介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2020年02月

この変化し続ける世界で


朝、起きた時に、寝室の窓から電線が見え、その電線に雀が止まっているのを見て、恐竜を連想しました。

恐竜は、1億6000万年ほどの長きにわたって、生態系の頂点にいて繁栄していたとされていますが、白亜紀末期に、今のユカタン半島に、小惑星が衝突し、その後の地球環境の激変によって絶滅したと、されています。

まあ、あらゆる物証や、状況から、正確なことはわからないまでも、だいたいそのようなことなのだとは思いますが、 恐竜に怯えながら何とか生き延びてきた僕たちの祖先は、やがて、ほ乳類全盛の時代を迎え、その中から、紆余曲折を経て、人類種が誕生します。

どこからを人類種とするかは、意見の分かれるところだと思いますが、何とか、人類と呼べるであろう存在の出現が、今から700万年前。

現代人の感覚からすれば、1万年でも長く感じますが、キリストの生誕を2000年前、とすれば、その5倍の長さの範囲に、ピラミッドの建造なども入るとすれば、1万年は長いよね、と、思えます。

その700倍の長さの昔に、ようやく出現した人類、と、1億6000万年もの長きに渡って繁栄した恐竜種から、時間的空想をしてみると、長く生きて100年の、この人生は、あたかも、自分という意識が、泡のようにこの空間に顔を出し、パチンとはじけて消滅するような、感覚です。
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なので、この、人間としての個体に執着すると、苦しくもなり、切なくもなるのですが、無我を説いた釈尊の教説によれば、そもそも実体なる我、は、ないのですから、そこで、苦もまた、消滅していくわけですね。

一見すると、単に死ねば終わりという、唯物論にも誤解されかねない無我の悟りですが、諸法無我は、仏陀釈尊の四法印の一つ。

四法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦、のこと。

朝、電線に止まっていた雀から、恐竜を想起し、時の長さを空想し、絶えざる変化を想い、今もまた、その変化の途上にある自分に立ち返り、仏陀釈尊の類い稀な洞察力に、改めて感じ入った次第。

1億年、あるいは、数億年後の未来。

人類とは別の種で、地層を読み解く能力のある存在が、地球の歴史が刻まれた痕跡を見て、恐竜種の繁栄の長さに比して、やけに短い人類種の地層を見て、何を思うのでしょうか。

無駄に知能を発達させたがゆえに、自ら滅んでいった愚かな種、と、彼等は名付けるもしれません。

あるいは、こういう名でも、呼ばれるかもしれません。

小賢しさが災いとなり、利己主義で滅びた種、と。

静かな生活へと流れていく自分


今日は曇天で、小雨が降っている様子。 

こういう日もまた、落ち着いていていいのですよ。

さて、今の僕の生活は、一日一食の時もあれば、2食の時もあるといった感じ。

3食食べなければ、といった、強迫観念はありません。

正社員で働いていたころは、そうはいきませんでした。

仕事が込み入ってくると、昼食を抜くこともあり、それなりに重労働な仕事もあったので、食事は食べられるときに食べておかねば、という気持ちがありました。

今は、現役時代よりも、体重も10キロほど少なくなっていますが、これはダイエットしたわけではなく、かといって病気でもなく、自然に、今の生活に対応しただけの話。

つまり、自然な流れこそが大事だと、思っているわけです。


まあ、老子の無為自然が理想なので、少しでもそれに近づければ、と、思っているだけ。

で、唐突ですが、そろそろアルバイトも辞めて、人生をたたみ始めようと、思うようになりました。

アルバイトは、おそらく、来年の今頃までは、契約が更新されそうなのですが、そのため、僕もそのつもりでいたのですが、最近、どうにも、内省への思いが抑えられなくなりました。

つまり、隠遁し、自分を見つめたい、と。

当然、収入がなくなるので、預貯金の取り崩し生活となりますが、少ない貯金でどこまで持つのか、という心配もありますが、その時は、またその時対応すればよいのではないのか、と、思うようになりました。

それよりも、今、の、気持ち、を、大切にしたい、と。

なので、おそらく夏になる前には、アルバイトも辞めて、野山を歩いたり、川原で黙想したり、しながら、ひたすら自分を見つめていきたいし、その後、金に窮すれば、また、労働市場に身を投げてもいいかな、と。

先の心配よりも、今の気持ち、今の流れ、今の自分。

まあ、人は、生まれてくる前に、自分の人生を計画して来るらしいので、僕は、僕の人生に、身を任せて流れていくつもりです。

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通勤途上で見た、外国人の男性

信号待ちの時間でしたが、その短い時間にも、その男性が、礼拝しているのを、見ました。

おそらく、イスラム教かとは思いますが、敬虔な信者が多いですよね。

遠い異国の地で、彼を支えているのは、信仰なのでしょう。

コンビニの駐車場の片隅で、体を折るようにして祈っている姿を見て、僕は、気持ちが、引き締まるのを感じました。

反社会的なものを別にすれば、それが何であれ、その人が真剣に対峙しているモノを、軽視してはいけないと、強く、思いました。


武蔵の小京都を歩く


昨日は、武蔵の小京都と呼ばれている小川町を、少し歩きました。

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3連休の貴重な三日目であった昨日は、快晴。


まずは、か野やで、カキフライ定食を食す。


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税込み824円、で、800円分のチケットを使って、現金支出は24円。

キャベツと御飯は、お替りしました。

その後、カインズに車を止めて、小川町を散策。

友人Oが、おすすめの図書館にも行きました。


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確かによい図書館で、テラス席もいろいろなところにあり、特にこれからの季節には良いかも。

貧困関係の本を2冊、流し読み。


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テラスの上には、藤棚もあり、暑い季節には、陽射しをやわらげそう。

江戸時代から続く店も散見でき、観光客も、それなりに歩いていましたよ。

うーん、この3連休は、花火師で投資家のSさんの梅林でのバーベキュー飲み会と、武蔵の小京都、小川町のミニ散歩で、非日常空間に首を突っ込むことができました。

で、今日はまた、昼からアルバイトなので、貴重な午前の時間を、堪能しています。


梅林の中で男4人が奇声を上げる


昨日は、ほぼ毎年恒例となっている、花火師で投資家のSさん宅での、バーベキュー飲み会、がありました。

僕は、家を11時半ごろに出て、自転車に乗って走っていたのですが、風が強く、ペダルをこいでもあまり進まず、乗ったり、降りたり。


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徒歩や自転車だと、車の通らない道を選択できます。

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途中、こんなベンチで休んだりしながら、隣町のSさん宅へと向かいました。

参加者は、会場主である花火師で投資家のSさん、Sさんの投資の師匠で、40代でリタイア後は投資一筋で食べているTさん、そして、本田技研を数年前に定年退職した悠々自適生活のSAさん。


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七輪を囲み、乾杯ビールの後は、数種類の日本酒を、ゆるゆると飲みながらも、各自が言いたいことを言い、奇声を上げる場面も。

特に、SAさんは、常時ハイテンションで、喋りの独壇場状態。

僕以外の3人は富裕層ですが、僕は、忌憚なく、付き合っています。

まあ、楽しければ何でもいいので、人生、楽しんでなんぼじゃね、と、思っています。


お金についての考え方は人それぞれ


僕は50歳まで、お金を吐き出し続ける生活だったので、常にお金がない状態が、常態化していました。

つまり、お金がないのが当たり前で、お金のないことに、耐性があったわけです。

会社員として勤めていれば、その月、お金を使い果たしても、月末にはちゃんと給料が振り込まれる生活だったので、何とかなっていたのですね。

で、何よりも、自分のことは後回しで、宗教活動のほうに重きを置いていました。

ところが、50歳のときに素朴な疑問が生じ、それをきっかけに、様々な物事を見つめなおし、3年間の検証を経て、組織宗教から離れ、今日に至っています。 

複数の宗教組織にいたおかげで、ずいぶん多種多様な人間を見ることができたことは、有意義でした。

中でも、最後の所属宗教であった幸福の科学では、経済的に逼迫する人を何人も見てきました。

宗教に限らず、この人生そのものが、本人の自由意思で展開していく以上、他人がとやかく言う問題ではありませんが、熱量のある信者は、どうしても、教祖や教団の指示を真に受けて、自分の生活と照らして熟考する余裕もないままに、突っ走ります。

そして、安易に、これだけ、主のために、世の中のために頑張っている自分が、困ることになるはずはない、との、都合の良い自己納得をして、請われるままに多額のお布施をし、あるいは、伝道や啓蒙活動にと躍起になります。

そして、常に、貯金は、ゼロ行進。

生活に困った信者が他の信者からお金を借りることもありました。

つまり、多くの活動信者が、いつ倒れるかもわからない自転車操業状態。

で、大して活動もしていないいいとこ取りの信者もいて、彼らは、高みの見物状態。

あるいは、そもそもほとんど信仰心もない名ばかり信者も、かなりいたりします。

まあ、これは、実際に僕が退会してから、見えてきた部分もあるのですが、熱心な信者だった頃の自分であれば、高みの見物状態の信者や、名ばかり信者に対する、裁き心も出てきたでしょうね。

今はどうかと言うと、どんなありかたも、各人の自由だと思っているし、僕自身が、もうその教祖への信仰がないので、むしろ熱烈信者にこそ、モノ申したいのですが、自分の生活を大切にしてください、とね。

で、また今日も宗教の話かい、となってしまうので、お金の話に戻すと、お金のないことに耐性がある人は、実は結構幸せだったりします。

それは、僕自身も、まったくないわけではないが、預貯金は少ないほうだし、事実、50歳までは吐き出し続けた人生でしたからね。

で、僕の周りにも、ほとんど預貯金もない人がいますが、犬を飼ったりして、結構のんきに暮らしていたりします。そして毎日を、つつがなく暮らしています。

一方、そこそこお金があるのに、お金に対する不安が付きまとって離れない人もいます。

彼らはおそらく、無一文になった経験がなく、そのため、お金が無くなることを必要以上に、怖れているのかもしれません。

一度も転職したことのない人が、転職をひどく怖れるのに、似ているのかなあ。

昨日も、その預貯金もなく、むしろ借金のある人が、うちに来て、僕の淹れたコーヒーを二人で飲みながら、3時間ほど、楽しく会話したのですが、いやあ、幸福でしたねえ。

ほぼ、笑いっぱなしの3時間でしたよ。

金のない初老の男が二人、笑っているのですから、暢気なものです。

まあ、笑っているほうが、ナチュラルキラー細胞が活性化して、体調にもいいんですよ。

そう言えば、植木等が、こんな歌を歌っていましたねえ。




うーん、人生は、何とかなるもんですねえ。

自分を見つめること以上に大切なことなど、あるのだろうか


長らく、グル(宗教的指導者)を求めて、彷徨ってきた人生でしたが、これは、ある種の救世主待望症候群、なのかもしれません。 

こうした傾向のある人は、その相関関係にあるメサイアコンプレックスを持つ教祖と、出会いやすくなります。

メサイアコンプレックスで有名なのは、人民寺院の教祖、ジム・ジョーンズや、ブランチ・ダビディアンのデビッド・コレシュ。日本でいえば、オウム真理教の麻原彰晃。

この辺りは、実際に事件も起こしているし、わかりやすいのですよ。

問題は、事件にこそならず、表面化していないものの、カルト教祖の言動に振り回されて、自分の人生を翻弄される人が後を絶たない現実。

日本の宗教人口は、確か、日本の人口の2倍くらいだったと思います。

それだけ、日本では多くの人が宗教とかかわっていて、また、政治にも絡みますから、義理で信者になっている人や、商売上の付き合いから信者になっている人まで含めると、2億人くらいはいるのかもしれません。

で、そのような、百花繚乱と言うよりは、魑魅魍魎の世界に、心の安らぎはありません。


では、安らぎは、どこにあるか。

それは、自分の中にあります。

いや、自分の中にしか、本当の安らぎはありません。

つまり、グルであろうと、救世主であろうと、他者に、依存していては、真の安らぎなど訪れないのです。

で、仮に、素晴らしいグルがいたら、その人は、自分を崇めなさい、とは、決して言いません。

そうではなく、あなた自身の中にある真我、あるいはハイヤーセルフ、あるいは真実在、あるいは仏性、まあ、呼び方はどうでもいいのですが、それに、気づかせるようにするでしょうね。

それこそが、グルの役目ですからね。

ところが、偽物は、自分を崇拝させようとします。

自分に依存させ、自分に服従させ、魂の自由を奪い、束縛します。

そして、そうした信仰こそが尊いのだと、信者を洗脳します。

洗脳された信者は、無批判になります。

信者のほうでも、純粋なる信仰は美しいという自己陶酔に浸れます。

まあ、ある意味、winwinの関係でもあるわけです。

僕は、これを、相互依存、と呼んでいます。

さらに信者には、選ばれたる人間、であることの無意識の優越感が付きまといます。

教祖の高邁な理想や教えを理解できる自分は悟りが高い、との、自己陶酔の優越感、ですね。

お金がなかろうが、世間から相手にされなかろうが、この優越感や選民感覚があるうちは、信者は幸福と言えば幸福なのです。まあ、偽りの、誤魔化しの幸福なのですが。

しかし、僕に言わせれば、真実に向き合わない限り、真の平安は、ありません。

勇気をもって真実に向き合うことのできる人にだけ、その先にある真の平安への道が開けていきます。

まずは、不都合な真実と向き合うこと、そこを避けていては、いつまでも、その先にある、自分自身を見つめる段階には、行き得ません。

いったい、この世界に、自分自身を見つめること以上に大切なことなどあるのでしょうか。


肝心かなめの自分自身を見つめることをおろそかにして、いったいどんな救世活動ができると言えるのでしょうか。

これは、自分自身を見つめようとはせず、走り回っている、あるいは、走りまわされている、偽りの優越感や選民感覚を持っている信者が、灯りのない状態で闇雲に動いているに等しいのです。

「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

イエスは、宗教団体を作ろうとはしていないし、ひたすら、宇宙法則、について、述べています。

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法則を指し示すことが、指導者の役割であり、無私にしてその役割に徹した人は、イエス以外にも、何人かいます。

そうした話をしだすと長くなるので、やめますが、そのイエスも、後世の人たちに、都合よく利用され、再臨のイエスを語る偽メシアも、後を絶ちません。

偽メシアの特徴は、自分を崇拝させること

ここは、国を問わず、時代を問わず、共通しています。

一方、本物の指導者の特徴は、無私であり、他からの称賛など微塵も求めず、ただ、まだ気づきを得ていない人たちを宇宙法則である神にいざなう役割に徹している、ことです。彼ら、本物は、すでに十分満たされているので、他からの崇拝や承認は必要としていないのです。

本物の救世主の生き方は、素朴です。

主イエスのように、ね。

長くなったので、今日はここまでとします。


ギリギリのところで破綻を免れた僕の人生


父の介護で会社を辞めたのが、ちょうど4年前。

あれから4年が経ったのだなあと、感慨を新たにしています。 

良い区切りなので、当時のことを改めて思い起こしてみようと思います。

定年まであと3年と少しあったのですが、24時間の介護が必要になり、11年ほど勤めたビジネスホテルを退社したのですが、転職多き僕の人生で、結果的にその会社が一番長く勤めた場所でした。

そのビジネスホテル時代が、この世的にも、また、内面的にも、実に多くの学びを僕に提供してくれました。

それを、逐一書いていると膨大な量になるので、内面のみに焦点を当てると、そのホテルオーナーの社長と僕の上司、あるいは同僚との切磋琢磨の中で、意図せずに魂の足腰が強くなり、また、多くの気づきも与えられた、ということになります。

で、この気づき、こそが、生きていることの価値を高めるものだと、僕は思っているのですね。

つまりこれは、お金には換算できない価値、なのです。

気づきがあって初めて、人は変われる、と、思っているので。


さて、このビジネスホテル時代に、僕は18年弱信仰していた幸福の科学を辞めたのですが、そこに至る内面の葛藤は過去記事でも多少は触れていますが、本来ブログで簡単に書けるものではありません。

言葉の持つ意味性の限界があり、また、その言葉が人に与える印象も人それぞれなので、これは、直接会って話をし、言葉だけでなく、僕の放つ波動そのものから感じてもらうしかないことなのです。

で、これをした唯一の相手が、たびたびこのブログにも登場するAさんなのですが、おそらく僕の人生で、内面の深い話を、質的にも、量的にも、最も深く、多く話し合った相手が、Aさんであり、そのAさんは、今も、幸福の科学の信仰を把持しているので、そこは尊重しつつ、僕の思いを、かなり語りました。

こうして言葉を記しつつも、多くのことが言葉で掬い取れずに、零れ落ちていくのを、感じています。

それほど、言葉は頼りなく、つたなく、歯がゆいものなのです。

さて、話を先に進めましょう。

僕は、幸福の科学を53歳で退会しました。そして、介護離職したのが、57歳になる直前の56歳。

つまり、4年弱の期間、僕は、それまで幸福の科学に使っていたお金を、貯金することができました。

信仰心があるからこそ、別会計で、お布施や祈願、研修などにお金を使っていた僕でしたが、その信仰から脱した後は、自分の人生のために、お金を使うようになったのですね。

そして、その4年弱の期間に貯めたお金が、その後、大いに役立ちました。

もし、あの時期に幸福の科学を退会していなかったら、今頃は、間違いなく、生活破綻していたでしょう。

今、経済的にはそう余裕があるわけではありませんが、介護も終え、自分一人の経済なので、何とかやっていくことができています。

まさに、絶妙のタイミングでした。

まさに、僕の人生が、僕を導いてくれたのです。

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言いたいことの10分の1も言えていませんが、今日は、ここまでと、します。

どんなに頑張っても貯金できません


お金の問題は、煎じ詰めれば、足し算と引き算。

連立方程式はおろか、掛け算や割り算さえ、必要ありません。

加減乗除は小学校で習いますから、本来ならば、シンプルに生きていれば、経済破綻などするはずはないのですが、家計が逼迫している人が大勢います。

そういう僕も、50歳までカルト教団に搾取され、その後3年間、不都合な真実と正面から向き合い、そこで初めて目が開いたという大バカ者。

そんな大バカ者が偉そうなことを言う資格がないことは百も承知したうえで、今回、カードローン地獄に陥る人が後を絶たない現実の一端を見る思いがしたので、取り上げてみました。


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▼相談者

nikoさん(仮名)
女性/会社員/53歳
広島県/持ち家・一戸建て

▼家族構成

夫(自営業/53歳)、子ども3人(社会人で別居24歳、社会人21歳、高校2年)

▼相談内容

深野先生こんにちは、いつも拝見させていただいております。もう破綻しているといっても過言ではないくらいの家計です。正直なところを書きますので、厳しいご指摘お願いします。

夫の転職時のマイナスとかの事情で、借金を抱えどんなに頑張っても貯金できません。自宅は2年前に購入。当時すでにカードローンを抱えていましたが、子どもたちに自室を与えたくて無理して購入しました。頭金はなしの全額ローンです。

当然、諸費用、購入後の家具、引っ越しなど全てに困り、カードに頼った次第です。お恥ずかしい話ですが。現在、住宅ローン以外に11万円ほどの返済をしています。

2年前に末の子どもが私立高校に入り、教育ローンを組みましたが、そのほとんどが滞納していた国保料に消えました。

現在、外食もせず、夫婦とも酒もタバコもしません。夫は自営業でもちろんボーナスなどありません。体を使う仕事のため、これ以上は望めません。国保の支払いもあります。

私は手取り10万円くらいの仕事をしていましたが、毎月赤字になるので、住宅ローン返済と貯金を考え、転職しました。

サービス業ですが自分の目標通りにいけば、(そのように努力しますが)手取り18万円ほどは見込めると思います。また、私の収入が実績によってですが、月2~3万円増えることもあるかと思います。

以下のデータの通りだと、月数万円は余ることになります。今後、この収入から月3万円くらい貯めていき、少しずつ借金を返していきたいのですが、まとまったら返すのと、月の支払いを増やすのとどちらがいいのでしょうか?

ただ、件数、金額が大きいので、銀行のやっているおまとめローンを利用できたらと考えています。金利も低くなり、毎月の支払いも減るので、その分を貯蓄に回し、早期返済を目指すというのもありでしょうか?

現時点ではローンの滞納はありませんが、私の仕事の実績次第では、窮地に陥ることも考えられなくはないです。とにかくどうしたら家計をプラスにできて、貯金ができるのでしょうか?
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家計収支データ補足

(1)住宅ローンについて
・借入額/2500万円
・金利/0.7%(フラット35)
・返済期間/31年
固定資産税額(年間)6万円

(2)教育ローンについて
・借入額/200万円
・金利/2%
・返済期間/3年据え置き、10年

(3)加入保険について
・夫/共済=毎月の保険料5000円
・妻/共済=毎月の保険料5000円

(4)お子さんについて(相談者コメント)
1人目の子どもは社会人で別居です。2人目も社会人、家に2万円いれています。本人の給与から払わせる予定ですが、車も購入予定です。

3人目は高校2年生ですが、高校卒業後は他県の専門学校に行くと言っています。3年ほど前から言っているので、無理をしてでも行かせたいと思っています。ですが、このままでは学費が用意できません。


うーん、この相談に対するFPの答えは、次の通り。

アドバイス1:悪循環からは脱するには「本気」の見直しを
アドバイス2:貯蓄200万円を目標に、ローン返済はそのあと
アドバイス3:より長く働くことで住宅ローンに対処


うーん、結局答えるほうも、当たり前のことしか言えませんねえ。

つまり、世の中は、本当はものすごくシンプル

少し前の記事で、福岡市のワンルームに住む若者の話をしましたが、入ってくるお金と出ていくお金の兼ね合いだけの話、なのですよ。

複雑なことは、何もないんです。

人生に魔法はなく、奇跡も、基本的にはありません。

魔法や奇跡をちらつかせて金を毟り取るのは、カルト教団や偽霊能者の常とう手段。

99.9パーセントの庶民は、地道に生きるしかなく、それこそが王道です。

そしてこの王道は、決して卑下するものでも、見くびるものでもなく、安らぎの道なのです。

地に足をつけて生きていれば、困ることはありません。

自分を失い、別のもの(間違った常識や世間体、見栄、カルト教祖や偽霊能者、偏った思想信条などなど)に振り回されている人は、自分を見つめ照らすことなく、走らされているので、自分の人生なのに、自分がどこに向かって走っているのかさえ、わからなくなっています。

そんな人を、何人も、見てきました。

いや、今偉そうなことを言っているこの僕自身が、そのような人間の代表でした。

己のレゾンデートルを守るために、臭いものに蓋をし、真実から目を背け、偽りの神、まぼろしに、大切な時間とお金だけでなく、心を、捧げていたのです。

だから僕は、敢えて、このブログでも、暗い話題も、取り上げています。

僕が、53歳で退会した宗教団体には、良い人が多いのですが、その中のある高齢の女性は、旦那さんが老後の支えにと残してくれた1000万円のうちの600万円を、旦那さんの死後わずか1年以内に、様々な名目で、お布施してしまいました。

その団体は、祈願や○○植福、研修、あるいは各種法具など、万単位、10万円単位、あるは、100万円単位の、モノまであります。

その高齢女性は、人間的にも大変すばらしい人で、僕の母も大変お世話になったのですが、その旦那さんがなくなった一年後に会ったときに、お父さんが残してくれた1000万円が、今は400万円よ、と笑って言っていたのですが、僕はその時、どうか、その400万円だけは、ご自分のために使ってくださいと、切々と話したのです。

しかし、また、法具(100万円)を授かったということを人づてに聞き、他人事ながら、大変苦しい思いになりました。

これ以上書くと、止まらなくなりそうなので、もうやめにしますが、愛とは何か、真実とは何か、そして、お金とは何か、など、考える契機にしていただければ、と、切に、思っています。


実際に支給されている厚生年金の平均額


僕の場合は、年金を満額もらえるようになるまでは、あと4年ほど。

その前に、報酬比例部分というものが、あと2年ほどでいただけます。

そこで、改めて、平均額、というものについて、調べてみました。

これは、厚生労働省が公開している「平成29年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」という報告書によるものです。


国民年金 単身者 55,615円
国民年金 夫婦2人分 111,230円
厚生年金 男性 166,668円
厚生年金 女性 103,026円
厚生年金(夫)+国民年金(妻) 222,283円
厚生年金 夫婦共稼ぎ 269,694円



うーん、転職も多く、カラ期間もある僕の場合、厚生年金女性平均、よりも、1万円ほど少ない金額。

ただ、僕の場合、ローコスト生活で生き抜く知恵とスキルがある点がアドバンテージ。

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このアドバンテージを駆使して、老後を乗り切る所存です。


福岡市のワンルームマンションで賢く生きる若者


ネットサーフィンをしていると、時々、非常に共感できるブログや記事に出合います。

たとえば、以下の記述などは、まったくその通り、と思いました。



僕はできる限り働きたくない、辛いこと、嫌なことをしないで済むように生きていたい。

そのために僕はできる限り安い生活費で、幸せに生きれるように「節約」を徹底しました。

自分が本当に必要だと思う物にお金を払って、無駄だと思う物には徹底的にお金を払わない。

そうして自分が幸せに生きるために節約した結果が6万円の生活費だったということです。


うーん、 この人は、家賃19000円の物件に住んでいるようですが、賃料を含めて、6万円以下の暮らし。

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それでいて、生活の質は、きちんと維持できている、という賢い人ですね。

そして以下も、その人の記事で共感できた部分。


理想の人生を送るためにお金をきちんと向き合う必要があります。

「お金に余裕のある暮らし」を実践するためには、極論2つの方法しかありません。

  1. 収入を増やす
  2. 出費を減らす(お金の必要ない生活を送る)

自分の手元に入ってくるお金を増やして、出ていくお金を減らせば良いだけです。

が、多くの人にとって前者の「入るお金を増やす」はそう簡単に実行できる方法ではありません。

収入を今すぐに増やすことは難しいですし、増やそうと努力しても長い年月が必要です。

しかし、後者の「出ていくお金を減らす」は今すぐに、誰でも実践できます。

お金を増やすのが難しいのなら、まずは出ていくお金を減らせば良い。

そうして「自分が生きるために必要最低限のお金」を安く抑えることができれば、

毎月◯円だけ稼げれば良いんだと把握できれば、余裕を持って生活することができますよ。



うーん、上記の記述は、まさに、僕の思っていることと同じ。

自分にとって何が必要で何が要らないかを明確にわかっている人は、低収入でもやっていけるということですね。


帰るべき家も、助けてくれる家族もない


昨日見た、NHKスペシャルは、車上生活者の暮らしぶりを伝えたものでした。

家事をしながら、途中まで見たのですが、最初に出てきた男性は、60代で、年金は月10万円。

アパートで生活すると、家賃や光熱費、ほかで、月14万円必要だが、車中生活なら、10万円でやっていけると言い、死んだ奥さんの写真などを持っていました。

10万円あれば、家賃を払っても、ぎりぎりやっていけると思いますが、もう会社に出勤する必要がないのだから、家賃の安いところに住めばねえ、と思いますが、車の中では、体を休めることもできないと、思いますがねえ。 

なんか、単に生活リテラシーが低いだけなんじゃね、と思いましたよ。

この、60代男性のことは、共感もできなかったし、かわいそうだとも思いませんでした。

ただ、それ以外にも、やむを得ぬ事情から、車道生活となった人はいると思うし、以下のようなケースであれば、深刻です。


家を失って籠もるように車上生活をする。あるいは、家を捨てて逃げるように車上生活に入る。今、日本の社会の底辺で「誰にも助けを求めずに気が付いたら車上生活に入ってしまった」という人たちが少しずつ増えているというのが分かっている。

道の駅や、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでは、キャンプ気分で車上泊する人たちとは別に、ひっそりと車上生活をしているのではないかと思われる人や家族がいることを係員が報告している。

あるいは目立たない道路の側道で車を停めて、隠れるように車上生活し続けている人たちもいる。

彼らは様々な事情を抱えて車上生活をしているのだが、その多くは「借金から逃れるための車上生活」だったり、「家賃が払えなくなって家を失って車上生活」だったりする。

通常、そうなった場合は然るべき機関に相談に行って最適な処理をするのが普通なのだが、途方に暮れたまま何もしないで流されるように車上生活に追い込まれる人も存在するのだ。


うーん、あるいはまた、大都会を漂流する漂流女子、なども、深刻です。


すでにネットカフェ難民が忘れられて久しい。しかし、彼らは消えたわけではない。東京を代表する歓楽街である歌舞伎町には十数件ものネットカフェが林立しているのだが、どのネットカフェにも、そこに「住み着いている人たち」が大勢いる。

男性だけでなく女性も多い。そのため、女性専用のフロアを用意しているネットカフェも普通になった。

早朝、歌舞伎町をぼんやりと佇んでいると、ネットカフェから出てきてキャリーバッグを2つほど引きずって疲れた足取りで人気のない雑居ビルの入口に座り込み、暗い顔でスマートフォンの画面をのぞき込んでいる若い女性を見ることもある。

彼女たちも住所がない。仕事は日雇いの派遣などが多いのだが、いつも仕事があるわけでもないので資金が乏しくなる。そのためネットカフェに24時間いることもできず、寝る時だけ入って目が覚めたらチェックアウトしている。そしてキャリーバッグを2つほどを転がして、どうしたらいいのか思案しているのである。

こうした女性たちの一部は性風俗の店で働いているのだが、容姿や精神的な理由で性風俗からも弾かれる女性もいる。そんな女性がラブホテルが林立する区域にある大久保公園の周囲に座り込んでいる。

そこまで経済的に追い込まれているのであれば、実家に戻ればいいという人もいるのだが、彼女たちの多くは実家と折り合いが悪くて家を捨てており、帰るべき家も助けてくれる家族もない

住所を持たず、大都会のどん底を這い回っている。こうした女性を支援する行政の相談窓口もあれば、NPO団体も存在するが、彼女たちがそこに助けを求めることはない。彼女たちは自ら孤立してさまようだけだ。

皮肉なことに、いったん住所を失うと新しい住所を手に入れることが困難になる。なぜなら、新しい住所を手に入れるためには不動産の手続きの中で今の住所を記載する必要があったり、家賃保証会社の契約が必要だからだ。

家賃保証会社はボランティアでやっているわけではないので、きちんと家賃を支払ってくれそうにない人の保証をすることはない。現時点で住所を持たない人は、言うまでもなく信用が著しく欠如しているので契約が難しい。

そう考えると、この時代に生きる私たちはどんな困難に落ちても何が何でも守らなければならないのは、どんなに小さくてみすぼらしい場所でもいいから、「自分の住所を持ち続ける」ことを死守することだと分かる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。

住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく

住所がなければ通常の仕事を得るのは難しい。せいぜい日雇い労働くらいしか得られなくなる。その必要最小限の賃金では、そこから這い上がることすらも難しくなってしまう。

日雇いは不安定な仕事だ。どんな長期契約でも2ヶ月がせいぜいだ。それ以上雇い続けると社会保険を支払う義務が発生するからだ。実態は2ヶ月も雇ってくれることはなく、せいぜい2週間である。

だから、いったん日雇いにまで落ちると、いくら長期で働きたいと思っても向こうから切り捨てられて、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄となる。


うーん、老いも若きも孤独な生活者が増えつつある日本では、帰るべき家も助けてくれる家族もない漂流生活者が、今後増えていくのかもしれません。

格差の底辺で、地面にはいつくばって暮らしている


恋愛、結婚、出産をあきらめる、三放世代、それに加えて、就職やマイホームをあきらめる五放世代、さらに、人間関係や夢までもあきらめる七放世代、を通り超えて、今は、すべてをあきらめて生きるN放世代、が、韓国の若者を象徴している言葉だ、そうです。

日本の若者以上に厳しい韓国の状況を知るようになったのは、僕がビジネスホテルで働いていたころ。

二人の、韓国人の若者が、フロントスタッフとして働いていた時期がありますが、二人とも、優秀でした。しかし、自国の韓国では就職がままならず、新宿で働いていたわけです。

僕がもっとショックを受けたのは、まだ、母が生きていたころに、旅行で行った長野県の上山田温泉。

旅行日和の過去記事を辿れば、その記事もあるかと思いますが、 夜、温泉街を散歩していたら、まだ若い女性に声をかけられ、まあ、表向きはスナックの、裏では売春までやっているような店で、なんでこんな田舎の温泉街に韓国人がいるのだろうと思ったのですが、あとでネットで調べたら、そういう場所のようでした。

今回、パラサイト半地下の家族、というのが、話題なようで、韓国の大学で働く日本人の記事を読んだのですが、その内容は以下の通り。


 韓国で家を借りるには、巨額の頭金が必要だ。私が今住んでいる家でも、毎月支払う家賃とは別に、500万円ほどの頭金を預けている。それは家を引き払うときに戻ってくるから差し引きゼロなのだが、入居時にかき集めるのは大変だ。

 韓国人はその頭金を準備するのに、たいていの場合は夫婦で銀行から借りる。だが、私のような外国人は、つい数年前まではそれができなかった。

 お金を工面できなければ、頭金や家賃が飛び切り安い半地下生活が待っている。

 あるとき、転居先を探そうと不動産屋を周っていたとき、「お得な物件があります」というので、下見に行ったことがある。歩いて向かっている途中、家内が「たぶん、半地下よ」と言っていたのだが、ずばり当たっていた。韓国人にはそれとわかるものだったらしい(家内は韓国人である)。部屋に入ってみると、映画に出てくるように、歩いている人の足が窓から丸見えだった。

 その半地下の家に私の家族が住むことはなかった。結局、私の家族は何年も、一人暮らし向けのような狭い家に暮らすことになった。

 というのは、私には半地下の生活を受け入れがたいつらい記憶があったからだ。それは、映画でも描かれる大雨である。それが、この映画を見ていられない3番目の理由である。

 恐らく10年ほど前だろうか、私は半地下の部屋がある集合住宅の3階に住んでいた。半地下には高齢の女性が1人で住んでいた。ある夏の日、ソウルを大雨が襲った。すると、長時間にわたる集中豪雨で下水道が逆流したのだ。半地下のその女性の部屋にあっという間に浸水し、私は部屋から水をかき出したり、ポンプで排水できるようになってから家具を外に出してあげたりした。

 映画でも下水道が逆流する様子が描かれている。トイレから黒い液体がシュッと吹き出るのを、便器の蓋を占めてその上に乗って抑えるという場面だ。でも、実際はそんなお上品ではない。きっと排泄物も混ざっているに違いない茶色の液体が、化粧室からダムの放水のように流れ出るのだ。私はトイレのドアを閉めて、流れ込んでこようとする汚水を堰止めた。私はサンダルを履いて家具を運んでいたのだが、漏電防止のためブレーカーを落として電気を消しているのと、汚水に被われているために、床など見えるはずはない。家具を持ち上げて踏ん張ったとき、ガリッと足で何かを踏みつけた。その感触からしてグラスか何かのガラス製品だろう。一歩間違えば、大けがだった。

『パラサイト』という映画は、そういった場面を、ずいぶん見やすく描いていると思った。その一方で、半地下生活の映像を見ながら、私が見聞きしている実際の半地下生活の姿が脳裏でフラッシュバックされ続けていたのだ。私は映画を見ている間、何度か思わず目をつぶってしまった。

うーん、日本の、万引き家族を、思いだしました。

稼いだお金は使ってナンボだがメリハリも大事かと


僕は預貯金も少なく、まあ、ぎりぎりの生活を送っているわけですが、悲壮感といったものはありません。

その理由は、至極簡単。

お金は、あの世に持って行けないから、です。

つまりですね、極論すれば、死ぬときには一文無しでも良いのですよ。

まあ、これは、極論ね。

いくらかは、お金を残して死ぬでしょうが、死というゴールがわかりきっている以上、必要以上にあくせく働いてお金を稼ぐ必要がどこにある、ということ。

つまり、自分が過不足なく生きられる程度のお金さえあれば、あとは、気楽に、山歩きしたり、図書館で借りてきた本を読んだり、ネットで無料コンテンツを見たりして、楽しく暮らしたほうが良くね、と。

今の時代、無料のコンテンツが腐るほどあるのですから、よっぽどのものでない限り、有料のものに手を出す必要は、なし。

それよりも、大切なのは自分の時間ですよ、自分の時間。

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だって、自分の人生を生きているんですからね。

だから僕は、ローコスト生活を送りながらも、結構旅行に行くし、それ以外にもいろいろ楽しいことをしています。

まったくもって、人生は楽しいことだらけなのですよ、その気になって工夫してみれば、という前提でね。

つまらない、とか言ってるやつは、工夫が足りないんです。

あるいは、視野が狭いか、料簡が狭いか、人間がせこいんです。

自分で、自分の人生をつまらなくしているんです。

自分の人生は自分で楽しくする、これですね。

他人に依存してはだめですよ。他人はあなたを楽しませてはくれませんからね。あなたの足を引っ張ることはするかもしれませんが。

で、稼いだお金は使うときには躊躇なく使う、これが大事かと。

先日、ウォーターサーバーが我が家にやってきましたが、これは、僕が価値があると、判断したから。

包丁も、僕の使っているのは一本一万円のもの。それが、3本あります。自慢してるんじゃないですよ、モットーはローコスト生活ですからね。

自慢じゃなくて、自分の判断で、価値のあると思うものにはお金を使っているだけなんです。

電気釜も、2合炊きですが、3万円以上するものを使っています。

包丁にしろ、電気釜にしろ、妥協せずにいいものを買うのは、食が大事だと、思っているからなんです。

冷蔵庫も、一人暮らしにしては大きすぎる容量のものを使っているし、エアコンも、一つは、東芝の最上級モデル、もう一つは、ダイキンの最上級モデルを使用していますが、冷蔵庫やエアコンは、家電の中では、最大に僕に恩恵をもたらすものだと思っているからです。

冷蔵庫やエアコン、あるいは、電気釜、などは、良いものを使うリターンが大きい、と、僕は思っているんですね。

その一方、自動車は数十万円の軽自動車でしかも新古車。近場を移動するだけなので、燃費が良くて小回りが利く車がベストだし、コスパがよいわけです。

アルバイト先の同僚などは、プリウスやエスクワイアに乗っていますが、どちらも、僕の軽自動車の数倍の値段。

まあ、人の価値観はそれぞれなので、僕は干渉しませんが、モノを買うときは、その買ったものが、どれだけ自分を幸福にするかを考えます。

その幸福度のリターンが、僕がモノの価値を測る基準。

で、幸福度のリターンが高いものには、妥協なく、自分ができる範囲でという限定ですが、最高のものを使ったほうが良いと思っています。

お金は、使ってこそ価値があるものですからね。

金だけ貯めてあの世に行くのが、最悪のパターン。

もちろん、浪費して預貯金ゼロは論外ですが、そんなに貯めこんでもあの世には持って行けないので、使うときには使い、締めるときには締める、それでいいんじゃね、ということですね。

みすぼらしい自分を飾る(盛る)何かが必要だった


昨日は、小説家を目指していたころの自分について話しましたが、その夢の途中で、20代の中頃ですが、何とも言えないむなしさに襲われ、統一教会に導かれました。

新潟での生活を終え、 スキー場のアルバイトでためた100万円ほどのお金をもって、東京の板橋で独り暮らしを始めてすぐ、赤羽で声をかけられたのがきっかけで、統一教会へ。

もう、その頃には、親の代からやっていた世界救世教の教義では物足りなくなっていて、善悪についての根源的な悩みを持っていたのですね。

その悩みを解決してくれたのが統一原理だったわけです。

で、このまま、宗教的な話になると長くなるので、カットし、結論から言うと、統一教会での生活に耐えられなくなって脱走し、洗脳が解かれぬまま、再び、小説家への道を目指したのですが、その胆力もなく、30歳が近くなるにつれ、不安と焦りから、急かされるように職を転々とし、米軍横田基地に職を得るころに、小説家を目指しつつ、英語の勉強も始めました。

当時、大半の友人は、結婚もし、子供もでき、順調なキャリアを積んでいました。

大きく水をあけられたと思った僕は、みすぼらしい自己像を盛るためにも、何とかこの辺りで一旗揚げたいと小説も頑張ったのですが、上手く行かず、次第に英語学習のほうに力を入れるようになりました。

小説と違い英語は、やった分だけの成果が形に現れるのが、良かったですね。

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まずは英検2級をとり、その後、英検準一級を取りました。同時に、国連英検B級も取り、まあ、そこそこ英語は話せるようにもなり、英語能力が、僕の中にある欠落感を、ある程度は埋めてくれたように思います。

で、不思議なことですが、容姿や背が低いコンプレックスというのは、なぜか、ありませんでした。

顔は男まえでもない代わりにそんなに不細工でもない、普通だろうと思っていたし、背丈も、164センチと、ちびはちびですが、極端なちびでもない、と。まあ、十人並みだろう、と。

で、男は、もともと、容姿よりも、中身、というか、そっちにこだわる生き物かもしれませんねえ。

中身というよりも、スペック、といったほうがいいかなあ。スペックを向上させることが、生きる武器にもなるし、女にもてる要素にもなる、という、動物的本能に根差した欲求でしょうねえ。

どうも、無自覚なまま、本能的に感じているスペックの低さという欠乏感を埋めるのに、必死だったのかもしれません。


横田基地時代は給料も安く、その後も転職は続くのですが、その後も、英語は、自分にとっては数少ない武器の一つだったので、勉強は継続しました。

まあ、実際に、英語が話せて役に立ったという実利的な面もありますが、同時に英語は、自分を飾る、あるいは盛る、ための道具だった側面が強かったように思います。

自分の中にある欠乏感を埋めようと必死だったころ


朝方、ふと昔の自分が思いだされ、 少し、過去を振り返りたい気持ちになりました。

高校時代、僕は文芸部に所属しており、詩や小説のようなものを書いていたのですが、大学には行かず、就職もせず、フリーターに。

当時はまだ、フリーターなどという言葉もなかったように思いますが、根拠のない過剰なまでの自信というか、自己肯定感を持っており、自分は必ず名のある作家になると、思いこんでいました。

無頼派の坂口安吾、その後は中上健次とか、宮本輝などに、傾倒していきました。高校時代は、ヘルマン・ヘッセなどを読んでいました。まあ、夢見る文学少年だったわけですよ。

で、ドン・キホーテのごとく、世間の荒波に突っ込んでいって玉砕。

職を転々としながらも、小説を書き続け、文学界やら群像やら、ありとあらゆる文芸誌の新人賞に投稿し続けました。

まあ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、じゃないですが、24歳のときに、一度、ある文芸誌に、150枚ほどの小説が載ることになり、生まれて初めて、原稿料なるものをいただきました。

まあ、普通であれば、その原稿料を、親孝行にでも使えばいいのに、当時も、神様狂いしていた僕は、当時信仰していた、世界救世教に、全額献金してしまったのです。

そう言うと、何か、偉そうにも聞こえるかもしれませんが、僕の中の気持ちとしては、さらなるご利益というか、導きというか、作家として成功できるように導かれたいという野心というか、下心があっての献金ではなかったかと、思っています。

当時の僕が、そこまで明確な意図をもって献金したのか、あるいは、世に出たお礼としての意味合いもあったとも思うし、そうしたいくつかの思いがまじりあった献金だったのかもしれません。

さて、このまま書いていくと、相当長くなりそうなので、思いっきり端折って、結論を言うと、確かに、物語をつくりたい、感動を共有したいという思いはあったと思います。しかし同時に、自己顕示欲も相当あり、芥川賞をとってちやほやされたい、注目を集めたい、すごい人間だと思われたい、という思いがありました。

で、なぜ、そうした思いを強く持っていたのかと言うと、自分の中に欠落感があったからではないか、と思います。

その欠落感を埋めるためには、何かしらの名誉、が、必要だったのです。

そのような欠乏感は、焦燥感を生み、さらに拍車をかけて、自分のことだけに集中していきます。

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仕事は、身過ぎ世過ぎの手段であり、小説家こそが俺の本業なのだという自尊心から、職場ではしばしば高慢な態度をとっていたと思います。

まったくもって、今から思えば、迷惑はなはだしい高慢ちきな人間でした。プライドが高く、理屈っぽい割に、仕事はできない、そんな人間でした。

まあ、一言でいえば、世間を舐めているバカ野郎、ですねえ。

まあ、当然、こういうバカ野郎には、世間は容赦しませんから、フルボッコにされた僕は、痛い目にあいながらも、さすがに、少しずつ学んでいきましたよ。

それでも、作家になりたいという思いは、まんざら見栄ばかりでもなく、多少は真摯な思いもあったようで、結局50歳で、500枚ほどの火星を舞台にした小説を書き、それが、最後になりました。

で、なりたい自分になれない、あるいは、欲しいものが手に入らない、ことを、仏教用語で求不得苦と言い、四苦八苦という八つの苦しみのうちの一つですね。

この苦しみに、悶え続けた人生でしたが、そうした時期があったからこそ、今の平安があるのだと、思っています。

今日は、長くなったので、ここまで。

猫が快適にくつろげる神社


新年になってから、まだ地元の神社に参拝に行っていなかったので、先日、行ってきました。

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うーん、瀬戸大也君には、ぜひとも金メダルを取ってもらいたいですねえ。


さて、この神社は、猫がよくくつろいでいて、この日も、拝殿周りの廊下を我が物顔に歩いていました。

参拝者は、まるで、猫に向ってお辞儀をしているようなもの。

まあ、おおらかな神社です。


猫も、神様とお近づきになれて幸せなご様子。


境内にも、猫がくつろぐ場所は多くあり、僕が近づくと逃げていく猫もいれば、このように、


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写真を撮らせてくれる猫もあり、

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でも、あんまり近づくと、逃げるかもしれないので、

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またぞろ距離を置いて、パチリ。

以前も、猫ちゃんを撮ったことがあり


神社に猫2匹

うーん、猫に好かれている神社なのだなあ、と、改めて、思った次第。

猫のくつろぎ方を、僕も見習おうと、思いましたよ。


住宅購入をきっかけに、節約に目覚める人は多い


最初から節約が上手な人というのは、おそらく、いないのではないでしょうか。

必要に迫られて、とか、何かのきっかけがあって、節約せざるを得なくなり、その結果として、節約が上手になる、というのが、一般的ではないかと思います。

あるじゃんで見た、41歳女性が、3000万円の住宅ローンを組んだ話が、身につまされました。

どこにそれを感じたのかと言うと、僕自身、一度、マンション購入で35年ローンを組んでおり、完済時の年齢が75歳だったという経験があります。

当時、幸福の科学という、大変お金のかかる宗教団体の活動会員をしていましたから、そちらの支出が半端なく、繰り上げ返済どころではありませんでした。

しかし、さすがに75歳までの住宅ローンに、危機感を覚え、2回、繰り上げ返済をしました。

まあ、マンションのローン返済中に、父が倒れ、自宅介護が必要になって、マンションを売却して、実家に戻り、その実家も建て替えて今に至っているわけですが、マンションの時も、建て替えた自宅に住む今も、ずっと、住宅ローンを支払っていて、まあ、言ってみれば、住宅ローン漬けの日々なわけですよ。

さて、僕のことはさておき、その女性の収支は、以下の通り。


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▼相談者

すなやまさん(仮名)
女性/会社員/41歳
関西/借家

▼家族構成

一人暮らし、犬と猫数匹

▼相談内容

お金を使うのが好きで、あればあるだけ使ってしまいます。精神的な不安定さや自分への甘さがあり、転職や引っ越しを繰り返し、そのたびに貯金をゼロにしてきました。ようやく貯金ができるようになったのは、収入が増えたここ4年ほどです。

この度、身の丈に合わない住宅を購入してしまい、今更ながら今後が不安になりました。今後転職の可能性もあります。また年齢的にも夜勤ができるのはあと長くて10年ちょっとだと思っています。そうなると、年収は200万円程度下がります。

すすめられるまま変動でローンを組んでしまったことも、注文住宅でトータルいくらくらいかかってしまうのか、まだ見通せないことも不安です。

家計簿はつけていますが、予算管理はできていません。今こそ貯めなければと焦っているのに、何か欲しいと思えば我慢がきかず購入してしまい、自己嫌悪に陥ることの繰り返しです。

結婚せず今後も一人で生きていく予定です。身体が動く限り働いていくしかないと思っています。

NISAを検討していますが、何の知識もないまま始めていいものなのか、また、保険もこのままでいいのか、もっと保障や貯蓄型のものを検討した方がいいのか迷っています。よろしくお願いいたします。

▼家計収支データ補足

(1)購入した住宅について
当初の予算は土地1200万円、建物1800万円だったが、400万円くらいオーバーしそう。住宅ローンは借入額3000万円、借入期間34年、金利は1.2%(団信付き)になる予定。

(2)定年と退職金について
勤務先の定年は60歳。定年延長は相談次第。

(3)クルマについて
クルマは必須地域のため、今後も10年ごとに買い替え発生。基本的には軽自動車を乗り継ぐ。

(4)加入保険について
・本人/医療共済(入院1万円、手術10万円)=毎月の保険料3000円

(5)ペット費用の内訳
猫砂5000円、ペットシート3000円、餌やおやつ・おもちゃに2万5000円、犬トリミング5000円、犬の持病にサプリメントと薬1万2000円

(6)ボーナスの主な使いみちについて
・ペット保険の保険料/12万円(犬5万円、猫7万円。今後も年齢が上がるごとに約1万円アップ。見直しも考えているが、今まで犬の病気や猫が大けがをした際に助けたので迷っている)
・旅行や大きな買い物/10万円
・犬猫の医療費/5万円(各種予防接種)
・残りは貯蓄


うーん、節約とは無縁の人のパターンとして、残ったお金を貯蓄する、というのがありますが、これが節約癖がつくと、逆になって、まず貯蓄をして、残ったお金で生活するようになりますよね。

で、FPは、なんて言っているのかと言うと、以下の回答。


アドバイス1:削らなくていいがこれ以上は増やさない
アドバイス2:自己資金200万円を出して借入額を抑える
アドバイス3:繰上返済より貯蓄アップを優先


うーん、FPも、あまり厳しいことは言っていませんが、ペットにかかる費用は、ある意味未知数だと、僕は思っています。

たとえば、僕の年上の友人でもあるタクシードライバーさんなどは、現在犬を4匹飼っていますが、そのうちの高齢になっているチワワのちなみちゃんなどは、酸素ハウスが必要になり、そのレンタル費用だけで、月に1万5000円です。

レンタルだと、長生きするほどお金もかさむということで、購入に踏み切ったそうです。

一度購入すれば、ほかの犬の時も使えるし、と、言っていました。

ペットは、予想外にお金がかかるようですが、もはや家族の一員なので、特別会計にしている人が多いのかもしれません。

この41歳女性も、にゃんこやわんこは、家族なのだと思います。

だからあえて、FPも、そこにはメスを入れなかったのかな、と、僕は推測しています。


楽あれば苦あり、寒風の中の作業で体が冷える


今日の仕事はつらかった、とうたう、岡林信康の山谷ブルースではありませんが、昨日は、この冬一番の寒さで、北風に吹かれながらの外作業で体が冷えました。

冷え切ったら、やばいので、ヒートテックの2枚重ねや、防寒着、エリマキ、などで、武装していましたが、それでも寒いものは寒い。

前日の有休休暇の天国から、一気に地獄とまでは言いませんが、厳しい世界に突入した感じ。

うーん、だからこそ、有休休暇を取ったときは、思いっきりリラックスして、天国にいたいのですよ。

さて、人生は、楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、ですよね。

一昨日の花和楽の湯での時間が天国だっただけに、昨日の寒風に吹かれる中での作業は、厳しさを痛感したという話。 

でも、こういう緩急があるからこそ、喜びも際立つのかもしれませんよ。

毎日が日曜日になって、それが当たり前になってしまうと、幸福の水準が上がってしまい、よっぽどのことがない限り、幸せを感じなくなってしまうかもしれません。

人間は、慣れてしまう動物。

してみると、程よい加減の苦と楽があい交互してせめぎ合っていたほうが、人生の彩としては、いいのかもしれません。

でも、僕は、やっぱり、常楽、を求めますが、ね。

まあ、その究極が、仏陀釈尊がたどり着いた涅槃寂静の境地なのかもしれませんが、

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日々の暮らしの中で、ほんの短い時間でも、そんな悟りの境地に近い心境になれたらと思う、凡夫の僕なのでした。

誰もいないカフェ


誰もいない海、というのは、聞いたことがありますが、昨日は、誰もいないカフェ、で、長い時間を過ごしましたよ。

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カフェの一角から高窓を見る

カフェと言っても、花和楽の湯の中にあるカフェで、前回も話したように、大半の人は、長い廊下を通ってそこまではいかず、手前のくつろぎ処か、寝転び処などでまったりしているのですが、

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この廊下を通った先に、

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この無料カフェが、あるのですよ。

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この、デトックスドリンクが飲み放題なわけで、それを自分の場所に運び、

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誰もいないカフェで自分の足を写しつつ、無料ドリンクを飲む、と。

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昨日は、ロッキングチェアに腰掛け、オットマンに足を乗せていました。

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数種類の露天風呂に入った後の、午後の静かな時間。

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ピアノもあるし、本も読み放題なのですが、瞑想的にリラックスするほうを選択。

再び、風呂に入り、今回の滞在時間は4時間弱。3時間制限だと思っていましたが、何時間いても良いようで、確かに店としては、長くいてもらって飲食でお金を落としてもらったほうがいいのかも。

でも、僕は、外で食事をすることにして、花和楽の湯を、出ました。

か野やで、遅い昼食。


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車で来ているので、ノンアルコールビールにしました。

その後、帰りがてら、道の駅に。


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和紙の町らしいオブジェです。

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貴重な、有給休暇の一日が暮れていきます。

帰りにベルクによって、500円券を消化し、買い物をして帰宅。

夜は、昼食が遅かったので、道の駅で買った手作り豆腐とベルクで買った甘酒の軽い夕食で済ませました。


自宅が快適だと、お金を使わなくなる


前回の記事で、お金があったら何をするだろうと考え、チャータークルーズなんかいいよね、と思ったのですが、では、それ以外で何かやりたいことはあるのか、と聞かれれば、やはり、旅行ぐらいしか、思い浮かびません。

何かのコレクターなどであれば、それこそ、お金のかかるコレクションは天井知らずでしょうから、いくらでもお金の使い道はあるし、女好きで酒好きであれば、銀座のクラブを飲み歩く、というお金の使い方もあるでしょうね。

僕は女好きではありますが、酒は強くないので、すぐに酔ってしまい、むしろ、そのあとの体調不良のほうがマイナスになります。

では、女遊びに狂うのはどうか、と想像しても、金にものを言わせて女性を抱いても、むしろ気怠さがつのるだけだと思います。

ということで、しばし妄想してみたのですが、前回取り上げた、4億円以上の大金を一日でゲットしたとしても、その4億円の使い道というのは、月並みですが、不動産を買い増して、車を上級車に買い替えるくらいしか、思いつきません。

あとは、温泉旅行で泊まる宿が、ハイクラスになる程度、かと。

しかし、今の生活を改めて見つめてみると、豪邸とは言い難いが、一人で住むには十分な広さの一戸建てに住んでいて、燃費のいい軽自動車に乗っていて、これまた小さな町を走るには小回りが利いてちょうどよく、僕にぴったりの車だと思っています。

つまり、住居にも、車にも、満足しているのですよ。

それなのに、お金があるからと、さらに大きな家に住み、上位クラスの車に乗り換えたとしても、さほど喜びや感動はないように思いますね。

してみると、4億円があっても、とりあえずは貯金して、まあ、それだけあれば、すぐにでもアルバイトを辞めて、即リタイアできますが、それは、たぶん嬉しいでしょうが、感動的に嬉しいというわけでもないかな、と。

しかして、足元を見ると、今の堅実な暮らしぶりも悪くはない、と。

今日は、有休をとっているので、これから、花和楽のへ行き、そのあと、どこかの店でランチして、さらに小川町周辺を味わいながら逍遥してこようと思っています。

まあ、この程度の娯楽というか、過ごし方で、とても満足できるので、欠けたるものなし。

そもそも、家が快適なので、下手なカフェで珈琲を飲むより、自宅で飲むほうが気分よかったりします。

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つまり、それほど、住空間は、大切だよね、と、いうこと。

親の介護で建て替えた家ですが、間取りがものすごく気に入っていて、特に、今こうしてブログを書いている机のある、2階の12畳の空間は、3方向に窓があり、陽射しがあふれています。

冬でも、この時間になると、もう温室のように暖かくなります。

僕が、ローコスト生活を維持できている大きな要因の一つが、快適な住空間なのだと、思っています。

お金があってパートナーがいたら、チャータークルーズがいいよね


昨日は、ちょっと暗い記事を書いたので、今日は夢のある話を。

まあ、今月は、午後勤務なので、余裕ぶっこいてますよ。

昨日は、JRAで、すごい馬券が出たようです。

当たった人は、100円の馬券が、4億3390万円になったとか。

その日一日で、人生が、変わりましたねえ、おめでとうございます。

うーん、最近の僕は、現実主義者で、あまり妄想とかしないのですが、もし僕にそれだけのお金があり、なおかつ、伴侶と言うべきパートナーがいたら、チャータークルーズの旅に行くでしょうねえ。

あれは、一人では、参加しにくいですからねえ。

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船上のジャグジーバスで、あるいは海に面した部屋や、デッキの上で、優雅に過ごし、世界中のごちそうに舌包みを打つと、いう感じでしょうか。


まあ、数時間後には、時給のアルバイトに行かねばならぬ身。

妄想は、今だけに、とどめておきましょう。


さて、まだ、先月の外食記録をしていなかったので、まとめると、5日が餃子の満州でモヤシソバ、6日が福よしでタンメンと餃子、8日がレストラン天狗で日替わりランチ、9日が串カツ田中、12日がジョイフルで和定食、17日が活鮮で寿司ランチ、18日が神楽坂さくらでロースかつとカキフライ定食、同じく18日が日高屋で中華そば大盛り、19日が個人経営の中華料理屋で青椒肉絲定食、21日がレストラン天狗で日替わりランチ、30日がブロンコビリーのランチ、31日がステーキ宮のランチ、でした。

外食は、計12回で、珍しくマックには一度も行かなかったようですね。


数か月前から、月が変わるたびに、前の月の外食を記録しているのですが、多少の漏れがあるかもしれません。

外食も楽しみつつ、基本は自炊のローコスト生活は、まだまだ続きます。

今の時代の便利さは 誰かの犠牲によって生み出されている


つくづく実感するのですよ、今の時代の便利さは、誰かの犠牲によって生み出されているんじゃね、ってね。

で、僕が懸念するのは、貧富の格差の拡大。

誤解しないでくださいね。こんなことを言うからって、僕は共産主義者じゃありません。

努力相応に報われる社会のほうがいいと思っているので、結果平等ではなく、機会平等であるべきだ、という考え方。

ただ、悲しいかな、機会平等にしたとしても、各人の努力やその他の運不運によって、その果実である結果には差が出てきます。

その結果の差が、端的には、貧富の差となって現れます。

で、その貧富の差というものは残酷なもので、この資本主義社会では、お金持ちが圧倒的に有利な立場にあります。

たとえば、僕が介護離職するまで働いていたビジネスホテルのオーナー社長などは、証券会社から優先的特権的に、IPO(新規公開株)なども割り当てられていました。

ふつうは、応募してから抽選で選ばれるのですが、証券会社も特別な顧客には、そうした優遇措置を取ることを、僕は見て知っていました。

IPOであれば、ほぼ確実に、初値売りで利益を出すことができます。ごくまれに、初値が公募価格を下回る公募割れ、というのがありますが、そんな銘柄であれば、そもそも証券会社は、大事な大口顧客に話を持ってきません。

つまりですね、何が言いたいかと言うと、お金持ちのところには、勝手に、美味しい話が転がり込んでくるということ。

まあ、オーナー社長が潤沢な資金力を持つこと自体は、回りまわって、従業員でもあった僕にも、良い影響をもたらすので、僕は、そうしたことも、肯定的にとらえていました。

僕は、自分で言うのもなんですが、お金持ちに対して全く嫉妬しないのですよ。お金持ちは、経済を循環させるポンプのようなものだと思っているので、お金持ちがいないと世の中は回っていかないのですよ。

で、話を元に戻すと、お金持ちがいるのはいいことなのですが、同時に、貧乏に漬物のように漬け込まれて、働いても働いても生活が苦しい人がいるのも事実。

で、働かざるを得ない人が、無理して働いて、その人自身の生活はかなり精神的にも追い詰められていたりするのを見ると、今の時代の便利さというものは誰かの犠牲の上に成り立っているとしか思えません。

たとえば、もう何年前になるのか、スキーバスの事故で、多くの若者がなくなりましたが、そのスキーバスの運転手は、65歳の男性。

彼は、生活に追われながらも、本来は、小型バスで近距離を専門にしていた人。

ところが、契約社員として入社したバス会社では、不慣れな大型バスの遠距離の運転をさせられ、断ることができなかったと言います。

生活費も底をつきやっとありついた会社で、彼は必死だったのだと思います。

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長距離バスの運転を断れば、また、路頭に迷うことになりますからね。

格安のスキーバスには、少しでもお金を節約したい若者たちが乗っていました。

生きるためのお金のためにハンドルを握り雪道を走る高齢ドライバーと、スキーバスの費用を少しでも抑えたい裕福とは言えない学生たち。

自らもその事故で亡くなった高齢ドライバーの男性は、家族や身内のいない孤独老人で、遺体の引き取り手もなかったそうです。

ガス欠で突然車が動かなくなるような疲れ方


昨日は、アルバイトの後、川越税務署に行ってきました。

混雑を避けて、2月になる前に行ったのですが、同じことを考えていた老若男女がかなりいましたよ。

そこそこ待たされて、パソコンの前に。

で、職員に聞きながら、いろいろと記入して、それよりも、人ごみの中にいたこともあり、なんだか、疲れました。

で、その後、帰りに、ステーキ宮で、遅いランチ。


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一杯目のサラダとランチスープ。

ステーキ宮の強みは、4種類のスープが自由にいただけること。まあ、たいがいは、クラムチャウダーと椎茸と卵のスープを選びます。

ブロンコビリーのサラダバーには、一歩及びませんが、取り皿が、ボウルタイプの深皿なのは取りやすい。


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200ブラムのハンバーグと大盛りライス。

サラダバーが食べ放題なんだから、ライスは大盛りにしなくてもよかったな、と、反省。

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ライス大盛りが効いて、二杯目のサラダはあっさりと。

デザートの杏仁豆腐も、味ではブロンコビリーのほうが上ですね。

まあ、しかし、ステーキ宮だと、


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このカードでの支払いになるので、一円に至るまで、キャッシュレスで支払えるのが便利なところ。

ということで、前日の10円支出よりもお気楽なゼロ円支出。

その後、川越温泉の回数券を使って、昨日も、無料でお風呂には入れましたが、疲れからか早く帰りたくて仕方ない。

で、川越温泉には寄らずに、帰宅後、風呂に入り、歯を磨いたら、もう疲れがどっときましたよ。

パソコンを開いたら、コメントが一つあったので、何とか一口コメントを返して、パソコンを閉じてバタンキュー。

12時間は、眠りましたでしょうかねえ。

まあ、眠れば元気になるのですが、疲れやすい自分との付き合い方を、これからはさらに工夫しようと思っています。



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