導きの霊存在は、ラベルを選びません。

つまり、その機会、そのときで言えば、日光精舎での八正道研修が、メッセージを伝えるのに最適の機会であれば、それを活用するのですね。

たとえそのことによって、僕がさらにその信仰にのめり込むことになったとしても、それ以上に、その時僕に必要なメッセージを伝えることのほうが有益であれば、そうするわけです。

事実僕は、その後、そのメッセージを日々の生活の中に生かし、日常生活を改善していきました。

だから、僕にとって、幸福の科学での日々は、決して無益なものではありませんでした。

今でも付き合いのある、Aさんや、Iさんなど、有徳の人との出会いも、ありましたからね。

さて、僕の、こうした体験が、どれほど、寄る辺なき子さんのお役に立てるかわかりませんが、僕が退会するときのこと、そしてその退会は、決して安易な気持ちからのものではなかったことをお伝えできれば、多少なりとも参考になるのではないかと思い、記してみました。

もし、また、何か、書き込みたいことや、あるいは、僕の記述が飛んだ見当違いであれば、そうした指摘でもかまいませんので、コメントしていただければ、と、思います。

長い信仰から離れるときの不安は、それまで立っていた大地が失われるに等しいと、思います。

しかし、真実に向き合う勇気は、その不安に比例して、あるいは、その不安以上に、尊いものです。

それはまさに、真摯に人生を生きていることの証、でもあるからです。

そして、そうした、真実に向き合う勇気は、誰もが持てるものではありません。

大半の人は、それまでの自分の信念、あり方、費やしてきた時間や金銭や心情、その他もろもろの自我に付随する総体を捨てきれず、自覚するとしないにかかわらずそこに縋り付き、自己を客観視することなく正当化し、臭いモノには蓋をして見ないようにし、自分の見たいものだけを見て、自分の在り方を合理化するからです。

また、いかに優れた人であっても、その時期が来なければ、向き合う気にもなれないでしょう。

ただ、すべての人に言えることかと思いますが、それぞれの人のその人生こそが、その人の導き手なのだと思います。

そういう意味では、すべての人が、尊い修行者であり、永遠の旅人なのだと、思っています。




不都合な真実に向かい合う勇気を


圧倒的な神の公平さ、という記事に対していただいた、寄る辺なき子さんからのコメントを読み、8年前の自分、というものを考え直してみました。

まず、はじめに断っておきますが、その記事は、特定の宗教団体の信者に対して呼びかけたのではなく、所謂新興宗教、おもに、戦後、勃興してきたものですが、新興宗教一般の信者の方を念頭において、呼びかけたものです。

実は、既成のキリスト教会などにこそ、僕は言いたいことが多くあるのですが、それは横に置き、問題のある新興宗教、あるいは、さらに悪質なカルト宗教といったものも、僕は数多く知っており、数か月前も、飯能の駅前で、日蓮系のカルト教団の信者さんからチラシのようなものをもらいました。

そのご婦人は、血走った眼で、日本の危機を訴えていましたが、その攻撃的なまでの熱心さに、かつての自分を見るようでもありました。

さて、コメントから読み取るに、寄る辺なき子さんは、かなり信仰歴の長い女性会員ではないかと、思いました。最初の太陽の法、をきっかけとして入信された、とのことですからね。

僕が、幸福の科学の会員であった年数は18年弱。そのうち、熱心な活動会員だった時期は、その半分ほどの年数かと、思います。 


今でも、思いだすのは、幸福実現党を結党し、最初は、饗庭さんという人が党首でしたが、すぐに、大川氏の夫人、大川きょう子さんが党首となり、そのポスターを貼って回ったことです。

僕の親友のAさんと一緒に、Aさんの車で、いろいろな家や店を個別伺いし、ポスターを貼らせてもらう許可を得て、貼ったのを覚えています。

当時、大川きょう子さんは、僕たち信者にとっては雲の上の人で、過去世は、ナイチンゲール、文殊菩薩、アフロディーテと、されていました。

僕は、そのような偉大な過去世を持つ総裁補佐(きょう子さんのことをそう呼んでいました)が党首であれば、当選は間違いないだろう、とは思いつつも、選挙はまた、そう簡単ではないかもしれない、と、不安も入り混じった心持でした。

僕は、どちらかと言うと、思い込みが激しいほうで、それに対し、Aさんの優れたところは、冷静に状況分析ができるところでした。感情に流されて突っ走るタイプの僕と、沈着冷静なAさんは、良いコンビだったと思います。

このまま書いていると、選挙のことだけで長くなりそうで、キリがないですね。

少し、先を急ぎましょう。

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鳴り物入りで党首になった大川きょう子さんでしたが、その後、また党首が変わるなどして二転三転。

で、いろいろあり、きょう子さんは、その後、教団を追放され、過去世も変更されたのは、寄る辺なき子さんも、ご存知の通りです。

太陽の法の書き換えのことを言っておられましたが、また、最近、新装版になったということでしょうか。

僕の記憶にある太陽の法ですと、文殊よ文殊、と言って、過去世も妻であった、きょう子さんに呼び掛けていた場面があったように思います。

また、古い会員さんであれば知っているかと思いますが、大川さんが、妻のきょう子さんと、古代インド語で、語り合うテープも聞いたことがあります。

映画に目を転じれば、太陽黄金永遠の法、いずれの映画でも、きょう子さんは救世主を支える女神的存在であり、まさに、神の如き霊格を備えた方、と、教えられておりましたね。

それが、離婚と同時に、それらの過去世は間違いであり、裏切りのユダとしての、過去世に変更されると同時に、連日、元妻への悪口雑言の法話を聴かされる日々。

村田堅信さんという幹部職員が支部にまで来て、きょう子さんの日頃の悪行ぶりを暴露していました。そうした幹部の方々は、その少し前までは、きょう子さんを褒めたたえていた人たちです。

その離婚騒動のあたりから、僕の理性は次第に耐えられなくなり、主の深いお考え、という印籠だけでは、自分を納得させられなくなり、生木を裂かれる思いで、大川隆法という人の発言と行い、そして彼の、これまでの書籍だけでなく、テープやDVDなどを、丁寧に、検証していきました。

たとえば、ムーやアトランティス、レムリアなどに代表される古代大陸について、検証するうちに、膨大な物証と科学的見地により、そうしたものは存在する余地がまったくないことがわかりました。

たとえば、映画、太陽の法でムー大陸があったと描かれていたあたりの海底だけでなく、太平洋そのものが、深海堆積物に覆われており、一度たりとも陸化した形跡がないことが、現在では明らかになっています。

検証をさらに進めていくと、大川さんの説くそうした荒唐無稽の話には、そのほとんどに、ベースとなる元ネタがあることも、次第に見えてきました。

当時、まだ、できれば会員でありたかった僕にとって、次々と明らかになる内容は、目をそむけたくなるようなものばかりでした。

しかし、そうした事実とは裏腹に、僕には、まだ、幸福の科学の正当性に縋り付く根拠がありました。

それは、幸福の科学の精舎などで体験する霊的な感覚、や、神秘体験、です。光の感覚、というものですね。

それらの霊的な光を感じる感覚があること、それこそが、僕にとっては、幸福の科学の正当性を示唆するもの、だったのです。

目の前に並べられた数々の矛盾も、自分がじかに体験した神秘体験、光の感覚の前では、太陽に溶かされる氷のように消えていき、やはり主の教え、古代大陸や家族の不和などの矛盾はあるにせよ、心の教えは正しいし、何よりも、自分が体験した光の感覚は、紛れもなく、これが本物だと伝えている、との結論に至り、また、安心感が回復して会員を続ける、などの揺れ戻しを何度か体験しながら、の、3年間でした。

そして、その3年間は、そうした、自分のレゾンデートル喪失の恐れと闘いながらの検証時間であり、勇気をもって、不都合な真実と向き合った時間でした。

すいません、とても、一回の記事で書き切れるものではないようです。

今回は、長くなってしまったので、次回、続きを書きますが、寄る辺なき子さんに言いたいことは、おそらく退会後もしばらくは心が安定しない日々が続くと思いますが、僕自身、自分の理性を押し殺していた日々に比べれば、その100倍も、今のほうが心に安らぎがあります


今回だけで書き切れず、収拾がつかなくなりましたが、まだまだ寄る辺なき子さんに伝えておきたいことがありますので、もうしばらく、お待ちいただければ、と、思っています。





退職願を提出しました


今日、アルバイト先に、退職願を、提出しました。

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無事、受理され、5月21日までで、アルバイトは、終了する予定です。

僕が独り者であるように、いとこも独り者が多く、そんな親戚の介護の手伝いも、あり、そしてそれ以上に、かねてから表明しているように、内省への思いがやみがたく、退職することにしました。

今日は、ひどく疲れており、まあ、今月から、午前勤務で朝早く起きたこともありますが、やはり、退職願を出すことで、多少は緊張していたのでしょうか、4時ごろ、目が覚めてしまったのですね。

まあ、正社員でもないアルバイトなので、そんなに気にすることでもないのですが、けじめはけじめ。

やはり、立つ鳥跡を濁さず、と、いきたいですからね。

話のわかる30代の上司で、良かったです。

この上司、なかなか人間ができており、三十代後半にして4人の子持ちで、長男は、高校3年で、来年大学だとか。

今時、4人の子供を育てているのですから、立派なものです。

それに引き換え、僕は、体たらくではありますが、これからは隠遁しながらの内省生活。

まさに、自分の望む生活、です。




 

圧倒的な神の公平さ


神という存在が、もし、自分の信者だけをえこひいきするような偏狭な存在であるならば、僕たちに平安はありません。

しかし、聖書に描かれている神は、喜怒哀楽が激しく、人間的で、依怙贔屓をしまくる神です。

そのような神の概念を植え付けられてしまうと、それが、生涯にわたって暗い影を落とすことになります。

その神の概念を覆したのはイエスで、イエスの説く父なる神は、愛の神、です。

イエスは、宗教団体を作ろうとしたのでもなく、三位一体などと言って、神の座に祭り上げられることを望んだのでもありません。

ただ、素朴に、人々に、神の愛と宇宙法則を説いただけです。 

神の愛の公平さは、聖書の中にも見出すことができます。

それは、善きサマリア人のたとえ、の部分でも、知ることができますし、他にも、ありますが、今日は、話を先に進めます。

たとえば、どんな宗教団体でも構いませんが、あなたの信じる教団の教祖が、唯物論者はみな地獄行きだと、言ったとします。

その発言だけで、彼は霊界のことを何も知らないか、あるいは、その発言によって信者を自分の操りたい方向へと誘導しているか、のどちらかであることが推測できます。

唯物論者でも、心根が良かったり、この世界に大きな貢献をした人は数多くいます。

一方、何らかの教団の信者であって、自分は真理を知っていて、教祖の教えを理解できるそれなりの人間だとの自負がありながら、聖書の善きサマリア人のたとえに出てくる祭司やレビ人のような振る舞いをする人も多いでしょう。

何が言いたいのかと言うと、ラベル(何々の信者である、とか、唯物論者、などの分類上の決めつけ)は、一切関係がなく、その人の全人格がありのままに判定される、あるいは、評価される、のが、霊界という世界だ、ということです。


─── 生前スピリチュアリズムを否定し、生涯を合理主義者で通したH・G・ウェルズ(※)のような人はそちらでどんな気持ちを抱いたのでしょうか(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史体系」「生命の科学」等がある)との質問に対し、シルバーバーチは、以下のように答えています。

 「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが・・・

 こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、色々と修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」

 その議論の相手となって説得に当たったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(二人とも地上時代は自由思想家として人権擁護の為に貢献した人物である)

 それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。

 「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で〝宗教的〟な人物でした」


神の裁きは、公平にして見落としがありません。

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シルバーバーチは、長い霊界生活で、神の本質をよく知り抜いています。


 あなたが神と仰ぐ教祖は、人間を安易にラベル分けしていませんか?

 あなたの理性は、教祖のすべての言動に得心が行きますか?


僕が、ありとあらゆる新興宗教の信者に対して問いかけたい質問は上の2点です。


日本は、世界でもまれにみるほど、新興宗教の多い国です。

戦後、仏教系、キリスト教系、あるいは神道系、さらには、それらをごちゃまぜにしたものや、神智学をベースにしたものなど、百花繚乱ならぬ、魑魅魍魎の世界が展開しています。


新興宗教の信者だけでなく、キリスト教の信徒や仏教徒にも、問いかけたい質問はありますが、今日は、ここまでと、します。




人はパンのみにて生きるにあらずだが、パンがなければ生きられない


人はパンのみにて生きるにあらず、とは、イエスの言葉ですが、パンよりも大切なことがあることを伝えたものだと思います。

ただ、イエスは、もちろん、パンを否定しているわけではありません。

また、俺はパン食ではなく、ご飯派だから関係ない、ということではなく、このパンは、広く、経済、と考えることもできます。あるいは、お金、でもいい。

今、日本経済がほぼ止まっている状態で、これは、人間の体で言えば、血液が流れていない状態。

血液のこない細胞は、やがて壊死してしまうように、お金の流れが止まってしまうと、その影響は深刻なものになっていきます。

コロナ騒動が収束し、そして本当の意味での終息に向かうことを祈るばかりです。


さて、今は、多くの教会が、礼拝も自粛しているようですが、シルバーバーチが教会のあるべき姿についても語っているので、紹介します。

例によって、こういうたぐいの話が嫌いな人はスルーしてください。

 「まず私は教会というところが本来宗教についての真実を学ぶために存在するものであること説きます。目に見えない高い世界の影響力に集団で波長を合わせるための場です。しばしのあいだ俗世的心配ごとやストレスから離れ、雑念や悩みごとを忘れて霊的実在に目を向ける場です。

私はまた人のために自分を役立てることこそ真の宗教であると説きます。礼拝に出席したら、欠席した人より立派になるというわけではありません。肌の色が白いから、茶色や黒い肌の人より優れているわけではありません。大切なのは霊の進化、魂の成長です。

教会はそのための永遠の旅に備える場であるべきです。いかにして霊を修練するかを教える場であるべきです。聖典の言葉や説教、儀式、信条のことで惑わされてはいけません。建物を必要以上に有難がってはいけません。

 宇宙の大霊は無限の存在です。いかに神聖に思える建物でも、その大霊を閉じ込めることはできません。四つの壁では〝永遠なるもの〟は包めません。書物も、その言葉がいかに美しくても、いかに内容が立派でも、いかに霊的でも、それ一冊に無限なる霊すなわち神に関する真理のすべてが記されるわけがありません。

いかなる人間でも、たとえ地上で最高の聖職にある人でも、あなたと神との関係に干渉することは許されません。あなた方の存在にとって必要なものは、あなた方自身が無限の啓示の宝庫から引き出すことができるのです。

あなた方が神と呼ぶところのもの、私が大霊と呼ぶところのもの、すなわち全生命の背後の普遍的摂理は、永遠にあなた方と切っても切れない絆で結ばれております。

 内部に宿された神性を発揮しさえすれば───高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神が意図された通りの生き方ができるようになります。

自己を棄て、世間に目を向け、からだの不自由な人を癒し、苦しむ人に手を差しのべ、飢えた人に食を与え、渇いた人に水を与え、道を見失える人に勇気と指示を与え、優しさと思いやりと愛情を、それを必要とする人の全てに与えてあげるようになるでしょう。

そうなった時こそ自分を役立てていることになります。それが唯一の宗教なのです。それ以外の宗教を私は知りません」


教会のあるべき姿、というよりも、宗教のあるべき姿、そのものについて、語っている感じですね。

僕自身、プロテスタント、カトリック、あるいは異端とされているモルモン教の礼拝にも参加したことがありますが、シルバーバーチが示す基準を満たしているモノは、一つもありませんでした。

そもそも、牧師なり、神父なりが、霊界についての知識が皆無なので、せいぜいのところが道徳的な説教に終始するか、カビの生えた人工的なキリスト教神学を、自分なりに解釈し直して話すのが関の山だからです。

これは、バカにして言っているのではなく、人間的にはそれなりに立派ではあっても、圧倒的な認識不足は否めませんでした。

ただ、人工的なキリスト教神学であっても、その中には、微かながらも主イエスの語った命の言葉の残り香くらいはあり、その愛の霊流を、感じることもありました。

既成の教会での礼拝に、生きる拠り所を置いている人もいるわけですから、それは尊重しなければいけないと、思っています。

ただ、シルバーバーチをはじめとした霊界からの霊知識としての光がおろされているのですから、そちらに目を向けないのはあまりにももったいない、と、思っています。

そして、それこそが、主イエスの復活、そのものなのですから、ね。

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コロナウィルス対策には、換気が大切ですが、宗教界にも、真実の霊知識を取り入れる換気が必要だと、僕は、強く思っています。




61歳になっても、僕には知らないことが多い


先日、テレビをつけたら、鎌田實さんという人が出ていて、その人の話にすぐに引き込まれました。

どこかで見たことのある人だな、とは思ったのですが、僕は、この人をほとんど知らなかったのです。 

医師で、作家でもあるようで、その生い立ちが、養父母に育てられたとかで、特に、義父とのことを、話していました。

貧乏人は勉強などしなくていい、働け、と、義父に言われても、医者になりたい鎌田さんの意志は固く、苦学してアルバイトを掛け持ちしながら、医者になったこと、その後、つぶれかけた病院を再建したり、難民支援に奔走したりの人生。

恥ずかしながら、僕は、61歳になるこの年まで、鎌田實さんという人が、こんなすごい人だとは、知りませんでした。

鎌田さんを見ていて、シルバーバーチの言葉を思い出しました。

少し引用が長くなるので、読むのがだるい人は読まなくていいですよ。


 〝もしスピリチュアリズムについてテレビで講演することになったらどういうことを話されますか〟───ある日の交霊会でこんな質問が出された。シルバーバーチはすかさず次のように答えた。

「私はまず私が地上の人たちから〝死者〟と呼ばれている者の一人であることを述べてから、しかし地上の数々の信仰がことごとく誤りの上に築かれていることを説明致します。生命に死はなく、永遠なる生命力の一部であるが故に不滅であることを説きます。

私は視聴者に、これまで受け継いできた偏見に基づく概念のすべてをひとまず脇へ置いて、死後存続の問題と虚心坦懐に取り組んで真実のみを求める態度を要請致します。寛容的精神と厚意をもって臨み、一方、他人(ヒト)がどう述べているからということで迷わされることなく、自分みずからの判断で真理を求めるよう訴えます。

そして世界中の識者の中から、いわゆる死者と話を交わした実際の体験によって死後の生命を信じるに至った人の名前を幾つか紹介します。

そして私自身に関しては、私もかつて遠い昔に地上生活の寿命を割り当てられ、それを完うして、一たんベールの彼方へ去ったのち、この暗い地上へ一条の光をもたらし久しく埋もれたままの霊的真理を説くために、再び地上に戻る決心をしたことを述べます。

私はその霊的真理を平易な言葉で概説し、視聴者に対して果たして私の述べたことが理性を反撥させ、あるいは知性を侮辱するものであるか否かを聞いてみます。

私には何一つ既得の権利を持ち合わせないことを表明します。こんなことを説いてお金をいただかねばならないわけでもなく、仕事を確保しなければならないわけでもありません。私には何一つ得るものはありません。霊界での永い永い生活を体験した末に私が知り得たことを教えに来ているだけです。聞くも聞かぬもあなた方の自由です。

人間は不滅なのです。死は無いのです。あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ側に黙って立っている───黙って、というのは、あなた方が聞く耳をもたないために聞こえないことを言っているまでです。

本当は自分の存在を知らせようとして何度も何度も叫び続けているのです。あなた方こそ死者です。本当の生命の実相を知らずにいるという意味で立派な死者です。神の宇宙の美が見えません。地上という極小の世界のことしか感識していません。すぐ身のまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。

愛しい人たちはそこに生き続けているのです。そしてその背後には幾重にも高く界層が広がり、測り知れない遠い過去に同じ地上で生活した人々が無数に存在し、その体験から得た叡知を役立てたいと望んでいるのです。

見えないままでいたければ目を閉じ続けられるがよろしい。聞こえないままでいたければ耳を塞ぎ続けられるがよろしい。が、賢明なる人間は魂の窓を開き、人生を生甲斐あるものにするために勇気づけ指導してくれる莫大な霊の力を認識することになります。あなた方は神の子なのです。

その愛と叡知をもって全宇宙を創造した大霊の子供なのです。その大霊との繋がりを強化するのは、あなた方の理解力一つです。もし教会がその邪魔になるのであれば、教会をお棄てになることです。もし邪魔する人間がいれば、その人間と縁を切ることです。もし聖典が障害となっていると気がつかれれば、その聖典を棄て去ることです。


そうしてあなた一人の魂の静寂の中に引きこもることです。一切の世間的喧騒を忘れ去ることです。そして身のまわりに澎湃(ホウハイ)として存在する霊的生命の幽(カス)かな、そして霊妙なバイブレーションを感得なさることです。

そうすれば人間が物的身体を超越できることを悟られるでしょう。知識に目覚めることです。理解力を開くことです。いつまでも囚人であってはなりません。無知の牢獄から脱け出て、霊的自由の光の中で生きることです。 以上の如く私は述べるつもりです」

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モーリス・バーバネルという霊媒を通じて、3000年前に地上生活を卒業して今は高い霊界にいるシルバーバーチが、1920年から約60年にわたって、膨大な量の霊界通信を送ってきましたが、その内容は、一貫しており、この世とあの世を貫く宇宙法則としての神の摂理を説いたものです。

また、シルバーバーチは、名称にもこだわりを見せません。

以下もまた、霊訓からの引用です。


───スピリチュアリズムが世界的宗教となる日が来るのでしょうか。

「あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいるものは大自然の一部───その作用、その意義に対してつけられた名称に過ぎません。私にとって宗教とは自分なりの人生を生きることであり、特定の宗派の信仰を受け入れることではありません。

人生を支配している摂理は普遍的なものです。ということは、普遍的な理解力が世界中に行きわたれば、お互いが扶け合うことが普遍的な宗教ということになります。それをスピリチュアリズムと呼ぶかどうかはどうでもよいことです。大切なのは真理が普及し、無知の壁が崩れ、迷信が人間の精神から一掃されて、霊的叡知が花開くことです。 

ラベルには用心しなければなりません。なぜかと言えば、そのうちそのラベルに象徴されていた中身に代わってそのラベルそのものが大切にされるようになり、ついにはラベルだけを崇拝して真理を忘れてしまうからです。大切なのは真理です。ラベルはどうでもよろしい。

皆さんはある現象が話題になるとそれをスピリチュアリズムだと言います。が、すべては自然法則の働きで起きているのであって、それをどう呼ぶかは重要ではありません。同じ意味で〝宗教〟という用語もその本来の意義を失ってしまいました。

今では宗教といえば〝神聖〟のラベルをはられた特殊の行事や慣習、儀式、祭礼等のことを連想します。しかし教会や礼拝堂が普通の建物に較べていささかも神聖であるわけではありません。石はあくまでも石です。普通の家の一部となろうと大聖堂の一部となろうと石は石でしかありません。

神を崇拝する場として作られた建物は確かに美しいかも知れませんが、その美しさが神聖さを生むわけではありません。美しいと思うのは美意識の反応にすぎません。

宗教そのものは教会とは何の関係もありません。霊感のある人───本当の意味での聖職者、つまり霊的能力を具えた人が民衆の要請に応えて神との取り次ぎをしてあげることと言ってもよいでしょう。勿体ぶった神学的言説に基づく行事をしたり信仰を告白したりすることではありません。

教会でワインを飲んだからといって、他の場所でワインを飲むよりも〝宗教的〟であるわけではありません。宗教的であることは宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づけることです。

内部の神性を発揮する上でプラスになることをすることが宗教です。その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新たになろうとする心がけ───どこにいても倒れている人を起こしてあげ、弱った人を元気づけ、無力な人の力になってあげ、病の人を癒し、真理と叡知を広め、不正を無くする行為となって表われます。それが宗教です。

人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものはすべて授かっております。そのためにはまず、宗教とは名僧知識が説くことを体系的にまとめることであるかのように考える、その誤った概念を捨て去ることです。

私どもは、どこかの礼拝のための建造物に出席することが神への義務を果たすことになるとは決して申しません。出席される方は真面目な気持ちでそうされているかも知れませんが、真の宗教心はその人の生きざまの中でしか発揮されないのです。各自の魂に内在する崇高なる霊性の働きと切り離されたところに宗教は存在しません」


上記のように、宗教の本来あるべき姿が、述べられています。

まあ、日曜日に教会に行くことが悪いわけではありませんが、それ以上に大切なことは、日々の暮らしの中でどのように生きているか、です。

シルバーバーチの語る言葉はシンプルで、誠実そのものです。

僕は、テレビで鎌田實さんを見ていて、シルバーバーチが説いているような生き方をしている人だなあ、と思いました。

僕たちの周りにも、鎌田實さんほどではないにしろ、小さな善意を向けている人は無数にいると思います。

たとえば、飢えている野良猫に食べ物を与える、とか、道に迷っている人に声をかけ、探している場所を教える、とか。

そうしたことも、シルバーバーチの言う宗教的な行為です。

一昨日、僕は飯能に行き、郵便局のATMで、お金をおろそうと思ったのですが、入り口に人が並んでいました。

ああ、みんなATMに並んでいるのだな、と思った僕は、通帳を取り出して立っていたのです。

そんな僕を見た、若い女性が僕に声をかけ、ATMだったら、空いていますよ、と、教えてくれたのです。

そのアドバイスのおかげで、僕は、すぐにお金を下すことができました。

その女性の小さな思いやりの声掛けも、シルバーバーチの言う宗教的な行為です。

つまり、簡単に言えば、人や動物、その他、あらゆるものに、親切にする行為すべてが宗教的な行為です。

だから、難しく考える必要はありません。

この世界には、そうした善意の個人が無数にいます。

あなたもきっと、その一人です。


レッテルで、人を分類しない


中国は、人口が多いだけに、それに比例して、人材の宝庫だと、僕は思っています。

憂うべきは、中国の一党独裁の今の体制であり、民ではない、ということです。 

この点は、カルト宗教に、似ています。

正すべきは、カルト教祖とカルト教団の体質であり、一人一人の信者は、善人が多かったりしますからね。

まあ、実在の人物かどうかは不明とされていますが、僕が最も尊敬する人の一人、老子、は、中国起源です。

また、孔子は、実在した人物で、説明の必要もないほど有名ですし、孫武、も、秀でた人物。

三国志にも、関羽や趙雲など、忠義に厚い人格者も多く登場します。

また、明代の聖人とされる、王陽明が、日本人に与えた影響は甚大なものがあります。

今あげたのは、中国の偉人のごく一部にすぎず、中国人がダメ、だとは、僕は一ミリも、思っていません。

むしろ、優秀な国民だと思っていますし、僕のこれまでの経験から言っても、一人一人は、良い人が多いと思います。

具体例を挙げると、僕の友人のAさんの中国人の友人は、劉さんと言い、とても素晴らしい青年でした。

また、僕が介護離職するまで働いていたホテルには、何人かの中国人の同僚がいましたが、皆優秀で親孝行で、人間的にも素晴らしかったですよ。

つまり、中国人そのものは、憎むべき対象でもないし、これは、僕が、左翼思想を批判するときも同じなのですが、左翼系の人間が悪人というわけではなく、むしろ、欲の皮の突っ張った資本主義に毒された人たちよりも、人間的には良い人が多いとさえ思っているくらいで、体制や思想と、人間とは切り離して見ています。

つまり、レッテルで、人を分類しない、と、いうことですね。

何よりも、ありのままに見る、というのは、仏陀釈尊の八正道の第一、正見、に通じるので、僕のような凡夫であればなおさら、人を見る目などないのですから、なるべく、レッテルで人を決めつけるのはよそう、と、思っているからなのですね。

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また、逆の視点から言うと、こういう発言をする僕自身が、かつて信仰していた幸福の科学のある支部長から、悪魔、だと、言われています。

その結果、それを真に受けた人は、街で僕と会っても、悪魔、というフィルターを通して僕を見ます。

そのため、僕が微笑みかけても、何か悪だくみをしている悪魔の笑いに、見えるかもしれません。

まあ、こうした刷り込みやフィルターは大小を問わず、世の中のいたるところにあると思いますが、よほど注意深く、心を落ち着けていないと、毒矢のような情報に流されていきます。

だからこそ、仏教でいう止観、が大切なのですね。

仏教と言えば、中国には、玄奘三蔵や天台智顗をはじめとした高僧が多くいます。

視力を失いながらも6回目の渡航で来日して仏法を伝えた鑑真、異国人である空海に法灯を継がせた恵果、などなど、綺羅星のごとく素晴らしい宗教家がいることも事実。

警戒すべきは、中国の一党独裁という体制であり、その害毒はカルト宗教と似たものがあり、人民が悪いわけではない、というのが、僕の意見です。

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