介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2020年02月

この変化し続ける世界で


朝、起きた時に、寝室の窓から電線が見え、その電線に雀が止まっているのを見て、恐竜を連想しました。

恐竜は、1億6000万年ほどの長きにわたって、生態系の頂点にいて繁栄していたとされていますが、白亜紀末期に、今のユカタン半島に、小惑星が衝突し、その後の地球環境の激変によって絶滅したと、されています。

まあ、あらゆる物証や、状況から、正確なことはわからないまでも、だいたいそのようなことなのだとは思いますが、 恐竜に怯えながら何とか生き延びてきた僕たちの祖先は、やがて、ほ乳類全盛の時代を迎え、その中から、紆余曲折を経て、人類種が誕生します。

どこからを人類種とするかは、意見の分かれるところだと思いますが、何とか、人類と呼べるであろう存在の出現が、今から700万年前。

現代人の感覚からすれば、1万年でも長く感じますが、キリストの生誕を2000年前、とすれば、その5倍の長さの範囲に、ピラミッドの建造なども入るとすれば、1万年は長いよね、と、思えます。

その700倍の長さの昔に、ようやく出現した人類、と、1億6000万年もの長きに渡って繁栄した恐竜種から、時間的空想をしてみると、長く生きて100年の、この人生は、あたかも、自分という意識が、泡のようにこの空間に顔を出し、パチンとはじけて消滅するような、感覚です。
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なので、この、人間としての個体に執着すると、苦しくもなり、切なくもなるのですが、無我を説いた釈尊の教説によれば、そもそも実体なる我、は、ないのですから、そこで、苦もまた、消滅していくわけですね。

一見すると、単に死ねば終わりという、唯物論にも誤解されかねない無我の悟りですが、諸法無我は、仏陀釈尊の四法印の一つ。

四法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦、のこと。

朝、電線に止まっていた雀から、恐竜を想起し、時の長さを空想し、絶えざる変化を想い、今もまた、その変化の途上にある自分に立ち返り、仏陀釈尊の類い稀な洞察力に、改めて感じ入った次第。

1億年、あるいは、数億年後の未来。

人類とは別の種で、地層を読み解く能力のある存在が、地球の歴史が刻まれた痕跡を見て、恐竜種の繁栄の長さに比して、やけに短い人類種の地層を見て、何を思うのでしょうか。

無駄に知能を発達させたがゆえに、自ら滅んでいった愚かな種、と、彼等は名付けるもしれません。

あるいは、こういう名でも、呼ばれるかもしれません。

小賢しさが災いとなり、利己主義で滅びた種、と。

静かな生活へと流れていく自分


今日は曇天で、小雨が降っている様子。 

こういう日もまた、落ち着いていていいのですよ。

さて、今の僕の生活は、一日一食の時もあれば、2食の時もあるといった感じ。

3食食べなければ、といった、強迫観念はありません。

正社員で働いていたころは、そうはいきませんでした。

仕事が込み入ってくると、昼食を抜くこともあり、それなりに重労働な仕事もあったので、食事は食べられるときに食べておかねば、という気持ちがありました。

今は、現役時代よりも、体重も10キロほど少なくなっていますが、これはダイエットしたわけではなく、かといって病気でもなく、自然に、今の生活に対応しただけの話。

つまり、自然な流れこそが大事だと、思っているわけです。


まあ、老子の無為自然が理想なので、少しでもそれに近づければ、と、思っているだけ。

で、唐突ですが、そろそろアルバイトも辞めて、人生をたたみ始めようと、思うようになりました。

アルバイトは、おそらく、来年の今頃までは、契約が更新されそうなのですが、そのため、僕もそのつもりでいたのですが、最近、どうにも、内省への思いが抑えられなくなりました。

つまり、隠遁し、自分を見つめたい、と。

当然、収入がなくなるので、預貯金の取り崩し生活となりますが、少ない貯金でどこまで持つのか、という心配もありますが、その時は、またその時対応すればよいのではないのか、と、思うようになりました。

それよりも、今、の、気持ち、を、大切にしたい、と。

なので、おそらく夏になる前には、アルバイトも辞めて、野山を歩いたり、川原で黙想したり、しながら、ひたすら自分を見つめていきたいし、その後、金に窮すれば、また、労働市場に身を投げてもいいかな、と。

先の心配よりも、今の気持ち、今の流れ、今の自分。

まあ、人は、生まれてくる前に、自分の人生を計画して来るらしいので、僕は、僕の人生に、身を任せて流れていくつもりです。

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通勤途上で見た、外国人の男性

信号待ちの時間でしたが、その短い時間にも、その男性が、礼拝しているのを、見ました。

おそらく、イスラム教かとは思いますが、敬虔な信者が多いですよね。

遠い異国の地で、彼を支えているのは、信仰なのでしょう。

コンビニの駐車場の片隅で、体を折るようにして祈っている姿を見て、僕は、気持ちが、引き締まるのを感じました。

反社会的なものを別にすれば、それが何であれ、その人が真剣に対峙しているモノを、軽視してはいけないと、強く、思いました。


武蔵の小京都を歩く


昨日は、武蔵の小京都と呼ばれている小川町を、少し歩きました。

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3連休の貴重な三日目であった昨日は、快晴。


まずは、か野やで、カキフライ定食を食す。


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税込み824円、で、800円分のチケットを使って、現金支出は24円。

キャベツと御飯は、お替りしました。

その後、カインズに車を止めて、小川町を散策。

友人Oが、おすすめの図書館にも行きました。


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確かによい図書館で、テラス席もいろいろなところにあり、特にこれからの季節には良いかも。

貧困関係の本を2冊、流し読み。


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テラスの上には、藤棚もあり、暑い季節には、陽射しをやわらげそう。

江戸時代から続く店も散見でき、観光客も、それなりに歩いていましたよ。

うーん、この3連休は、花火師で投資家のSさんの梅林でのバーベキュー飲み会と、武蔵の小京都、小川町のミニ散歩で、非日常空間に首を突っ込むことができました。

で、今日はまた、昼からアルバイトなので、貴重な午前の時間を、堪能しています。


梅林の中で男4人が奇声を上げる


昨日は、ほぼ毎年恒例となっている、花火師で投資家のSさん宅での、バーベキュー飲み会、がありました。

僕は、家を11時半ごろに出て、自転車に乗って走っていたのですが、風が強く、ペダルをこいでもあまり進まず、乗ったり、降りたり。


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徒歩や自転車だと、車の通らない道を選択できます。

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途中、こんなベンチで休んだりしながら、隣町のSさん宅へと向かいました。

参加者は、会場主である花火師で投資家のSさん、Sさんの投資の師匠で、40代でリタイア後は投資一筋で食べているTさん、そして、本田技研を数年前に定年退職した悠々自適生活のSAさん。


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七輪を囲み、乾杯ビールの後は、数種類の日本酒を、ゆるゆると飲みながらも、各自が言いたいことを言い、奇声を上げる場面も。

特に、SAさんは、常時ハイテンションで、喋りの独壇場状態。

僕以外の3人は富裕層ですが、僕は、忌憚なく、付き合っています。

まあ、楽しければ何でもいいので、人生、楽しんでなんぼじゃね、と、思っています。


お金についての考え方は人それぞれ


僕は50歳まで、お金を吐き出し続ける生活だったので、常にお金がない状態が、常態化していました。

つまり、お金がないのが当たり前で、お金のないことに、耐性があったわけです。

会社員として勤めていれば、その月、お金を使い果たしても、月末にはちゃんと給料が振り込まれる生活だったので、何とかなっていたのですね。

で、何よりも、自分のことは後回しで、宗教活動のほうに重きを置いていました。

ところが、50歳のときに素朴な疑問が生じ、それをきっかけに、様々な物事を見つめなおし、3年間の検証を経て、組織宗教から離れ、今日に至っています。 

複数の宗教組織にいたおかげで、ずいぶん多種多様な人間を見ることができたことは、有意義でした。

中でも、最後の所属宗教であった幸福の科学では、経済的に逼迫する人を何人も見てきました。

宗教に限らず、この人生そのものが、本人の自由意思で展開していく以上、他人がとやかく言う問題ではありませんが、熱量のある信者は、どうしても、教祖や教団の指示を真に受けて、自分の生活と照らして熟考する余裕もないままに、突っ走ります。

そして、安易に、これだけ、主のために、世の中のために頑張っている自分が、困ることになるはずはない、との、都合の良い自己納得をして、請われるままに多額のお布施をし、あるいは、伝道や啓蒙活動にと躍起になります。

そして、常に、貯金は、ゼロ行進。

生活に困った信者が他の信者からお金を借りることもありました。

つまり、多くの活動信者が、いつ倒れるかもわからない自転車操業状態。

で、大して活動もしていないいいとこ取りの信者もいて、彼らは、高みの見物状態。

あるいは、そもそもほとんど信仰心もない名ばかり信者も、かなりいたりします。

まあ、これは、実際に僕が退会してから、見えてきた部分もあるのですが、熱心な信者だった頃の自分であれば、高みの見物状態の信者や、名ばかり信者に対する、裁き心も出てきたでしょうね。

今はどうかと言うと、どんなありかたも、各人の自由だと思っているし、僕自身が、もうその教祖への信仰がないので、むしろ熱烈信者にこそ、モノ申したいのですが、自分の生活を大切にしてください、とね。

で、また今日も宗教の話かい、となってしまうので、お金の話に戻すと、お金のないことに耐性がある人は、実は結構幸せだったりします。

それは、僕自身も、まったくないわけではないが、預貯金は少ないほうだし、事実、50歳までは吐き出し続けた人生でしたからね。

で、僕の周りにも、ほとんど預貯金もない人がいますが、犬を飼ったりして、結構のんきに暮らしていたりします。そして毎日を、つつがなく暮らしています。

一方、そこそこお金があるのに、お金に対する不安が付きまとって離れない人もいます。

彼らはおそらく、無一文になった経験がなく、そのため、お金が無くなることを必要以上に、怖れているのかもしれません。

一度も転職したことのない人が、転職をひどく怖れるのに、似ているのかなあ。

昨日も、その預貯金もなく、むしろ借金のある人が、うちに来て、僕の淹れたコーヒーを二人で飲みながら、3時間ほど、楽しく会話したのですが、いやあ、幸福でしたねえ。

ほぼ、笑いっぱなしの3時間でしたよ。

金のない初老の男が二人、笑っているのですから、暢気なものです。

まあ、笑っているほうが、ナチュラルキラー細胞が活性化して、体調にもいいんですよ。

そう言えば、植木等が、こんな歌を歌っていましたねえ。




うーん、人生は、何とかなるもんですねえ。

自分を見つめること以上に大切なことなど、あるのだろうか


長らく、グル(宗教的指導者)を求めて、彷徨ってきた人生でしたが、これは、ある種の救世主待望症候群、なのかもしれません。 

こうした傾向のある人は、その相関関係にあるメサイアコンプレックスを持つ教祖と、出会いやすくなります。

メサイアコンプレックスで有名なのは、人民寺院の教祖、ジム・ジョーンズや、ブランチ・ダビディアンのデビッド・コレシュ。日本でいえば、オウム真理教の麻原彰晃。

この辺りは、実際に事件も起こしているし、わかりやすいのですよ。

問題は、事件にこそならず、表面化していないものの、カルト教祖の言動に振り回されて、自分の人生を翻弄される人が後を絶たない現実。

日本の宗教人口は、確か、日本の人口の2倍くらいだったと思います。

それだけ、日本では多くの人が宗教とかかわっていて、また、政治にも絡みますから、義理で信者になっている人や、商売上の付き合いから信者になっている人まで含めると、2億人くらいはいるのかもしれません。

で、そのような、百花繚乱と言うよりは、魑魅魍魎の世界に、心の安らぎはありません。


では、安らぎは、どこにあるか。

それは、自分の中にあります。

いや、自分の中にしか、本当の安らぎはありません。

つまり、グルであろうと、救世主であろうと、他者に、依存していては、真の安らぎなど訪れないのです。

で、仮に、素晴らしいグルがいたら、その人は、自分を崇めなさい、とは、決して言いません。

そうではなく、あなた自身の中にある真我、あるいはハイヤーセルフ、あるいは真実在、あるいは仏性、まあ、呼び方はどうでもいいのですが、それに、気づかせるようにするでしょうね。

それこそが、グルの役目ですからね。

ところが、偽物は、自分を崇拝させようとします。

自分に依存させ、自分に服従させ、魂の自由を奪い、束縛します。

そして、そうした信仰こそが尊いのだと、信者を洗脳します。

洗脳された信者は、無批判になります。

信者のほうでも、純粋なる信仰は美しいという自己陶酔に浸れます。

まあ、ある意味、winwinの関係でもあるわけです。

僕は、これを、相互依存、と呼んでいます。

さらに信者には、選ばれたる人間、であることの無意識の優越感が付きまといます。

教祖の高邁な理想や教えを理解できる自分は悟りが高い、との、自己陶酔の優越感、ですね。

お金がなかろうが、世間から相手にされなかろうが、この優越感や選民感覚があるうちは、信者は幸福と言えば幸福なのです。まあ、偽りの、誤魔化しの幸福なのですが。

しかし、僕に言わせれば、真実に向き合わない限り、真の平安は、ありません。

勇気をもって真実に向き合うことのできる人にだけ、その先にある真の平安への道が開けていきます。

まずは、不都合な真実と向き合うこと、そこを避けていては、いつまでも、その先にある、自分自身を見つめる段階には、行き得ません。

いったい、この世界に、自分自身を見つめること以上に大切なことなどあるのでしょうか。


肝心かなめの自分自身を見つめることをおろそかにして、いったいどんな救世活動ができると言えるのでしょうか。

これは、自分自身を見つめようとはせず、走り回っている、あるいは、走りまわされている、偽りの優越感や選民感覚を持っている信者が、灯りのない状態で闇雲に動いているに等しいのです。

「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

イエスは、宗教団体を作ろうとはしていないし、ひたすら、宇宙法則、について、述べています。

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法則を指し示すことが、指導者の役割であり、無私にしてその役割に徹した人は、イエス以外にも、何人かいます。

そうした話をしだすと長くなるので、やめますが、そのイエスも、後世の人たちに、都合よく利用され、再臨のイエスを語る偽メシアも、後を絶ちません。

偽メシアの特徴は、自分を崇拝させること。

ここは、国を問わず、時代を問わず、共通しています。

一方、本物の指導者の特徴は、無私であり、他からの称賛など微塵も求めず、ただ、まだ気づきを得ていない人たちを宇宙法則である神にいざなう役割に徹している、ことです。彼ら、本物は、すでに十分満たされているので、他からの崇拝や承認は必要としていないのです。

長くなったので、今日はここまでとします。

ギリギリのところで破綻を免れた僕の人生


父の介護で会社を辞めたのが、ちょうど4年前。

あれから4年が経ったのだなあと、感慨を新たにしています。 

良い区切りなので、当時のことを改めて思い起こしてみようと思います。

定年まであと3年と少しあったのですが、24時間の介護が必要になり、11年ほど勤めたビジネスホテルを退社したのですが、転職多き僕の人生で、結果的にその会社が一番長く勤めた場所でした。

そのビジネスホテル時代が、この世的にも、また、内面的にも、実に多くの学びを僕に提供してくれました。

それを、逐一書いていると膨大な量になるので、内面のみに焦点を当てると、そのホテルオーナーの社長と僕の上司、あるいは同僚との切磋琢磨の中で、意図せずに魂の足腰が強くなり、また、多くの気づきも与えられた、ということになります。

で、この気づき、こそが、生きていることの価値を高めるものだと、僕は思っているのですね。

つまりこれは、お金には換算できない価値、なのです。

気づきがあって初めて、人は変われる、と、思っているので。


さて、このビジネスホテル時代に、僕は18年弱信仰していた幸福の科学を辞めたのですが、そこに至る内面の葛藤は過去記事でも多少は触れていますが、本来ブログで簡単に書けるものではありません。

言葉の持つ意味性の限界があり、また、その言葉が人に与える印象も人それぞれなので、これは、直接会って話をし、言葉だけでなく、僕の放つ波動そのものから感じてもらうしかないことなのです。

で、これをした唯一の相手が、たびたびこのブログにも登場するAさんなのですが、おそらく僕の人生で、内面の深い話を、質的にも、量的にも、最も深く、多く話し合った相手が、Aさんであり、そのAさんは、今も、幸福の科学の信仰を把持しているので、そこは尊重しつつ、僕の思いを、かなり語りました。

こうして言葉を記しつつも、多くのことが言葉で掬い取れずに、零れ落ちていくのを、感じています。

それほど、言葉は頼りなく、つたなく、歯がゆいものなのです。

さて、話を先に進めましょう。

僕は、幸福の科学を53歳で退会しました。そして、介護離職したのが、57歳になる直前の56歳。

つまり、4年弱の期間、僕は、それまで幸福の科学に使っていたお金を、貯金することができました。

信仰心があるからこそ、別会計で、お布施や祈願、研修などにお金を使っていた僕でしたが、その信仰から脱した後は、自分の人生のために、お金を使うようになったのですね。

そして、その4年弱の期間に貯めたお金が、その後、大いに役立ちました。

もし、あの時期に幸福の科学を退会していなかったら、今頃は、間違いなく、生活破綻していたでしょう。

今、経済的にはそう余裕があるわけではありませんが、介護も終え、自分一人の経済なので、何とかやっていくことができています。

まさに、絶妙のタイミングでした。

まさに、僕の人生が、僕を導いてくれたのです。

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言いたいことの10分の1も言えていませんが、今日は、ここまでと、します。

どんなに頑張っても貯金できません


お金の問題は、煎じ詰めれば、足し算と引き算。

連立方程式はおろか、掛け算や割り算さえ、必要ありません。

加減乗除は小学校で習いますから、本来ならば、シンプルに生きていれば、経済破綻などするはずはないのですが、家計が逼迫している人が大勢います。

そういう僕も、50歳までカルト教団に搾取され、その後3年間、不都合な真実と正面から向き合い、そこで初めて目が開いたという大バカ者。

そんな大バカ者が偉そうなことを言う資格がないことは百も承知したうえで、今回、カードローン地獄に陥る人が後を絶たない現実の一端を見る思いがしたので、取り上げてみました。


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▼相談者

nikoさん(仮名)
女性/会社員/53歳
広島県/持ち家・一戸建て

▼家族構成

夫(自営業/53歳)、子ども3人(社会人で別居24歳、社会人21歳、高校2年)

▼相談内容

深野先生こんにちは、いつも拝見させていただいております。もう破綻しているといっても過言ではないくらいの家計です。正直なところを書きますので、厳しいご指摘お願いします。

夫の転職時のマイナスとかの事情で、借金を抱えどんなに頑張っても貯金できません。自宅は2年前に購入。当時すでにカードローンを抱えていましたが、子どもたちに自室を与えたくて無理して購入しました。頭金はなしの全額ローンです。

当然、諸費用、購入後の家具、引っ越しなど全てに困り、カードに頼った次第です。お恥ずかしい話ですが。現在、住宅ローン以外に11万円ほどの返済をしています。

2年前に末の子どもが私立高校に入り、教育ローンを組みましたが、そのほとんどが滞納していた国保料に消えました。

現在、外食もせず、夫婦とも酒もタバコもしません。夫は自営業でもちろんボーナスなどありません。体を使う仕事のため、これ以上は望めません。国保の支払いもあります。

私は手取り10万円くらいの仕事をしていましたが、毎月赤字になるので、住宅ローン返済と貯金を考え、転職しました。

サービス業ですが自分の目標通りにいけば、(そのように努力しますが)手取り18万円ほどは見込めると思います。また、私の収入が実績によってですが、月2~3万円増えることもあるかと思います。

以下のデータの通りだと、月数万円は余ることになります。今後、この収入から月3万円くらい貯めていき、少しずつ借金を返していきたいのですが、まとまったら返すのと、月の支払いを増やすのとどちらがいいのでしょうか?

ただ、件数、金額が大きいので、銀行のやっているおまとめローンを利用できたらと考えています。金利も低くなり、毎月の支払いも減るので、その分を貯蓄に回し、早期返済を目指すというのもありでしょうか?

現時点ではローンの滞納はありませんが、私の仕事の実績次第では、窮地に陥ることも考えられなくはないです。とにかくどうしたら家計をプラスにできて、貯金ができるのでしょうか?
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家計収支データ補足

(1)住宅ローンについて
・借入額/2500万円
・金利/0.7%(フラット35)
・返済期間/31年
固定資産税額(年間)6万円

(2)教育ローンについて
・借入額/200万円
・金利/2%
・返済期間/3年据え置き、10年

(3)加入保険について
・夫/共済=毎月の保険料5000円
・妻/共済=毎月の保険料5000円

(4)お子さんについて(相談者コメント)
1人目の子どもは社会人で別居です。2人目も社会人、家に2万円いれています。本人の給与から払わせる予定ですが、車も購入予定です。

3人目は高校2年生ですが、高校卒業後は他県の専門学校に行くと言っています。3年ほど前から言っているので、無理をしてでも行かせたいと思っています。ですが、このままでは学費が用意できません。


うーん、この相談に対するFPの答えは、次の通り。

アドバイス1:悪循環からは脱するには「本気」の見直しを
アドバイス2:貯蓄200万円を目標に、ローン返済はそのあと
アドバイス3:より長く働くことで住宅ローンに対処


うーん、結局答えるほうも、当たり前のことしか言えませんねえ。

つまり、世の中は、本当はものすごくシンプル

少し前の記事で、福岡市のワンルームに住む若者の話をしましたが、入ってくるお金と出ていくお金の兼ね合いだけの話、なのですよ。

複雑なことは、何もないんです。

人生に魔法はなく、奇跡も、基本的にはありません。

魔法や奇跡をちらつかせて金を毟り取るのは、カルト教団や偽霊能者の常とう手段。

99.9パーセントの庶民は、地道に生きるしかなく、それこそが王道です。

そしてこの王道は、決して卑下するものでも、見くびるものでもなく、安らぎの道なのです。

地に足をつけて生きていれば、困ることはありません。

自分を失い、別のもの(間違った常識や世間体、見栄、カルト教祖や偽霊能者、偏った思想信条などなど)に振り回されている人は、自分を見つめ照らすことなく、走らされているので、自分の人生なのに、自分がどこに向かって走っているのかさえ、わからなくなっています。

そんな人を、何人も、見てきました。

いや、今偉そうなことを言っているこの僕自身が、そのような人間の代表でした。

己のレゾンデートルを守るために、臭いものに蓋をし、真実から目を背け、偽りの神、まぼろしに、大切な時間とお金だけでなく、心を、捧げていたのです。

だから僕は、敢えて、このブログでも、暗い話題も、取り上げています。

僕が、53歳で退会した宗教団体には、良い人が多いのですが、その中のある高齢の女性は、旦那さんが老後の支えにと残してくれた1000万円のうちの600万円を、旦那さんの死後わずか1年以内に、様々な名目で、お布施してしまいました。

その団体は、祈願や○○植福、研修、あるいは各種法具など、万単位、10万円単位、あるは、100万円単位の、モノまであります。

その高齢女性は、人間的にも大変すばらしい人で、僕の母も大変お世話になったのですが、その旦那さんがなくなった一年後に会ったときに、お父さんが残してくれた1000万円が、今は400万円よ、と笑って言っていたのですが、僕はその時、どうか、その400万円だけは、ご自分のために使ってくださいと、切々と話したのです。

しかし、また、法具(100万円)を授かったということを人づてに聞き、他人事ながら、大変苦しい思いになりました。

これ以上書くと、止まらなくなりそうなので、もうやめにしますが、愛とは何か、真実とは何か、そして、お金とは何か、など、考える契機にしていただければ、と、切に、思っています。


実際に支給されている厚生年金の平均額


僕の場合は、年金を満額もらえるようになるまでは、あと4年ほど。

その前に、報酬比例部分というものが、あと2年ほどでいただけます。

そこで、改めて、平均額、というものについて、調べてみました。

これは、厚生労働省が公開している「平成29年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」という報告書によるものです。


国民年金 単身者 55,615円
国民年金 夫婦2人分 111,230円
厚生年金 男性 166,668円
厚生年金 女性 103,026円
厚生年金(夫)+国民年金(妻) 222,283円
厚生年金 夫婦共稼ぎ 269,694円



うーん、転職も多く、カラ期間もある僕の場合、厚生年金女性平均、よりも、1万円ほど少ない金額。

ただ、僕の場合、ローコスト生活で生き抜く知恵とスキルがある点がアドバンテージ。

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このアドバンテージを駆使して、老後を乗り切る所存です。


福岡市のワンルームマンションで賢く生きる若者


ネットサーフィンをしていると、時々、非常に共感できるブログや記事に出合います。

たとえば、以下の記述などは、まったくその通り、と思いました。



僕はできる限り働きたくない、辛いこと、嫌なことをしないで済むように生きていたい。

そのために僕はできる限り安い生活費で、幸せに生きれるように「節約」を徹底しました。

自分が本当に必要だと思う物にお金を払って、無駄だと思う物には徹底的にお金を払わない。

そうして自分が幸せに生きるために節約した結果が6万円の生活費だったということです。


うーん、 この人は、家賃19000円の物件に住んでいるようですが、賃料を含めて、6万円以下の暮らし。

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それでいて、生活の質は、きちんと維持できている、という賢い人ですね。

そして以下も、その人の記事で共感できた部分。


理想の人生を送るためにお金をきちんと向き合う必要があります。

「お金に余裕のある暮らし」を実践するためには、極論2つの方法しかありません。

  1. 収入を増やす
  2. 出費を減らす(お金の必要ない生活を送る)

自分の手元に入ってくるお金を増やして、出ていくお金を減らせば良いだけです。

が、多くの人にとって前者の「入るお金を増やす」はそう簡単に実行できる方法ではありません。

収入を今すぐに増やすことは難しいですし、増やそうと努力しても長い年月が必要です。

しかし、後者の「出ていくお金を減らす」は今すぐに、誰でも実践できます。

お金を増やすのが難しいのなら、まずは出ていくお金を減らせば良い。

そうして「自分が生きるために必要最低限のお金」を安く抑えることができれば、

毎月◯円だけ稼げれば良いんだと把握できれば、余裕を持って生活することができますよ。



うーん、上記の記述は、まさに、僕の思っていることと同じ。

自分にとって何が必要で何が要らないかを明確にわかっている人は、低収入でもやっていけるということですね。


帰るべき家も、助けてくれる家族もない


昨日見た、NHKスペシャルは、車上生活者の暮らしぶりを伝えたものでした。

家事をしながら、途中まで見たのですが、最初に出てきた男性は、60代で、年金は月10万円。

アパートで生活すると、家賃や光熱費、ほかで、月14万円必要だが、車中生活なら、10万円でやっていけると言い、死んだ奥さんの写真などを持っていました。

10万円あれば、家賃を払っても、ぎりぎりやっていけると思いますが、もう会社に出勤する必要がないのだから、家賃の安いところに住めばねえ、と思いますが、車の中では、体を休めることもできないと、思いますがねえ。 

なんか、単に生活リテラシーが低いだけなんじゃね、と思いましたよ。

この、60代男性のことは、共感もできなかったし、かわいそうだとも思いませんでした。

ただ、それ以外にも、やむを得ぬ事情から、車道生活となった人はいると思うし、以下のようなケースであれば、深刻です。


家を失って籠もるように車上生活をする。あるいは、家を捨てて逃げるように車上生活に入る。今、日本の社会の底辺で「誰にも助けを求めずに気が付いたら車上生活に入ってしまった」という人たちが少しずつ増えているというのが分かっている。

道の駅や、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでは、キャンプ気分で車上泊する人たちとは別に、ひっそりと車上生活をしているのではないかと思われる人や家族がいることを係員が報告している。

あるいは目立たない道路の側道で車を停めて、隠れるように車上生活し続けている人たちもいる。

彼らは様々な事情を抱えて車上生活をしているのだが、その多くは「借金から逃れるための車上生活」だったり、「家賃が払えなくなって家を失って車上生活」だったりする。

通常、そうなった場合は然るべき機関に相談に行って最適な処理をするのが普通なのだが、途方に暮れたまま何もしないで流されるように車上生活に追い込まれる人も存在するのだ。


うーん、あるいはまた、大都会を漂流する漂流女子、なども、深刻です。


すでにネットカフェ難民が忘れられて久しい。しかし、彼らは消えたわけではない。東京を代表する歓楽街である歌舞伎町には十数件ものネットカフェが林立しているのだが、どのネットカフェにも、そこに「住み着いている人たち」が大勢いる。

男性だけでなく女性も多い。そのため、女性専用のフロアを用意しているネットカフェも普通になった。

早朝、歌舞伎町をぼんやりと佇んでいると、ネットカフェから出てきてキャリーバッグを2つほど引きずって疲れた足取りで人気のない雑居ビルの入口に座り込み、暗い顔でスマートフォンの画面をのぞき込んでいる若い女性を見ることもある。

彼女たちも住所がない。仕事は日雇いの派遣などが多いのだが、いつも仕事があるわけでもないので資金が乏しくなる。そのためネットカフェに24時間いることもできず、寝る時だけ入って目が覚めたらチェックアウトしている。そしてキャリーバッグを2つほどを転がして、どうしたらいいのか思案しているのである。

こうした女性たちの一部は性風俗の店で働いているのだが、容姿や精神的な理由で性風俗からも弾かれる女性もいる。そんな女性がラブホテルが林立する区域にある大久保公園の周囲に座り込んでいる。

そこまで経済的に追い込まれているのであれば、実家に戻ればいいという人もいるのだが、彼女たちの多くは実家と折り合いが悪くて家を捨てており、帰るべき家も助けてくれる家族もない

住所を持たず、大都会のどん底を這い回っている。こうした女性を支援する行政の相談窓口もあれば、NPO団体も存在するが、彼女たちがそこに助けを求めることはない。彼女たちは自ら孤立してさまようだけだ。

皮肉なことに、いったん住所を失うと新しい住所を手に入れることが困難になる。なぜなら、新しい住所を手に入れるためには不動産の手続きの中で今の住所を記載する必要があったり、家賃保証会社の契約が必要だからだ。

家賃保証会社はボランティアでやっているわけではないので、きちんと家賃を支払ってくれそうにない人の保証をすることはない。現時点で住所を持たない人は、言うまでもなく信用が著しく欠如しているので契約が難しい。

そう考えると、この時代に生きる私たちはどんな困難に落ちても何が何でも守らなければならないのは、どんなに小さくてみすぼらしい場所でもいいから、「自分の住所を持ち続ける」ことを死守することだと分かる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。

住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく

住所がなければ通常の仕事を得るのは難しい。せいぜい日雇い労働くらいしか得られなくなる。その必要最小限の賃金では、そこから這い上がることすらも難しくなってしまう。

日雇いは不安定な仕事だ。どんな長期契約でも2ヶ月がせいぜいだ。それ以上雇い続けると社会保険を支払う義務が発生するからだ。実態は2ヶ月も雇ってくれることはなく、せいぜい2週間である。

だから、いったん日雇いにまで落ちると、いくら長期で働きたいと思っても向こうから切り捨てられて、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄となる。


うーん、老いも若きも孤独な生活者が増えつつある日本では、帰るべき家も助けてくれる家族もない漂流生活者が、今後増えていくのかもしれません。

格差の底辺で、地面にはいつくばって暮らしている


恋愛、結婚、出産をあきらめる、三放世代、それに加えて、就職やマイホームをあきらめる五放世代、さらに、人間関係や夢までもあきらめる七放世代、を通り超えて、今は、すべてをあきらめて生きるN放世代、が、韓国の若者を象徴している言葉だ、そうです。

日本の若者以上に厳しい韓国の状況を知るようになったのは、僕がビジネスホテルで働いていたころ。

二人の、韓国人の若者が、フロントスタッフとして働いていた時期がありますが、二人とも、優秀でした。しかし、自国の韓国では就職がままならず、新宿で働いていたわけです。

僕がもっとショックを受けたのは、まだ、母が生きていたころに、旅行で行った長野県の上山田温泉。

旅行日和の過去記事を辿れば、その記事もあるかと思いますが、 夜、温泉街を散歩していたら、まだ若い女性に声をかけられ、まあ、表向きはスナックの、裏では売春までやっているような店で、なんでこんな田舎の温泉街に韓国人がいるのだろうと思ったのですが、あとでネットで調べたら、そういう場所のようでした。

今回、パラサイト半地下の家族、というのが、話題なようで、韓国の大学で働く日本人の記事を読んだのですが、その内容は以下の通り。


 韓国で家を借りるには、巨額の頭金が必要だ。私が今住んでいる家でも、毎月支払う家賃とは別に、500万円ほどの頭金を預けている。それは家を引き払うときに戻ってくるから差し引きゼロなのだが、入居時にかき集めるのは大変だ。

 韓国人はその頭金を準備するのに、たいていの場合は夫婦で銀行から借りる。だが、私のような外国人は、つい数年前まではそれができなかった。

 お金を工面できなければ、頭金や家賃が飛び切り安い半地下生活が待っている。

 あるとき、転居先を探そうと不動産屋を周っていたとき、「お得な物件があります」というので、下見に行ったことがある。歩いて向かっている途中、家内が「たぶん、半地下よ」と言っていたのだが、ずばり当たっていた。韓国人にはそれとわかるものだったらしい(家内は韓国人である)。部屋に入ってみると、映画に出てくるように、歩いている人の足が窓から丸見えだった。

 その半地下の家に私の家族が住むことはなかった。結局、私の家族は何年も、一人暮らし向けのような狭い家に暮らすことになった。

 というのは、私には半地下の生活を受け入れがたいつらい記憶があったからだ。それは、映画でも描かれる大雨である。それが、この映画を見ていられない3番目の理由である。

 恐らく10年ほど前だろうか、私は半地下の部屋がある集合住宅の3階に住んでいた。半地下には高齢の女性が1人で住んでいた。ある夏の日、ソウルを大雨が襲った。すると、長時間にわたる集中豪雨で下水道が逆流したのだ。半地下のその女性の部屋にあっという間に浸水し、私は部屋から水をかき出したり、ポンプで排水できるようになってから家具を外に出してあげたりした。

 映画でも下水道が逆流する様子が描かれている。トイレから黒い液体がシュッと吹き出るのを、便器の蓋を占めてその上に乗って抑えるという場面だ。でも、実際はそんなお上品ではない。きっと排泄物も混ざっているに違いない茶色の液体が、化粧室からダムの放水のように流れ出るのだ。私はトイレのドアを閉めて、流れ込んでこようとする汚水を堰止めた。私はサンダルを履いて家具を運んでいたのだが、漏電防止のためブレーカーを落として電気を消しているのと、汚水に被われているために、床など見えるはずはない。家具を持ち上げて踏ん張ったとき、ガリッと足で何かを踏みつけた。その感触からしてグラスか何かのガラス製品だろう。一歩間違えば、大けがだった。

『パラサイト』という映画は、そういった場面を、ずいぶん見やすく描いていると思った。その一方で、半地下生活の映像を見ながら、私が見聞きしている実際の半地下生活の姿が脳裏でフラッシュバックされ続けていたのだ。私は映画を見ている間、何度か思わず目をつぶってしまった。

うーん、日本の、万引き家族を、思いだしました。

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