介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2020年03月

朝食を食べなくなって、何年になるだろう


今日も、午前勤務で、6時過ぎに家を出たのですが、だいぶ日が伸びてきたのを感じます。

で、今日も、いつものように、朝食は、食べず。

まあ、本当に、食べる回数を減らす、というのは、お金のかからない健康法です。

で、抜くのなら、断然朝食。

まず、胃が軽いから、体が楽。

そしてもう一つ、僕が習慣にしているのは、夕食は、遅くても20時前には食べ終えること。

で、20時過ぎは、口に入れるとしても、飲み物、くらい。

そうすると、かなり長い時間、胃が空っぽになるので、胃を休めることができて、調子が良い、と、こうなっております。

今日は、アルバイトの後、遅い昼食を食べました。


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ブロンコビリーの割引券が、3月末までなので、今日、使用。

上は、一皿目のサラダ。

下が、二皿目のサラダ。


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 やっぱ、ブロンコビリーの売りは、サラダバー。

コロナの影響もあってか、いつもより、店はすいていましたよ。


朝食は食べない僕ですが、今日は、朝食にちなんだ曲を。




うーん、懐かしいなあ。

弱小不動産オーナーは家賃を踏み倒される恐れもあるよね


今日は、冬のような寒さです。

今日は、下流老人、なる造語を生み出した、藤田氏の、気になる記事があったので、それを取り上げてみます。

以下は、その藤田氏の主張。


市民には住む権利があるのだから、その居住権を保障するべきだという主張は、欧米に広がっている。

日本でも家賃を苦しい時期だけでも、猶予してくれるならば、新型コロナ感染の収束後に生活再建も早まるはずだ。

また、明日の生活に備えて苦しい食生活や節約生活をしている場合では、家賃分を当面、食費や生活費に充てることもできるだろう。

ぜひ欧米の社会運動を見習って、日本でもレントストライキ、家賃ストライキを始めていきたい。

これらの社会運動が広がれば、欧米同様、弁護士や国会議員も取り組みに関心を寄せて擁護してくれる大きな力となる。

まずは勇気を持って、事情があって支払えない旨を伝え、仲間と一緒に猶予や補償を求めて活動を始める必要があるだろう。

ネットの署名活動でもいい。SNSで賛意を示す行動でもいい。まずはできることから当事者が動かなければ始まらない

そして、弁護士やNPO、労働組合などに相談もしてほしい。

今回は支払いたくても支払えない、という緊急事態であることが重要であり、誰にも罪がない天災と言ってもいい事態だ。

当時者を責めても、決して意味があるものではない。

だからこそ、不動産業者や大家業をしている方たちは、従来通り、借主や債務者への支払いを求めるのではなく、政府に補償を求めてほしい

「支払え」と言われても、支払う金銭が不足しているのだから、不可能を強いることはできない

社会全体が現状を理解し、家賃滞納やローンの不払いに寛容な社会になるようにしたい。

うーん、言っていることは、わからないでもないですが、すべての大家さんが元からの資産家だったわけではなく、中には、サラリーマンをしながら、不動産投資をしている人もいるわけで、そういう人たちは、家賃を踏み倒されたら、フローを失うわけで、それもまた、気の毒ではないか、と。

不動産投資は出口戦略が難しいと、かねてから思っていましたが、今回のような不測の事態が起こると、さらに、難しくなりますね。

サラリーマンが不動産投資をして成功する例はかなりまれであり、特に、子供のいないおひとり様は、不動産投資などに手を出すべきではありません。

その、最大の理由は、出口。

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株であれば、損切をするのも、簡単と言えば簡単ですが、不動産は、株のように簡単には現金化できません。それでいて、固定資産税がかかるわけです。

空室の心配など、ただでさえ、気苦労が多いのに、今回のような騒動で、家賃滞納を正当化されるリスクもありますからね。

中には、布団から出たくない借り手が、騒動に便乗して、滞納するかもしれず。



うーん、世の中の動きも、天気も、ボラが大きいようです。


低エネルギー体質者の生きる道


昨日、久しぶりに10時間の通し勤務をして、改めて、自分の低エネルギーぶりを再確認。

帰ってきて、風呂に入り、夕食を食べて歯を磨くと、もう、残っているエネルギーは殆どなく、そのままベッドへ。

まあ、疲れているときの睡眠はことのほか気持ちがよく、眠れば回復するのはモノの道理。

しかし、世のサラリーマンは、これが連続するわけで、僕も、正社員時代はありましたが、そこは、自分に合った職場を探し続けて職を転々。

そして、僕が続いた職場は、休みが多く、何とか、低空飛行で乗り切ってこられた、というわけ。

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で、齢61になり、改めて、体力の低下と己の低エネルギーを実感するとともに、暑い夏が来る前にアルバイトを辞め、瞑想生活に入ることを決定。

そして、過去を振り返り、内省し、いったい自分の人生が僕に教えようとしていることは何なのかを、じっくりと、見つめてみたいと、思っています。

今は、おもに、多感だった70年代を想起、しています。




でも、アルバイトで中断されると、深い思索には入れません。 


昨日、夕食を食べているときに何げなくつけたテレビで、鷺巣詩郎さんが出ていたのですが、パリの大豪邸のほかに、数か所の住処を持ち、それらを渡り歩いているのだ、とか。

それ以上にびっくりしたのは、その生活ぶりで、創作優先のために、食事もろくに食べていないとか。

つまり、行っちゃっている人は、全方位には、神経が向かないのでは、と、思ったのですね。

つまりですね、意外に、こういう人は、腐るほどのお金がありながらも、食べる楽しみとか、そうしたものには無頓着で、その必然の結果として、幸福のバランスは、いまいちなんじゃね、と。

ただ、奥さんがよくできた人で、まあ、幸せそうだから、全然問題ないのですが、他人の人生から大いに学びたい僕としては、結局、それぞれが、それぞれに与えられたギフトで、生きるしかない、と、思いましたよ。

僕は、僕に与えられたギフトを活用して、低エネルギー、低支出、低消費ながらも、内省的、瞑想的、自由ほのぼの、のびのびとした、縁側で日向ぼっこする猫のような、時間を過ごしていきたいと、思っています。

底辺職場はテレワークなんてできないよね


上級国民や大企業の正社員であれば、テレワークも可能なのでしょうが、多くの非正規労働者が働く、所謂底辺職場では、テレワークなど、あり得ません。

だって、その現場で、汗を流さないといけないのですから、ね。

僕の年代で、働いている人は、たとえば、清掃員、建設現場の作業員、交通誘導の旗振り、僕のような工場現場の労働者、みんな、テレワークなど不可能です。

そして、底辺職場の労働者は、自宅待機になると、その分、収入が減るだけで、保証もない、と。

手厚く保護されている公務員や大企業の正社員は、預貯金も豊富にあるだけでなく、休業補償もある、と。

まあ、この流れは、つまり、格差拡大の流れは、世界規模なので、いまさらどうこう言うまでもないのですが。

今、飲食店は、大打撃でしょうが、普段からお酒の付き合いが苦手な社員にとっては、飲酒を無理強いされない点は、良いかもしれません。

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で、底辺労働者の生きる道は、僕は、ローコスト生活一択だと思っているのですが、消費を辞められない、あるいは、無駄遣いを我慢できない輩は、額に汗して働き続けるしか、ありません。

労働は尊いと、僕は、思っていますが、資本主義社会は、残酷にできています。

どこまで行っても、経済は、入ってくるお金と出ていくお金の兼ね合い。

個人レベルでは、それだけの話。

ぶっちゃけ、8万円の収入でも、5万円で暮らせるスキルがあれば、3万円の余剰資金が生まれます。

一方、30万円の収入があっても、35万円の暮らしをしていれば、毎月5万円の赤字です。

収入が少なくても、出費を抑えるスキルとその気があれば、やっていけます。

ただ、その気がなくて、消費生活に慣れ切っていると、今のご時世、借金生活に落ちるのは、簡単です。

僕の周りでも、ちらほら、そうした人が出始めているので、家計管理の手綱は、自分でしっかりと、握りしめていないといけません。

さて、明日は、僕は久しぶりの10時間の通し勤務。

これから、明日の弁当を作って、長い勤務に備えます。


風が強かった一日


今日は、アルバイト先で、ごみの仕分けをしているときに、強い風にあおられて、ビニールごみが散乱。

風をよけるようにして、作業していても、倉庫の中にまで入り込んでくる風が、細かなごみを吹き流していきました。

まあ、この3月という季節は、風の季節。

今月は午前勤務で朝が早いのですが、朝食は、食べません。

帰ってきてから昼食を摂るのですが、時折、食べ過ぎます。


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そうすると、その後眠くなって、ウトウト、時には、しっかり寝てしまいます。

ひどい時には、すっかり暗くなってから起きて、夜の寝つきが悪くなったりします。

さて、この、風の強い季節になると、なぜか、思いだすのは、フィンガー5のこの曲。




うーん、 「砂ぼこり立つ風の中に、きめるタッチダウン」って歌っていますものね。

強い風の中の試合、みたいな。

もう、春分の日も超えて、これから、日一日と、陽が長くなっていきますね。

僕の頭の中も、だいたいこの季節は、春の陽射しのようにぼんやりしています。


明日のことは明日自身が思い煩う


今日のタイトルは、イエスの言葉です。

「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」

この、さっぱりとした心、今日だけに、さらに言えば、今、この時だけに、焦点を当てた生き方、を、イエスは説きました。

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大乗仏教で最も人気のある観音菩薩は、観音菩薩になる前の生涯で、親と生き別れ、人さらいに騙され、陸の離れ小島に送られて一生苦役を課された人生でした。

彼は、苦しみ抜いた人生の終わりに、飢えや渇きの苦しみに加えて、人に騙される悲しみを味わったからこそ、この苦しみを縁として、同じような苦しみに嘆く人たちを、来世救っていくことにしよう、と、決意しました。

苦しみの連続の生涯を逆に活用して、同じ様な苦しみを持つ人たちを救う財産に変えようと発願しました。

この逆転の発想が、観音菩薩の慈悲の源でした。

愛されなかった苦しみを、他を愛するために使う、という最も尊い慈悲の心が、喜びからではなく苦しみから生まれた、という例ですね。

仏教を表す蓮の花は、美しい場所に咲くのではなく、泥水の濃いところほど大きな花を咲かせます。

僕は、観音菩薩のことを想うたびに、蓮の花が脳裏に浮かびます。

前回の記事で、河野義行さんのことを少し書きましたが、彼が当然受け取るべき賠償金も受け取らず、仏陀釈尊の慈悲の生き方を実践しているという事実を、僕に教えてくれたのが、かつて、ああ言えば上祐とまで揶揄された上祐史浩氏でした。

実は僕は、今年1月に、上祐氏に会い、いろいろと話を聞いてきたのですね。

どうしても、僕が上祐氏に会いたかった理由は、僕自身、二つのカルト宗教を経験し、激しい煩悶の末に克服できたとは言え、その生木を裂かれるような体験は、筆舌に尽くし難いものであり、おそらく上祐氏も、同じ様な体験をしているはずだ、と思ったからです。

さらに言えば、僕は無名の凡夫ですが、彼の場合は、一時期とは言え、テレビに出続け、顔も知られ、さらには、サリン事件の被害者への賠償責任もあるという、大変な重荷を背負っています。

つまり、内面の葛藤の克服だけでは済まない立場です。

僕とは比較にならない重い十字架を背負った彼の今の本心と、その波動、を、知りたかったのです。

まあ、面談時間そのものは、そう長い時間ではなかったのですが、得るものは大きかったと思っています。

彼はかつて、麻原彰晃をグルと慕い、父親のように思っていたそうです。今の彼は、すでに偽物のカルト教祖の呪縛を超克し、仏教的な平安を得ているようでした。

僕が思うに、彼にとっての幸福は、偽物のグルと決別し、河野義行さんのような、本物の人格者と出会えたことだと思います。

河野義行さんは、上祐氏の主催する団体の外部監査人となっています。

つまり、彼は偽物のグルの後に本物の一市井の人と、出会ったわけですね。

本物は、偉ぶることなく、高ぶることなく、人を非難することなく、穏やかで平静な心を維持しています。あるいは、維持しようと心がけています。

そして、上祐氏が、あることで、河野義行さんに質問したことがあったそうです。

その時の河野さんの答えが、「これまでも何とかなってきた。だからこれからも、何とかなると思う」だったそうです。

それを聞いたときに、僕は、冒頭のイエスの言葉を思い浮かべました。

明日のことは明日自身が思い煩うであろう、一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

だから今日も、僕は、さっぱりした気持ちで生きようと、思っています。

幸福の別名は満足


幸福というものを難しく考える必要はさらさらない、と、僕は思っています。

僕が考える幸福は、自分自身と自分の生活環境に満足していて感謝している人は幸福、というもの。

シンプルでしょ?

今日は、今年何回目かのオーパーク。

オーパークに行く前に、活鮮でランチを食べようと思ったら、今日は祝日でランチはなし。

そこで、春の旬盛り、という握り8巻のセットを頼んだのですが、ちょっと足りず、3種盛りと烏賊と巻き物を注文。通常のランチより少しお高くなりましたが、まあ、たまにはいいかな、と。

その後、オーパークに行ったのですが、親子連れがわんさか、いましたよ。

コロナの影響で、キャンプ用品が売れているようです。

うちの近所の川原でも、テントを張っている親子連れなどを見かけます。

さて、今日は、ちょっと重くて軽い話を。

 松本サリン事件というのがありましたが、あれから、もう25年。

その加害者とされ、のちに被害者と認定された河野義行さんを、僕は、尊敬しています。あんな人格者は、滅多にいませんからね。

その河野義行さんの記事を紹介します。


死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教松本サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、妻をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。

――事件のとき「松本市の会社員(44)」と報道された河野さんがもうすぐ古希なのですね。

 「世の中から自分の足跡を消す作業を始めています。住所は知人にもあまり教えていません」

 ――事件を知らない人も増えています。あの夜、妻の澄子(すみこ)さんが口から泡を吹き、全身をけいれんさせているのを自宅で見たのですね。記憶は今も鮮明なのですか。

 「ええ。彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています」

 ――サリンは猛毒の神経ガスです。自身も被害に遭いましたね。


「死を意識しました。視力に異常が出て部屋が暗くなり、見るものの像が流れ始めて。ドッドッと幻聴も聞こえ、吐き気がして立っていられなくなったのです」

 ――被害に苦しむ中、長野県警からは容疑者扱いをされました。朝日新聞を含む報道機関も犯人視する報道をしてしまいました。

 「警察からは『犯人はお前だ』『亡くなった人に申し訳ないと思わないのか』『早く罪を認めろ』と自白を強要されました。私が有毒ガスを発生させたかのような報道もなされ、世間は私を松本サリン事件の犯人とみなしました」

 ――サリンで脳にダメージを受けた澄子さんは、意識が戻らないまま14年後に亡くなりました。8人目の犠牲者になっています。

 「彼女は、しゃべることも動くことも一切できませんでした。できたのは、悲しそうな顔を見せることと涙を流すことだけ。つらい状態の中、私や子どもたちを支えるために生きていてくれたようなものです。だから死は解放とも思えました。『よかったね、やっと死ぬことを許されたね。もう自由だよ』と声をかけました」

 ――報道による被害とは、どのようなものでしたか。


「逮捕もされず、まだ裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまいました。自宅には無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。被害者の親戚を名乗る人から『お前を恨む。殺してやりたい』と書かれた手紙が来たこともあります」

 「報道被害とは、報道機関だけではなく世間も相手にすることでした。不特定多数の人が敵になるので戦いようがない。私を支えたのは、妻と未成年の子どもたちを守らなければという思いでした」

 ――殺人者のぬれぎぬをいつかは晴らせると信じていましたか。

 「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』と言いました。もし死刑執行の日が来たらお父さんは執行官たちに『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』と言うよ、とも」


――中学生と高校生だった3人のお子さんに、苦境をどう受け止めようと話したのですか。

 「子どもには『人は間違うものだ。間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで心を引き上げようということです。悪いことはしていないのだから卑屈にならず平然と生活しようとの思いでした」

 ――許すという行為が精神的な支えになっていたのですね。

 「そうしないと家の中がどこまでも暗くなる状況でした。特定の宗教を信仰してはいません」

 ――翌95年には地下鉄サリン事件が起き、疑いの目は河野さんからオウムへと転じます。警察は河野さんを事件の「被害者」と扱い、メディアも謝罪しました。河野さんの中にオウムへの憎しみが芽生えても当然の状況です。

 「悪人というレッテルが私からオウムへ貼り替えられたからといって『じゃあ私はこれからはオウムを憎めばいいのか』といえば、そう単純なものではありませんでした。事実その当時、刑事さんから『松本サリン事件の実行犯に極刑を望みますか』と聞かれて、私は『いえ、罪相応の罰でいいです』と答えています」


――病床の澄子さんへの教団関係者の見舞いを受け入れましたね。断らなかったのですか?

 「断ったことはないです。実行犯ではない人たちでしたから。ただ、仮にその人が実行犯だったとしても、どうぞと言ったでしょうね。理解しづらいという声もありましたが、妻のためにという思いを大切にしたつもりです」



うーん、実は、河野義行さんは、被害者としての当然の権利である、賠償金も、受け取っていないそうです。

でも、神様は、こういう人は絶対に困らないように、最善の道へと、導いてくれます。

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河野義行さんを見ていると、幸福の別名は満足、という言葉を思い出します。

いや、それ以上、ですね。

幸福の別名は、平安、安らぎ、寛容、受容、全托、でしょうか。

僕の浅い理解では、そのような言葉しか、思い浮かびません。


手作りのコンフィチュール


好きな色は緑、と、答えています。

コンフィチュール

平和主義者なんですよ。

憂鬱からの深淵


ローラアシュレイが経営破綻したようですね。

僕も、イギリスに住んでいた時期があるので、イギリスは当時から斜陽でしたが、なぜか、没落のイメージが似合います。

ローラアシュレイに限らず、また、イギリスに限らず、どんな企業も、国家も、盛衰というものからは逃れられません。

盛んなるものは必ず衰える、は、道理。

僕は、若い頃は、鬱病にこそならなかったものの、それに近く、まあ、今であれば医者に行けば、鬱病と診断されたのかもしれませんが、鬱々としながらも、何とか自殺はせずに生きてこれました。

若い頃の、苦しい時間は長く、まあ、心が晴れた日などは、ほとんどなかったと思います。

そうした傾向性もあって、様々な宗教や哲学、思想に、惹かれたのでしょうねえ。

いろいろなものを摘んでは味見する、みたいな。

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今でこそ、悩みはほぼ全くないところまで来ましたが、それは別に僕が偉いわけでもなく、まあ、成り行き、みたいなもの。

まあ、この世は一炊の夢。



まあ、僕も、旅をしてきた、と、いうことでしょうねえ。

ちなみに、今も、旅の途上です。

暇耐性のある人とない人がいるようだ


僕は、暇が大好きな人間なので、暇が苦痛になることはありません。

でも、いろいろな人を見て感じるのは、暇だとやることがない、と考える人が意外に多い事実。

今日も、職場で、K君が、そんなことを言っていました。

K君は、実は高校一年の時の同級生で、今のアルバイトをするようになった2年前に、40ぶりに再会したのですね。

僕が、メール便で回る本社内のある部署にいるのですが、今日、少し立ち話をして、彼は、正社員時代も、有休はほとんどとらなかった、といっていました。理由を訊いたら、やることがないから、と。

僕は、有休は無駄なく使っていました。年20日平均でしたね。それだけ有休を自由に使える職場だったので、介護離職するまでの11年間も続いたのだと思います。

さて、このK君以外にも、今のアルバイト先で、70歳のアルバイト定年で、強制的に辞めざるを得なかった人も、辞めたら、やることがなくて一日が長いなあ、と、ぼやいていました。

それ以外にも、僕はこれまでの人生でいろいろな人を見てきましたが、どうも、人間には、暇耐性のある人とない人がいるようだ、というのがわかってきました。

暇耐性のない人は、仕事がないことは恐怖のようです。

一方、僕のように、暇耐性のある人は、仕事がなくても、退屈はしません。

長い老後を考えると、僕は、暇耐性がある人のほうが有利ではないか、と、思います。

ただ、暇耐性のある人の一般的な弱点は、仕事が好きではない人が多いこと。

それゆえ、できれば働きたくないと思っているし、なるべく早期リタイアをしたいと、思っています。

また、それゆえに、よほど計画的にしない限り、お金がたまりません。

ただ、仕事嫌いを逆手にとって、強い決意で計画的にお金を貯められれば、早期リタイアも可能で、念願の暇生活に入ることができるでしょうね。

僕は、空を見ているだけで幸せなので、

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暇耐性があるうえに、安上がりにできているのですよ。
 

年金が月28万円でも、生活が苦しくなるケースもある


僕は、年金受給まではまだ少しありますが、日々、老後生活のシミュレーションをしています。

そうした中、年金を月に28万円ももらっていながら生活が苦しいという人の記事を見つけました。

そして、内容を見て、確かに、それでは大変だろうと思ったのですね。


東京都内在住の男性会社員Dさん(44歳)には、特別養護老人ホーム(特養)で暮らす要介護5の母親(80歳)がいます。費用の安い特別養護老人ホームに入所するために、2010年から4年も待機し、2014年にようやく入所できました。

 

しかし2015年4月の介護保険制度の改正をきっかけに、特別養護老人ホームからの請求額が食事や部屋代、介護保険の自己負担分を含めて、月額約8万円から約17万円へと突然跳ね上がったのです。

 

両親の年金収入は月額約28万円ありますが、実家の借地料(月8万円)と、その実家でひとり暮らしをする父親の生活費や医療費などの支払いがあるので到底足りず、Dさんが毎月4万円の仕送りをしているものの、状況は厳しくなったそうです。


Dさん自身も住宅ローンや子どもの教育費を抱えており、仕送りだけでも大変です。自治体の生活相談窓口に相談したところ、「国にはもう財源がないから」と担当職員から在宅介護を勧められました。



うーん、 これは確かに大変だと思うのは、下手に年金が多いために、自己負担分が跳ね上がったこと。

このように、一方的な法改正というルール変更により、窮地に立たされる高齢者は、今後も、増えるかもしれません。


さらにもう一点、僕が気になったのは、借地権の8万円の出費。

土地を借りているだけで、こんな金額が年金から差っ引かれたら、それは、苦しいですよね。


28万円から8万円と、17万円を引いたら、残りは3万円。

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息子の仕送りを足しても、7万円。

これで、東京で生きていくのは、大変です。


うーん、上っ面の年金額だけでは、単純な比較はできない、と、いうことですね。

お金のない人の行動範囲が狭くなる実例


昨日の記事で、誕生日に無料でお風呂に入った話をしたのですが、その、無料というワードに引き付けられるのも、少ないお金でやりくりしているから。

その後、図書館に行ったのも、図書館をはじめとした公共施設は無料だから。 

でも、その図書館も、コロナの影響で閉館。

こうなってくると、金のない年寄りや、年寄だけでなく、金のない人は、行く場所が狭められます。

さて、図書館が閉まっていたので、無料で入れるメッツァビレッジに行った理由も、無料というワード。

そして、メッツァビレッジとムーミンバレーパークは、開園一周年記念で、3月末まで駐車場料金が無料だったので、行ったのですよ。

つまり、よくよく考えてみると、僕は、無料、という名の餌に、動かされた行動をしていたというわけ。

これがもし、多くの資産があり、潤沢なレジャー資金があれば、無料というワードよりも、自分が行きたいことろ、やりたいことを、お金を気にすることなく、行けるし、できるというわけ。

まあ、そうしたことを、改めて、感じました。

なんかこう、無料という隙間をめがけて走っていく水脈のような自分を感じたのですね。

どこまでせこいねん、と。

ただ、これをせこいととらえるのではなく、賢い、とも、良いほうに解釈し、まあ、そんな解釈が成り立つのも、お一人様だからこそ、なのですがね。

これが、妻子がいたら、どんだけせこい男やねん、と、言われますでしょうねえ。


で、まあ、無料で楽しむすべを身に付けている僕は、休園のおかげで中に入ることのできたムーミンバレーパークも散策でき、その後、まだ日が高いので、同じく無料の、博物館に行ったのですが、こちらは、ポツンと孤独そうな老人が、博物館内の狭い図書室で、何やら浮かない顔をしていました。

なるほど、図書館も閉鎖で行くところもなく、博物館の図書室にいるのかな、とも思いましたが、僕の詮索が当たっている保証はなく、大きなお世話かもしれないので、そのまま、博物館を出て、飯能市を散策。


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うーん、飯能は昔、遊郭もあって、その名残も、あるのですねえ。

僕はまだ、軽自動車とは言え、車を所有しているので、こうして近場を散策することもできますが、本当の下流老人で車もなく、お金もなかったら、行動範囲は狭くならざるを得ません。

そうした老人が、近場の図書館さえ閉鎖されたら、それこそ、スーパーマーケットの休憩所なんかで、ぼんやりするしか、ないかも、です。

たしかにときおり、行き場のないような、老人たちを、スーパーマーケットのベンチなどで、見かけます。

一方、ムーミンバレーパークでは、高そうな血統書付きの犬を連れた上級国民のような老人たちも、数多く見かけました。

また、老人だけでなく、子供たちも、家の経済状況で、格差に晒されています。

ムーミンバレーパークでは、幸せそうな子供たちやわんこたちを数多く見たのですが、その同じ時間に、どこにも連れて行ってもらえない子供たちも、大勢いるのではないだろうか、と、思った次第。

無料で入ることのできたムーミンバレーパークについては、下の記事で書いています。

  
ムーミンバレーパークワンダーランド

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