介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2019年04月

平成最後の日はシロアリ予防と住宅修繕計画

平成最後の日は雨で、こういう日は、割合好きです。

雨は嫌いではありません。

落ち着きますからね。

こういう日は、掃除が進んだりします。

さて、今日は、シロアリ予防工事をしてもらいました。

ほんとは、去年やる予定でしたが、母の入院や、その後の葬儀と、いろいろとお金が必要だったので、住宅の維持費関連は、後回しになっていました。

それと、僕も、前職がホテルの設備管理全般だったので、建築についても全くの素人というわけではなく、まあ、大丈夫だという目算はありました。

ベタ基礎なので、そうそうシロアリにやられることはありませんしね。

でも、予防は大事なので、今日、やってもらったわけです。

諭吉さんが何枚か出ていくわけですが、必要経費ですね。

そうそう諭吉さんが、今度は渋沢さんになるとのことで、渋沢栄一といえば、埼玉の偉人です。

諭吉さんも偉かったが、渋沢さんも偉かったですね。

で、今日、今後、僕が生きていくうえで、出ていくお金を、ざっと見積もってみました。

まずは、住宅関連。

そして、あと一度は買い替えるであろう車。

さらに、今後買い替えが必要となってくる家電関係。

概算で、だいたいこのくらいかな、という予算は頭の中にあります。

僕の強みは、電気工事を始め、設備管理関係の資格保有者であること。

まあ、自分でできてしまう工事も、多々あります。

今になって、仕事で磨いてきた技術や経験が生かされ、ありがたいというか、天の配剤を感じます。

やっぱ、俺は、ついてるなあ。

得難き友との対話は、いかなるレジャーにも勝る

昨日は、僕が普段お世話になっている、隣の市に住むAさんのところに行き、いくつかのアドバイスをしてもらいました。

ちなみに、Aさんは、僕よりも年下ですが、精神年齢は僕よりも高く、会ったときからタメ年の友人と話しているような感覚があります。

一昨日、時間をとれる日はありますかと打診したところ、昨日の午前中が良いのでは、ということになったのですね。

このAさん、この時期は、仕事が詰まっており、また、今年は特にプライベートでもやり遂げねばならない仕事が山積していて、その忙しい日々の中に対話の時間をこじ開けてもらった、という感じでした。

対話の場所は、Aさんが長年暮らしているアパートの一室。

まあ、話の内容は割愛しますが、9時ちょっと過ぎに行って、13時近くまで話していたので、3時間半くらいは対話していたでしょうか。

中身のある対話をしているときというのは、時間が一瞬にして過ぎ去ります。

これは、会社などでの会議とはエライ違いです。

で、こうした対話というのは、いかなるレジャーにも勝る、と僕は思うのですよ。

アパートの一室で、Aさんがドリップしてくれたコーヒーを飲みながら話をしていたのですが、お互いに共通するのは、真理の求道者である、という点。

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ここは、共通しています。

ただ、違いもあって、Aさんは、今も、幸福の科学の信者、というよりも、会員。

大川隆法の言うことを何でも鵜呑みにするのが信者だとするならば、Aさんは、そういうタイプではありません。だから、会員、と言い直しました。

Aさんは、幸福の科学は、宗教組織にはなってほしくなかったそうです。そのような枠に収まらない、世直し団体、であってほしかったとのこと。

で、このAさんは、ヒトラーの研究家でもあります。

ヒトラーの影響力は、人類史を見渡してみても、稀有であるとのこと。

また、Aさんの政治や国際情勢に関する知見は広く、深いものがあり、その分野では子供レベルの僕は、質問しながら頷くくらいのことしかできません。

ただ、ともに求道者であるという共通認識が、毎回、対話を深めているように思います。

つまり、求道者ということは、道、すなわちタオを求めて歩んでいるわけで、その共通項さえあれば、お互いの気づきを交換し合うことで、また、新たな認識を加えていくことができるのですね。

この、新たな認識を加えていく喜びは、何物にも代えがたいのです。

Aさんは、日ごろから脚下照顧の精神を忘れないようにしているので、一部の信者に見られるようなオカルトのほうにねじ曲がっていくこともなく、また、一隅を照らす、ことを座右の銘にしているので、職場では常に誠意ある仕事を心がけています。

Aさんのような地に足のついた誠実な会員が増えているならば、幸福の科学はもっと足腰の強い団体になっていただろうと、思わずにはいられません。

さて、このAさんは、誰よりも早く職場に行き、黙々とトイレ掃除をしています。もうそれは、Aさんの生活の中の良き習慣として組み込まれているので、本人はそれを修行とも思っていないのかもしれません。修行などという肩ひじ張ったものではなく、良き習慣にまで昇華しているのだと思います。

Aさんのことを話すと長くなるのでこの辺にしますが、得難き良き友がいれば、長い老後も退屈しないよ、ということですね。

また、良き友との対話は、いかなるレジャーにも勝るんじゃね、ということを言いたかったのです。

僕も、Aさんの生き方を見習って、一隅を照らす、ことを肝に銘じているところです。

いやでも、自分を見つめる時間が長くなる老後

僕が子供の頃、二間しかない市営住宅の縁側で、秋になると、お月見をしました。

母が、茹で饅頭とか、蒸かし饅頭を作ってくれ、それを近所の友達と食べながら、月を見て、話しました。

ウサギが餅をついているとか、そんなことを言われて、そういう目で見れば、見えないこともなく、夜空というのは不思議で、宇宙も不思議で、子供時代は不思議に満ちていましたね。

その不思議への好奇心が、求道心となり、宗教遍歴などにつながっていったのですが、今日は宗教の話ではなく、長い老後生活の話。

どうしても、年を取るほどに、体は言うことを聞かなくなっていきます。

また、家族のいない僕は、一人でいる時間が今でも長いのですが、それにも拍車がかかっていきます。

今は、なんだかんだ言って、生きるためにアルバイト生活をしているので、そちらで若干のストレスと刺激を受けているのですよ。

ほぼストレスがないようなものなのですが、それは正社員時代と比べての話で、やっぱりアルバイト先でも、人間関係とか仕事のストレスは多少はあります。

でも、そうしたストレスも刺激となって、いろいろと役に立っているように思います。

いつまで働けるかはさておき、やがては、そうしたアルバイトもできなくなり、家にいる時間が圧倒的に長くなり、つまり、嫌でも、自分を見つめる、自分と向き合う時間が長くなります。

で、そうしたときに、お金を使わないと気を紛らせない人というのは、お金がある程度は必要でしょうね。

現役で働いていた頃は、僕もたまには、一人でスナックに行くこともありました。居酒屋はよく一人で行っていましたが、スナックは、多少は勇気が要るのですよ。

でも、そうしたスナックに、意外なほど、一人で来ている人がいたりします。

で、一般的に言うと、やっぱ寂しいのかなあ、なんて思ったりするのですが、何かで気を紛らせたいのでしょうね。

そう言う僕も、スナックに行っていた頃というのは、どこか、人恋しいような時だったと思います。

僕が住んでいるような田舎町でも、それなりにスナックの数はあり、潰れもせずに営業している店は、それなりにお客がいるわけで、別にスナックって、エッチなことをするわけではないので、まあ、ママさんと少し話をするぐらいでも、やっぱ、気がまぎれたというか、慰められていたのでしょうね。

もっとも僕は、そんなには、回数は行っていません。

いちばん行っていたのは、30代で、不動産の営業をしていた頃ですね。仲間が、そういう店が好きで、影響を受けて、行ったりしていましたが、歌うときの定番は、サザンでした。

パチンコも、付き合いで行きましたが、パチンコには、はまりませんでした。あれは、遊んでいるつもりで遊ばれている感じがして、音もうるさいし、自分には合いませんでしたね。

なんか話が、横にそれていますが、そうそう、老後の話。

で、やっぱ老後は、働かないとなると、かなり時間は長く、人によっては持てあますのではないでしょうか。

幸い僕は、あまり退屈は感じない方なのですが、体力の低下と有り余る時間の中で、やはりやることは、自分と対峙することではないか、と。
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で、この、自分との対峙、というのが苦手な人は、かなりつらい老後時間になるかもしれません。

なんかまとまりませんが、今日は、ここまで。

土曜の夜はただの不良で傷だらけでもまぶしかったあの頃

今日で、年に一度回ってくる自治会のごみ置き場清掃も終わり。

箒と塵取りと、当番日誌を持って、ご近所の次の当番の家に持って行きました。

この家の主婦は、ポメラニアンが好きなようで、飼っている犬は、代々ポメラニアン。チワワよりもちょっとだけ大きいくらいでしょうかね。

まあ、2週間とは言え、清掃当番が終わって一区切り、ついでに、今日から、ゴールデンウイークで、10連休。

まずは、朝一で、たまった洗濯ものを洗い終えたところです。


で、話は変わります。

桑田佳祐とかつては比べられたこともある世良公則。

いつの間にやら差を開けられ、でも、ときどき俳優で頑張ったりとか。

でも、やっぱミュージシャンなんですよね。

ぶっちゃけ、才能では桑田佳祐でしょう。

だけど、世良公則、ときどき、めっちゃいい曲を作りますよ。

この曲、大好きで、カラオケで必ず歌う曲の一つです。





この、真っすぐな感じが好きです。

合理的倹約はするが無理な節約はしない

ときどき覗く節約系のブログでは、涙ぐましい節約の日々を綴ったものも散見できますが、度を越した節約は、人生を毀損すると思います。

それに対し、合理的な思考による倹約は、大いにするべきでしょう。

たとえば、たびたび登場する、こくうまキムチ。

これの値段は、店によって、238円、258円、278円と、値段がバラバラ。

しかしスーパーマーケットというのは、8円が好きなのだなあ、と思いますね。

まあ、それはともかく、僕の場合は、こくうまキムチを、常に198円でゲットしています。

これは、ライフが、たまに客寄せのために、一人2個までという条件で売るのですが、寒い冬場は、キムチ鍋の出番も多く、毎回2個買っていましたが、いかんせん、賞味期限というモノがあります。

キムチ鍋にするのであれば、多少酸っぱくなった奴のほうがうまみが増すくらいなのでいいのですが、それでも一人暮らしでの消費はたかが知れていて、賞味期限を過ぎてしまうことも。

だから、冬の終わった今は、2個買いはしないようにしています。

で、何が言いたいのかと言うと、同じ商品なら、最安のところで買う、というのは、合理的な倹約だと思うのですね。これは、オッケー。

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それに対し、トイレの水は、一度の使用では流さないとかの、行き過ぎた節約は、本末転倒、だということです。

生活の質を落としてまで節約しても、生活そのものが台無しになったら、何のために生きているのかわからなくなりますからね。

ムーミンバレーパークは混みそうだとミイが言う

僕の家の比較的近所にできたムーミンバレーパーク。

車で15分くらいのところなのですが、駐車場料金がかなりお高い。

で、このゴールデンウイーク、ムーミンバレーパークは、かなり混雑が予想されます。

まだ、行ってない人のために、僕が開園前に下見に行った記事を貼り付けておきます。


ムーミン谷の隣村、メッツァビレッジに行ってきた

で、ムーミンと並んで人気のあるキャラクターが、ミイ。

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この人、ですね。

で、このミイ。

結構、深いこと言っているのですよ。





迷わないことが強さじゃなくて
怖がらないことが強さじゃなくて
泣かないことが強さじゃなくて
本当の強さって
どんなことがあっても
前をむけることでしょ。
前をね。


女ってね、時々、好きな人といたくて。
時々、好きな人の前から消えたくなるの。
それをわがままっていう男とは、
一緒にいれないわ。
それをかわいいって思う男とは、
長くいれそうね。





みてるわよ、あなたがしていること。
あのね、神様じゃないわよ。
もうひとりのあなたが
あなたを見ているのよ。
見放されないようにね。
嫌われないようにね。



どうでしょう。

ミイ、なかなかのものではないでしょうか。


借金地獄への道は、安易な誤認から始まる

新社会人が入社後、そろそろ会社にも慣れてきたころに、ゴールデンウイークがあり、しかも今年は10連休。

慣れない仕事となれない人間関係で、ストレスもマックスに。

そんなときの10連休は、おそらく、砂漠で見るオアシスのようにも感じるのではないでしょうか。

で、そのタイミングで、甘い誘いが。

休みはあるのに金がない、という状況でのこの誘い。

そう、リボ払いです。


キャッシングはとても高い金利がかかる借金ですし、リボ払いも金利に相当する「手数料」がかかる、れっきとした借金です。それなのに、キャッシングもリボ払いも利用者は多い。そうでなければ、クレジット会社は高い広告費を使って積極的に宣伝などしないでしょう。

カード「キャッシング」の金利は普通預金の1万8000倍

キャッシングは、クレジットカードを持つ人がそれを利用したいかどうかに関係なく、ほとんどのカードについています。キャッシングの金利、つまり、クレジットカード会社からお金を借りるときの金利は、どのカードでもほぼ18%です。2019年4月現在、大手銀行の普通預金の金利は0.001%ですから、それに比べると1万8000倍の高さです。

こんなに高い金利がかかるのに、カードのキャッシングを利用する人たちが大勢いるのです。お金をつい使いすぎているうちに金欠になり、当座しのぎにキャッシングを使ったという人もいると思いますが、私は、むしろ「気軽な」気持ちで借金してしまう人たちが少なくないような気がします。

それはなぜかというと、人間は金利のような「率」に弱いからです。「率」で表されると自分が負担することになる「額」を実感しにくい。そんな心理的傾向があるのではないでしょうか。


上記は、東洋経済オンラインからの抜粋ですが、若いときは、勢いが優先しますからね。

目の前の欲望には抗しがたいのかもしれませんが、借りた金は返さねばならないのが、世の常。

一番怖いのは、一度リボ払いの習慣がついてしまうと、そこから抜け出すのは容易ではないこと。

それは、喫煙然り、飲酒然り、ギャンブル然り。

わかっちゃいるけど、やめられない。

頭ではわかっているが、気持ちが言うことを聞かない。

こうなると、聖書にもあるように、二つの主人に仕えることになります。

これは、苦しい状況です。

長期休みの前だからこそ、お金の管理を改めて考え直してみるのもいいのではないでしょうか。

自治会のごみ置き場清掃当番と今日の猫ちゃん

年に一度、当番が回ってくる、自治会のごみ置き場清掃。

で、先週と今週が、我が家の当番。

我が家と言っても、僕一人しかいない単身世帯のため、自治会の活動には、いろいろな制約が。

たとえば、もし今月が午前勤務だったら、ごみ置き場清掃は、午後になってしまいます。

やはりごみ置き場の清掃は、朝と、午前中回収車がごみを持ち帰ったあとにやるのがよろしいか、と。

まあ、ラッキーなことに、今月は午後勤務なので、支障なく、ごみ置き場清掃の当番をこなせるという寸法。

で、今日、早速ごみ置き場をチェックしに行くとき、僕の家の前に猫ちゃんを発見。


僕を見ても、逃げずにいてくれました。

で、ごみ置き場から帰ってきてから、アイフォンを持ち出して、パチリ。


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人に恐怖を植え付けるのは愛じゃない

その人は、片づけで有名になったこんまりさんにちょっと似ている女性でした。こんまりさんを、もう少し弱弱しくしたような人。

見るからに、日本神道系と言うか、巫女さんが似合いそうな人。

とてもやさしい人だったので、僕も好意的に見ていました。

ところがその彼女、だんだん顔つきが暗くなっていくのがわかりました。

そこで僕は、彼女が好きな神社に誘ってみたのです。いくつかの神社はパワースポットで有名です。

ところが、神社には行かないほうがいいと言われている、と彼女が言いだし、そこから話はおかしなほうに。


かいつまんで話すと、最近興味を持ち、勉強を始めたキリスト教の教会で出会った年上の女性に、神社に行くのはよくないと言われたとのこと。

彼女が口にしたその教会は、プロテスタント系で、そこの牧師とも僕は話をしたことがあり、礼拝にも参加したことがありました。

彼女に神社に行くな、と言った女性の名前を訊いたところ、案の定Rさんの名前が。

このRさん、いつも不満そうな顔をして、ヨハネの黙示録ばかりを強調している人だったのです。

どんな人でも、その人特有の雰囲気というモノがあります。もう少し精密に言うと、周波数、とか、波長、のようなもの。

で、そのRさん、周波数がとても雑なのです。刺々しいオーラを発散していて、上から目線。不幸な出来事にはすぐに反応するのに、他人の幸せは喜べないタイプ。

まさに、イエスの教えと真逆の人生を歩んでいるような人なのに、自分はクリスチャンだから最後の審判では救われる、と思い込んでいる人。

このRさん、家族仲も悪く、友達も少なく、経済的に豊かではなく、リアルな生活では少しも幸せではないために、ヨハネの黙示録の終末論にしがみつき、主イエスを信じれば救われるという安易なキリスト信仰に胡坐をかいて、他者を見下すという、ごく一部の 偏執的なクリスチャンに見られる性向をすべて持ち合わせていました。


このRさん、に比べて、こんまりさんに似た僕の知人女性は、いつも優しい柔らかい波動を出していて、たいがいの人に好かれる性格でした。

そうした知人女性に対する嫉妬、も、このRさんの中にはあったのだと思います。そして、自分の吐き出す言葉でうろたえるKさん(こんまりさんに似ている僕の知人女性)を見て、喜んでいるRさんの顔が容易に想像できた僕は、Kさんに次のような話をしました。


僕が見るところ、Rさんは、イエスの心の教えには興味がなく、ひたすら、ヨハネの黙示録をはじめとした、恐怖の予言のほうにしがみつき、そこに、自分の存在意義を見出しているように思える。

また、Rさんの心の中には、たえず不平不満が渦巻いており、その毒を吐き出す相手を絶えず探している。多くの仲間からは相手にされておらず、ちょうど聖書を学び始めたばかりのKさんは、彼女の格好の餌食にされた。

今Kさんにとって大切なことは、ハッキリと拒絶の姿勢を取ること。Rさんがいろいろなことを言ってきても、耳を貸さないこと。

クリスチャンの先輩は、Rさんだけではない。いや、僕が見るに、Rさんは、そもそもクリスチャンではなく、不幸の予言者、不幸の信奉者である。彼女は不幸が大好きなのだから(事実、そのような波長を出している)、好きにさせておけばよい。

だけど、Kさんが、そのRさんの波長に合わせて、不幸に落ちる必要はない。そんなことは、主イエスも、望んではいないはずだ。

そもそも、人に対し、恐怖を植え付けるのは愛じゃない。どんな聖書の理屈をこねくり回してきても、そんな言葉よりも、その人が普段、どんな態度で生きているかだ。

そこで僕は、ルカによる福音書の中の、良きサマリア人のたとえ、の話をしました。

<10:25>するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

<10:26>彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

<10:27>彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

<10:28>彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

<10:29>すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

<10:30>イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。

<10:31>するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。

<10:32>同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。

<10:33>ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、

<10:34>近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

<10:35>翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

<10:36>この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

<10:37>彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。



僕が言いたかったのは、クリスチャンであるとか、仏教徒であるとか、そんなレッテルはどうでもよい。良い波動を出し、親切な行いをするものが、イエスの隣人である、ということです。

少し説明をすると、祭司というのは、職業的宗教者なので、その必然として、自分は神の側にいると思っている人です。レビ人というのも、イスラエル十二部族の一つで、自分たちは選ばれた人間だという特権意識を持っていました。

一方、サマリア人のほうは、ユダヤ人からは異邦人と呼ばれ、蔑まれていました。

ところが、良い行いをしたのは、サマリア人のほうで、こちらのほうがイエスの隣人である、というたとえ話です。

このようにイエスは、さまざまなたとえ話を用いて、人々を教え諭しました。その点は、対機説法で、相手の機根に合わせて法を説いた仏陀と同じですね。

このサマリア人のたとえ話は、現代のクリスチャンにこそ、肝に銘じてもらいたい話だと、僕は思っています。

つまり、口先だけのクリスチャンは、イエスに、「あなたのことは知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われるでしょうね。

一方、Kさんのように、いつも笑顔で優しく人に接している人は、それだけで徳がありますから、イエスに近いのです。

ヨハネの黙示録などよりも、マタイをはじめとした、共観福音書のほうが、心の糧になる教えが多いことも付け加えました。

ヨハネの黙示録などは、キリスト教初心者が下手に手を出すものではありません。おかしな、オカルトの方向に引き摺られていくのが関の山だからです。そして最も肝心な、イエスの教えのほうはおろそかにされます。

そして最後に、Kさんに、クリスチャンの中には高徳の人もいるから、そのような人と交わって、学んだほうが良い、と言い添えました。

そして、神社には、これまで通り、行っても良い、とも言いました。

たとえば、バイブルバブテストなど、厳格な聖書主義にのっとったプロテスタントでは、神社だけでなくお寺に行くことも良くない、と教えています。

まあ、プロテスタントもいろいろなので、おおらかな教会のほうがいいのでは、とも言いました。


気がつけば、今日は、イースター、つまり、復活祭。

クリスチャンにとっては、とても大切な日です。

僕は、クリスチャンではありませんが、ともに、主イエスの復活を祝いたいと思います。

ちょっとキリスト教の話になってしまいました。

まあ、たまにはいいか。

運命というのは、もしかしたら決まっているのかもしれない

これに対してはいろいろな意見があり、どの意見もそれなりに一理あるのですが、未だ僕の中で、こうだ、と断言できずにいるのが、運命について。

今現在の、僕のおおよその考え方では、生まれてくる前にある程度の人生計画は立ててくるが、生まれた後はいろいろな要素が絡んでくるので、そうそう計画通りに行かないこともあるし、概ね計画通りに進むこともあるという、不確定要素もかなりある、みたいな、考え方をしています。

たとえば、シルバーバーチなども、こうした質問は、降霊会で受けていて、だいたいは決めてあるが、そう細かなところまでは決めていないという、自由意思を尊重したものだったように思います。

僕は、シルバーバーチの教えであっても、はいそうですか、と簡単には納得しないので、一応自分で吟味します。まあそれは、何人かの教祖を妄信した過去の反省から来ているのですが。

で、今働いている僕のアルバイト先での面接のとき、工場側の課長と係長に初めて会ったのにもかかわらず、何とも言えない親しみのようなものを感じました。働いて9か月になる今も、それは変わりません。

何となく、昔から知っている人のように思えるのです。

どの時代かは明確にはわかりませんが、戦国時代かなあ、同じ藩にいて、ともに、外敵と戦った仲間のような感覚です。これは、ちょっと説明が難しい感覚ですね。

で、僕はいくつかの宗教団体を経験しているのですが、どうも僕は、それぞれの団体に所属すべきだった運命のようなものを感じます。

そして、それぞれの団体で、それぞれ学ぶべきこと、体験すべきことがあったのだ、ということを感じています。

だから、僕がかつて所属していた3つの団体について、恨み心はまったくありません。

つまり、その時の僕にとって、それぞれの団体は、僕の導き手であった、と思うのですよ。

それゆえに僕は、ダスカロスの言葉、「自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです」が、とても得心が行ったのですね。


その時々で、必要なグル、つまり導き手は、変わるのではないか、ということです。たとえそれが後になってカルト宗教であったとわかったとしても、そのときの自分には大切な教えであったわけです。

僕は、統一協会においても、幸福の科学においても、あるいは、幼少期から父の影響で信者になった、世界救世教においても、光体験というべきものを経験しています。

シルバーバーチが、ラベルを選ばずに指導する、と言っていることもうなずけます。

彼の言うラベルとは、共産主義などの主義主張や、民族、あるいは宗教団体、など、レッテルを張られたもののことです。

多くの人は、レッテルで人を判断します。まあ、そのほうが考えなくて済むし、楽ですからね。

たとえば、彼は共産党だから何々だ、彼女は在日だから何々だ、あいつは中卒だから何々だ、その人はオウムにいたから何々だ、みたいに、安易に判断を下し、レッテルを張って分類します。

しかし、レッテルを張られる前に、まずは、どの人も、一人の人間です。

その人間を見ずして、安易に人を決めつけるのは如何なものかと、昔から思っていました。

ただ、思い込みの強い人間には何を言っても喧嘩になるだけなので、僕はよほどのことがない限り静観していますが。

さて、僕の考えも固定したものではなく、今後も変化していくと思われますが、運命というモノは、大筋において、だいたい決まっているように、思っています。

いちばん下の立場で働く、ということ

今現在僕は、一か月更新のアルバイトとして働いているのですが、その事に、実は運命的な喜びを感じていました。

それは、スマイルマンさんに教えていただいた、ダスカロスの言葉、自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです、にも通底する実感、でもありました。

それというのも、60歳(去年アルバイトを始めた時点では59歳でしたが)にもなる男に、なかなか意見してくれる人はいないのですよ。

しかし今現在、アルバイトとして工場で働く僕の上司は30代。

これが、いいのですよ。

僕の宗教遍歴は幼少期から始まり、これを書きだすとまた長くなるので、それは改めて、後日、自己紹介カテゴリーで、宗教遍歴的自己紹介、とでも言うべき記事を書いていきたいと思っています。

で、その宗教遍歴は、幸福の科学で終止符を打ったのですが、20代の頃に専従という形で身を投じていた統一協会に、アベルカインの教えというのがあり、カインはアベルに侍る(はべる)、あるいは、仕えねばならない、というのがあります。

アベルもカインも、旧約聖書の創世記に出てきます。

カインが兄で、アベルが弟です。

この話をしだすと、また長くなるので、端折りますが、統一協会は、このアベルカインということをよく言います。

カインは、アベルに、黙って従えと。

で、この場合のアベルは、統一協会内での立場が上のもの、カインは下のもの、です。

まあ、これは組織運営上都合がいい教えなのですね。

当時の僕のアベルは、僕より4つほど年下でした。ともに二十代。

年下のアベルに仕えることに抵抗がある兄弟姉妹(信者同士をこう呼び合っていました)も多かったのですが、僕はそこは平気でした。当時から、年齢によるこだわりはほぼなかったのだと思います。

で、今、30代の上司の元で快適に働いています。

上司が30代であることに、いささかの抵抗もありません。

むしろ、60代の同僚先輩社員のほうが厄介だったりします。

僕の仕事のあらましと老害先輩社員から怒鳴られた一件

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

今ではその先輩社員とも、上手くやっていますが、よくディスられたり、マウントを取られたりしています。

そして、その先輩社員を通して、過去の自分もあんな風にマウントを取りたがったりしたものだと、自分のエゴ性を客観視して、再確認しています。

つまり何が言いたいのかと言うと、僕の今のこの職場環境が、僕の導き手となっているのです。

今の自分の、霊的覚醒のレベルにちょうど良い環境が、与えられているのですね。

で、僕にとってこの環境が必要なあいだは続く、のだと思っています。

だから、一か月更新のアルバイトでも不安はない、のです。

更新を打ち切られるということは、僕の人生というグルが、また、次のステージに僕をいざなってくれる、ということですからね。

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そして、また、自分の霊的覚醒が進めば、それなりの環境に変化していくでしょう。


おばさんが、女の顔に変わるとき

昨日は、シニア割りというのを利用して、隣の市の靴屋でバイオフィッターの靴を買いました。靴は消耗品なので、自分の足に合うものでないといけません。しかも、僕の足は幅広。

このため、ここ数年は、バイオフィッターばかり買っています。

さて、そのあとランチに行ったのが、ブロンコビリー。

しばらく、株の話から遠ざかっていましたが、前回は、所有していなかったブロンコビリーですが、今年になってから、NISA口座で単元株数を購入。配当利回りは必ずしも良くはありませんが、末永く株主優待を使う予定です。

で、昨日も、11時5分頃に着いたのですが、店内には、かなりのお客が。

最も安い200グラムのハンバーグをサラダバー付きで注文。


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こちらは、まずは一回目の盛り付け。

野菜はたいがい好きなのですが、僕の大好きなパプリカが、下のほうにごそっと隠れています。


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こちらは2回目の盛り付け。ポテトサラダを多めに取ってきました。

だいたい、サラダ2皿でかなりおなかがいっぱいになります。

サラダを最初に食べておくと、血糖値の急な上昇を抑えられるとかで、まずはサラダから食べることにしています。

で、ブロンコビリーの持ち味は、何と言ってもサラダバー。

また、オープンキッチンなので、バイトテロの可能性も低い。

で、そのあと運ばれてきたメインのハンバーグとライス大で、おなかはいっぱいに。締めのデザートは、イチゴのゼリーみたいなやつにしときました。あんまり色々食べると、中性脂肪にも影響が出るしね。

隣のテーブルには、途中から、おばさんの4人組が座り、ときどき僕のほうを見ていましたが、確かに、一人飯は少ない。

これ、松屋とかの牛丼屋ならば、一人飯派が主流になるのですが。

で、隣のおばさんがたのんだのは、4人とも、ブロンコハンバーグだったようで、店員のお兄さんが、ナイフを入れて割ってくれるやつね。

このお兄さん、松坂桃李に氷室京介をまぶしたようなイケメンだったためか、4人のおばさんのうち2人が、女の顔に変わり、瞬間ホルモンを放出。これなら、安いランチだわあ、みたいな。

なんか、この間見たモニタリングで、山下智久を見るなりいきなり抱き着いて行ったおばあさん、を思いだしました。

おばさんや、おばあさんが、いきなりイケメンに抱き着いても、笑いになるだけですが、これがあなた、逆の立場だったらどうです。

たとえば、爺さんが、会うなりいきなり立ち上がって、ガッキーに抱き着いたら、すぐに顰蹙を買いまっせ。ほんと、おばさんは得じゃね、って話です。

で、僕は、この後アルバイトがあるので、会計すると、また、割引券をもらいました。日高屋なんかに行くと必ずくれる割引券よりもやや込み入った造りの割引券。

店のほうを見ると、満席で、ワイワイガヤガヤ。

うーん、今やブロンコビリーの株主である僕は、店が流行っているのは嬉しいのですよ。

静かな朝には価値があるよね

静かな朝って、いいですよね。

だって、あたふたしていないから。

サラリーマンの朝って、慌ただし過ぎ。


今の僕は、静かな朝を過ごすことが多いですね。

特に今月のように、昼から勤務のときは、朝がのんびりまったり。






永ちゃんも言ってます、誰かにある静かな朝ってね。

まあ、誰かに期待せず、自分で静かな朝を味わいましょう。

ストレス社会の中で疲弊するよりも

ストレス社会の中で疲弊するよりも、とっとと資産を積み上げて退散する、という考えに、いち早く行きついた人は、必然的に賢くならざるを得ません。

だって、ある程度賢くないと、資産など残せるはずもないから、です。

僕のように、長年カルト宗教に漬物のように漬け込まれて、金銭と時間を搾り取られた人間が、50歳ごろに、お金の大切さに気付き、そこからの挽回を試みて、というのでは、通常は、あまりにも遅い。

50歳といえば、ギリギリ、早期リタイアと宣言できるくらいの年齢。

僕の場合は、介護離職による早期リタイアなので、これはもうリタイアというよりも、早期退職、なのですよ。

で、今はゆるくアルバイトで働きながら、フルリタイアならぬ、セミリタイア生活なのですが、もう齢(よわい)も60なので、死を意識しつつ、お金の計算もするという、ことが必要なのですね。


年金生活もそう遠くない、先にあるので、逃げ切り世代のラストランナーかもしれません。

ぶっちゃけ、一人の生活で、ローコストで暮らしてみると、そんなにお金は使わない。

お金を使うにも、実は体力が要るのですよ。

物欲が少ないことも幸いして、静かに生きられればそれで十分という性格ならば、僕の見込み年金月額、9万円で、ほぼつつがなくやっていけるんじゃね、と。

あんまり貯金がないとは言え、年金で暮らせれば、貯金も少なくて良くね、と。


で、何が言いたいのかと言うと、若い人には、早めに資産形成をして、自由を得てください、ということ。

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ストレス社会の中で疲弊するよりも、

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のんびりと自由を満喫したほうがいいよね、ということです。

まあ、ゆるみすぎて、

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こんなふうになるケースもままありますが、ストレス社会の中で疲弊するよりもはるかに良くね、と思います。

で、人間とは不思議なもので、のんびりしていると、また動きたくなるのですよ。

そしたらお気楽なアルバイトをするもよし。今は、売り手市場ですからね。


最低限これだけをおさえておけば、生きるのがかなり楽になります


一昨日、昨日と、スピリチュアルな話をしてきましたが、多くの人が求めているのは、救いだと思います。

ところが、巷にあふれているのは、救いを表看板にした強欲な宗教屋が多い現実があります。彼らは宗教屋であって、宗教家ではありません。

はじめは宗教家であったのかもしれませんが、だんだん自分が偉いと思うようになり、実際に教団内で神様扱いされるうちに、ますます自己洗脳に拍車がかかり、次第に裸の王様のようになっていきます。

自分に対し意見をしてくる者は排除し、場合によっては、悪魔認定して、遠ざけるだけでなく、偏執的なまでに袋叩きにします。歯止めの効かないエゴが暴走を始めても、教祖である彼を、誰も止められません。下手に進言などしたら、今度は自分に矛先が向かってくることがわかるため、次第に、教祖の機嫌をとるようになっていきます。

こうなってくると、ますます教祖の側近にいるのはイエスマンばかりとなり、あるいは、その側近は女性ばかりが増え、本当に信仰心の熱い情熱ある職員は苦しい選択を迫られます。自分を犠牲にして真実を言うか、口を噤んで保身に走るか、です。

もとより、教祖を妄信している能天気な職員には、そのような葛藤は生じません。教祖の言うことがすべて正しいと妄信しているので、葛藤など起こりようがないのです。それはある意味、この上なく楽なのです。

ただ、どのレベルで疑問を覚え、葛藤が始まるかは個人差があるので、何とも言えませんが、さすがに教祖が明らかに反社会的な行動を指示するようになったら、大半の職員はおかしいと思うのではないでしょうか。

しかし、オウム真理教の例もあり、日本のみならず、世界を見渡せば、破壊的カルトというのは、現に存在していますから、妄信者ほど恐ろしいものはありません。しかも、本人は、正しいことをしていると、信じ切っているのですから、もはやつける薬はないというべきでしょう。

さて、こうした話をしているときりがないので、結論を言うと、いかなる宗教組織にも、本当の意味であなたを救済する力はない、というのが、僕の意見です。

あなたを救済するのは、宗教組織ではありません。

あなたを救済するのは、あなた自身です。

いや、あなたしか、あなたを救済することはできません。

しかも、お金は一円もかかりません。

あなたが目覚めればいいだけの話です。

もともと仏陀とは、目覚めた人、という意味ですからね。

仏陀になる、と思う必要はありません。

少しだけ目が開けばいい、のですから。

それだけで、かなり、楽になります。

お布施も献金も要りません。

お布施や献金の向かう先はどこですか。

あなたの所属する宗教組織です。

その宗教組織は、清らかですか。穢れてはいませんか。詭弁を弄して、あの手この手であなたからお金を取ろうとしていませんか。

仏教には、三輪清浄という教えがあります。

これは、「布施というのは、施者・受者・施物の三輪(さんりん)が清浄(しょうじょう)であり、空寂となっていなければならない」

ということです。

つまり、受者、この場合は教祖、あるいは、その宗教団体、になりますが、これが穢れた存在であってはいけないのです。

そもそも、お布施で生活する人には、一般の人以上に、倫理観を求められるのは当然でしょう。その受者が、言動をころころ変えたり、すべてを人のせいにして独善的な立場に固執するとしたら、清浄どころの話ではありません。普通の人、凡人以下です。

僕が知る限り、あらゆるカルト宗教の教祖は頭がいいです。無駄に頭がいい、と言っておきましょう。

しかし、本当の意味での知恵はありません。なぜなら、因果の理法はくらませないからです。因果の理法、わかりやすく言えば、原因と結果の法則、です。

たかだか数十年のこの世の偽りの栄光のために、最も大切なものを失うからです。イエスも、「全世界をもうけても、あなた自身を失うとしたら、何の益があろう」と言っているように、カルト教祖の来世は、憐れなものにならざるを得ません。

しかし、ひとたび教祖という特権的な立場を手に入れてしまうと、その神の座は手放しがたいのでしょう。

ただ、これだけは言っておきます。

あなたを神とあがめているのは、一部の取り巻きとその信者だけですよ、と。その狭い世界で猿山の猿になっているだけですよ、と。

世間を舐めてはいけません。

この世間の中にこそ、実は知恵ある者、質実に生きながら真面目に暮らしている多くの善男善女がいるのです。教祖であるあなたは、彼らを救済すべき憐れなる者と見下しているかもしれません。

しかしあなたが本当に悟っているならば、人を見下すことは絶対にありません。なぜなら、すべての人に仏性が宿っていることがわかるからです。

相手の仏性が見える人間は、相手を尊重するようになります。決して、見下すような態度にはなりません。

宗教的指導者の役割は、相手がその仏性に気づくように手伝うことだけです。それ以外にやるべきことはありません。

まかり間違っても、自分を拝ませたり、自分の像を作って、それを売りつけることではありません。また、信者同士の自己顕示欲を刺激して、お布施や献金の額を競わせることでもありません。

あなたが真に神であるならば、存在するだけで感化力があるはずです。

あなたの周りに立ち現れる現象は、決して魔が競い立っているのではなく、あなたの言動が招いた因果応報の結果です。

少し、教祖に対する問いかけから離れましょう。

どのカルト宗教の教祖も、もはや救いようのないほどエゴ性が強いので(だからこそ教祖になれたのかもしれませんが)、彼らには、いかなる問いかけも徒労に終わるのですが、今日はあえて、試みてみました。

さて、我のかたまりの、エゴの権化たる教祖は放っておいて、大切なことは、苦しんでいる人が楽になる方法です。

それは、真実の霊的知識を得ること、です。

たとえば、シルバーバーチの霊訓などは、僕が最も信頼を寄せているものです。他には、アラン・カルデックやモーゼスなどがいますが、そうした外部チェックが厳しい中を潜り抜けてきた霊訓には、共通した真実性があります。

ここで言う外部チェックとは、その霊の発言の正邪を判断する審神者のようなものです。

シルバーバーチの霊訓などは、毒舌と率直で辛辣な批評家であり、当時もっとも懐疑的だったジャーナリスト、ハンネン・スワッハーが、これでもかと吟味した後に本物であるとして自らホームサークルを主宰して自宅で降霊会を開き、その人脈を生かして、各界の著名人を招待したほどです。

そして招待された人たちは、最初は懐疑的だった人も、シルバーバーチの説く霊的真理の一貫性や、その誠実さ、謙虚さに感化を受け、死後の生活に確信を持つに至りました。

ただ、漠然と神を信じるよりも、真実の霊的知識に基づいた実感を伴った信仰のほうが盤石であることは言うまでもありません。

このことは、主イエスも、

「『そこで,わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆,岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り,川があふれ,風が吹いてその家を襲っても,倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆,砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り,川があふれ,風が吹いてその家に襲いかかると,倒れて,その倒れ方がひどかった。』
 イエスがこれらの言葉を語り終えられると,群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく,権威ある者としてお教えになったからである。」

と、マタイによる福音書の中で、述べています。

確かに宗教組織も、悟りに至る一つの段階として機能する場合もあり得ます。ですから、もしあなたが、どこかの団体に所属していて、その信仰で満足しているのならば、その信仰を続けるのも良いでしょう。

ただ、いずれ、その団体に嫌気がさしたり、活動がきついと思ったり、矛盾を感じたりして、その組織を離れようとしたときに、その組織はあなたを、離れたらサタンの側につくことになるとか言って、いろいろな形で暗に離れないように仕向けるかもしれません。

事実、サタンという名前ほど、さまざまな宗教組織の支配者にとって、便利な言葉はありません。

しかし、シルバーバーチの霊訓をはじめとした真実の霊的知識を得ることで、彼らの脅しは、何の効力もなくなる、のです。

さて、先ほど僕は、

あなたを救済するのは、あなた自身です。

いや、あなたしか、あなたを救済することはできません。

しかも、お金は一円もかかりません。

あなたが目覚めればいいだけの話です。」

と言いました。

スピリチュアリズム普及会、というのがあり、これは宗教団体でもなく、自発的なサークルだと思いますが(僕自身も、このグループの誰とも面識はありません)、まったくの善意で(これこそがシルバーバーチの教えにかなうことだからでしょうが)、押さえるべき基本的な霊的知識のすべてを無料公開しています。

紙の媒体、すなわち本が欲しければ買うこともできますし、訳の分からないものにお金を使いたくないと思えば、無料で、そのサイトで公開されている霊的知識を自分のペースで学んでいけば良いのではないかと思います。

特に初心者におすすめなのは、500に及ぶあの世からの現地報告、ではないかと思います。

僕も去年、母を亡くしましたが、身内の方を失った方や、死んだ後の生活がリアルな形で知りたい人には、うってつけの本ではないか、と思います。

死は永遠の別れではない、とわかれば、とても気持ちが楽になりますからね。

勿論、巷の既成宗教やカルト宗教でも、死後の世界を教えていますが、でたらめなものが多かったり、教祖の独善的な解釈であったりします。さらに、その教えの対価としてお金を要求してきます。

特にカルト宗教は、美辞麗句で飾りながら、その本質はどこまで行っても金・金・金、なのです。

一方、宗教組織ではないサークルは、自発的に行っているもので、営利団体ではありません。

聖書にも、『ただで受けたのだから、ただで与えなさい』(マタイ10:8)とあるように、シルバーバーチの霊訓も、シルバーバーチが、幾多の困難を乗り越えて、無償で届けた宝物です。

ですから、この種のサークルは、非営利団体であるべきなのです。

彼らは、神の道具としての役割に霊的な喜びを感じて行っているだけで、見返りなどは求めません。あなたが気づき、幸せになってくれれば、それで良しとしています。

しかも直接にはかかわらないので、あなたが喜ぶ姿すら知りません。まあ、存在の愛、に近いかもしれません。

では、そのスピリチュアリズム普及会のURLを貼り付けておきます。

www5a.biglobe.ne.jp/~spk/

勿論、スピリチュアリズム普及会、で、検索しても上位表示されるので、そこから覗いてみても良いでしょう。

気が向いたときに学び、日々の生活の糧にしていただければ、と思います。


僕がこれまで、あえてスピリチュアルな話をしてこなかった理由


スピリチュアルな話というのは、いくらでもネタがあるし、それこそ、自分のライフワークでもありましたから、話すことは山ほどあります。

しかし、そうした専門サイトでも立ち上げるならば、それも良いのかもしれませんが、親の介護をきっかけとして始めたこのブログで、話すべきでもないだろう、というのが一つの理由。

もう一つは、そうした話をすると、自分が悟った人間だと錯覚してしまうのです。

僕は、ただの凡夫であり、凡人であり、だからこそ、日々、微々たる歩みを進めているわけです。

そのような平凡極まりない人間が、下手にスピリチュアルな話をすると、どんなに戒めていても、次第に慢心してくるのですよ。

こんないい話ができる俺はなかなかのものではないか、とか、悟りをひらいているのではないか、とか。

これは、仏教が教える六大煩悩、貪・瞋・痴・慢・疑・悪見の一つ、慢に落ち入ることになります。

多くの宗教家が、当初は純粋で、求道心に溢れていても、次第に慢心してくる姿を、たくさん見てきているので、六大煩悩の中でも、この慢、すなわち、慢心ですね、これは、常に注意していないといけません。

ましてや僕のような未熟な人間は、偉そうなことは言ってはいけないのです。

仮に、言わざるを得ずに言うにしても、余程慎重に、発言しなければいけないと思っています。これが、第二の理由。

そしてもう一つは、スピリチュアルな話が好きな人の中には、議論好きな人がいて、自分のことは棚に上げて上から目線で論戦をしたがる人が、引き寄せられるてくる可能性があるからです。

このようなタイプの人は、不幸感覚が強く、実生活では相手にされていないことが多いのが特徴です。自分が不幸であることのルサンチマンを晴らすために、スピリチュアルな世界にのめり込んでいる人です。

このようなタイプは、仏教系にもキリスト教系にもいます。とにかく、自分の信じる教えにのみ執着し、その基盤の上でしか物事を考えられないのです。

たとえば、聖書を絶対視し、その聖書に書かれていることを根拠に持論を展開します。その自分の見解への執着は甚だしいもので、その見解で他人を裁きます。主イエスは「人を裁くな」と教えているのですが。

自分の見解への執着が如何に恐ろしいかをあらわすいい例として、こんな話があります。

キリストの再臨についての話で、キリストが再臨する時期には、キリスト教内でも複数の考え方があり、その時期をめぐって論争した牧師同士が殺し合いになったという事件がアメリカでありました。

キリスト教を信じていないものから見れば、バカらしいくらい、どうでもいいことです。

でも、当人同士は大まじめで論争していたと言います。

お金への執着、物質への執着、というのは、わかりやすいのですが、この、自分の見解への執着、というのは、ある意味、物欲以上に根が深いと言えます。

もうずいぶんの昔になりますが、連合赤軍によるリンチ殺人事件というのがありましたが、互いに相手をブルジョア的であると、非難して殺し合いました。

ことほど左様に、宗教や思想というモノが絡むと、普段はおとなしい人でも、人が変わったようになる場合があります。

この、自分の見解への執着は、僕も含めて誰にでも起こり得るので、ああ今、自分はこの考えにこだわっているな、と思ったら、一呼吸おいて、距離を取って観察する必要があります。

そのような観察者になると、心に平安が訪れます。

誰に訊く必要もありません。自分の心が平安を感じるものが、より神に近い、神という言葉に抵抗があれば、本質に近いのだと思います。

これまで言及してきたように、宗教的信条という自分の見解に執着した場合、傍から見たら馬鹿らしいとしか思えない、事件が起こったりします。

仏教系でも、たとえば、日蓮系では、どっちの本尊が正当だとか、論争していますが、部外者から見たら、どうでもいい話ですね。

キリスト教系然り、仏教系然り、イスラム教系然り、で、これにカルト宗教なども絡んできたら、百花繚乱ならぬ、魑魅魍魎の世界が展開します。

ということで、僕がこれまでスピリチュアルな話をしてこなかったのは、以上3つの理由からですが、これからは、ときどき、自分がいい気にならないように注意しながら、スピリチュアルな話も、たまにはしていくかもしれませんが、そうした話が嫌いな人は、無視していただければと思います。

でも、あんまりスピリチュアルな話ばかりしていたら、チコちゃんに、叱られるかもしれませんね。

「いい気になってんじゃねーよ」とね。


閲覧注意、ちょっとスピリチュアルな話なので(しかも話が長いので)


僕のブログは、当初は介護生活を中心にその記録を残そうと始めたものです。

その後、在宅介護していた父が老衰でなくなり、さらに去年母もなくなったことで、今は介護はしておらず、そのため、介護ブログではなくなっています。

今は、介護離職後のローコスト生活について、主に書いていますが、ときどき、スピリチュアルなことも話します。

それは僕が、そちら系の探求を長年続けてきたためで、どうしても多少は、そうした話もしてしまいます。

で、今日は、ちょっと少し掘り下げて話しますので、こういう種類の話が好きではない人は、このあたりで読むのをやめておいたほうがいいかもしれません。

では、本題に入ります。

僕は、これまで何度も話しているように、少ない預貯金、と、少々の株、がありますが、その総計を足しても、わずかな資産です。

で、今は、アルバイトをしています。

一般的に言って、経済的には豊かではありません。住宅ローンも抱えています。

しかし、別に、困ってもいないし、実は、幸せです。

前記事で、少しアイデンティティの話をしましたが、僕は、この地上世界に、アイデンティティを置いていません。

だから、楽なのです。

言ってしまえば、それだけのことです。

大半の人は、財産、家や土地、車、宝石、あるいは、容姿、地位、などに、アイデンティティを置いています。

たとえば、容姿。

僕は、頭が禿げかかっています。僕が容姿にアイデンティティを置いていたら、禿げることは苦しみです。僕は、そういうところにアイデンティティを置いていないので、そういうことは苦しみにはなりません。

しかし、先日のように、腰が痛いとか、実際に体の痛みが発生すれば、当然それに対しては、苦しみを感じます。

そういう苦しみは感じますが、そうした身体的な病とか怪我による傷とか、あるいはお金がなくて支払いに困るとか、そうした際には苦しみは感じますが、自分にできる対応をして、あとは天に任せます。

天のところを、神、と変えても良いです。

ただ、神、という言葉は、あまりにも誤解を受け、人によって、これほど違うとられ方をする言葉も珍しいほどなので、滅多には使いません。

仏陀は、諸行無常を説きました。

すなわち、常なるものはない、一切は変化する、と。

また、諸法無我を説きました。

あらゆる事物には実体がない、と。

で、この諸行無常と諸法無我を悟ることにより、涅槃寂静の境地に至る、というのが、本来の仏教です。

この、涅槃寂静の境地に、かなり近いところにいると思えるのが、白隠禅師です。

少し長くなりますが、白隠禅師の話に入ります。

日本のある町に白隠という禅の老師が住んでいた。彼は人々の尊敬を集めており、大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。
あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠した。怒り狂った両親に、子どもの父親は誰だと問い詰められた娘は、とうとう白隠禅師だと答えた。 両親は激怒して白隠のもとに怒鳴り込み、
「娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな」、となじった。
白隠は、「ほう、そうか?」と答えただけだった。

噂は町中どころか近隣の地域にまで広がった。
禅師の評判は地に落ちた。だが禅師は意に介さなかった。
誰も説法を聞きに来なくなった。だが禅師は落ち着き払っていた。

赤ん坊が生まれると、娘の両親は禅師のもとへ連れてきた。
「お前が父親なんだから、お前が面倒を見るがいい」。
禅師は赤ん坊を慈しみ、世話をした。

一年経ち、慙愧に耐えられなくなった娘が両親に、実は赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した。両親はあわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、申し訳なかったと詫びた。
「ほんとうにすまないことをしました。赤ん坊を引き取らせてもらいます。娘が、父親はあなたではないと白状しましたんで」。
「ほう、そうか?」。
禅師はそう言って、赤ん坊を返した。

禅師は偽りにも真実にも、悪い知らせにも良い知らせにも、「ほう、そうか?」とまったく同じ対応をした。彼は、良くても悪くてもいまという瞬間の形をそのまま認めて、人間ドラマには加わらなかった。彼にとってはあるがままのこの瞬間だけがある。
起こる出来事を個人的なものとして捉えない。 
彼は誰の被害者でもない。

彼はいまこの瞬間に起こっている出来事と完璧に一体化し、それゆえに起こった出来事は彼に何の力も振るうことができない。起こった出来事に抵抗しようとするから、その出来事に翻弄されるし、幸福か不幸かをよそから決められることになる。

赤ん坊は慈しまれ、世話をされた。
抵抗しないという力のおかげで、悪い出来事が良い結果になった。
つねにいまという瞬間に求められたことをする禅師は、時が来たら赤ん坊を手放したのだ。


上記の、白隠禅師の逸話は、エックハルト・トールの「ニューアース」からの引用です。

果たして今現在生きている宗教家で、白隠禅師のような対応ができる人はいるでしょうか。

世界には、仏陀の生まれ変わりを自称する者がかなりいるそうです。キリストの生まれ変わりを自称する者は、数がさらに多いそうです。

あるいは、また、そこまでの自惚れはないにせよ、教団を持ち指導している宗教者も世間には数多くいます。

しかし、彼らを見ると、その多くが、執着のかたまりです。むしろ、世間一般の凡夫よりも欲が深く、業が深いように、僕の目には見えます。

シルバーバーチの霊訓に、以下のような記述があります。

その昔イエスは「地上を旅する者であれ。地上の住民となる勿れ」と言いました。が、地上人類はその意味が理解できないために、言い変えれば、死後の存続に磐石の信念が持てないために、摂理が成就されないのです。例えば金持ちをうらやみ、彼らには悩みがないかに思いがちです。悩みというものが相対的なものであることに気がつかないのです。大霊の摂理は金銭でごまかすことはできません。

あなた方は個性の強化のために地上界へ来ているのです。その強化は日々の難問にどう対処するかによって決まります。その時に忘れてならないのは地上界で生じる難問には人間の魂に内在する霊力で克服できないものはないということです。いかなる難題も所詮は地上界での出来事であり、物的波動のレベルです。それに引き換えてあなた方は神の一部であり、神性を宿しているからです。

安らぎはただ一つ、大霊と一体になった者に訪れる安らぎです。大霊のリズムで鼓動し、大霊の意志のままに行動し、魂と精神が大霊と一つになっている者にのみ訪れます。そういう時は大霊の摂理と調和しているのです。それ以外に安らぎは得られません。

この私にできることは、その摂理がどうなっているかをお教えすることだけです。イエスは二千年も前に天国は自分の中にあると言いました。外部のどこかにあるのではないのです。ましてや混とんとした物質界には存在しません。魂の内部に見出されるのです。

シルバーバーチのことを知らない人も多いと思いますが、3000年ほど前に地上に生きていたことは述べていますが、誰に訊かれても、最後まで、その名を明かしませんでした。現在は非常に高い霊界にいるため、霊界側に一人霊媒(この霊媒がレッドインディアンだった)を立て、さらに地上の霊媒、バーバネルの口を通して語るというツイン霊媒で、メッセージを送る方法をとらざるを得ませんでした。

トマス福音書には、イエスの言葉として、「通り過ぎるものでありなさい」という言葉が残っています。

で、話を整理すると、仏陀の説く、諸行無常、諸法無我も、主イエスの説く、「通り過ぎるものでありなさい」も、ともに、この地上にアイデンティティを置いていないのです。

僕たちの本籍は、プラトンがイデアと呼んだ、実在の世界、にあります。

簡単に言うと、僕たちは、実在の世界(霊界と呼んでも良い)から、この地上に出てきて、経験を積んでいるというか、まあ、旅をしているようなものなのですね。

だから僕たちは、一人の例外もなく、すべてが旅人です。

どこに行かなくても、
家に引きこもっていても、実は、旅人なのです。

とまあ、かなり長くなったので、今日はここまで。


人生は束の間の劇場

毎年のように、知人や、かつてのクラスメイトなど、縁のある、あるいはかつて縁のあった人が、死んで行っています。

僕自身も、3年前に父を、去年母を、亡くしました。

実母に至っては、僕が16のときに亡くなっていますし、弟は生まれてすぐに死にました。

人はどこからやってきて、どこに去っていくのか、これは、幼少期からの僕の疑問でした。

で、さまざまな宗教団体で学び、また、僕自身の独自の学びにより、さらには、学びを超えた実感と言うか、気づき、によって、今は、ある程度の見通しを持っています。

そして今、僕なりの考えを簡潔に言うと、人生は束の間の劇場、だということです。


たまたま日本に生まれ、日本人として生きていますが、本当のアイデンティティは、そのような国にとらわれるものではない、と思います。

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たまたま日本に生まれ、と言いましたが、本当はたまたまではなく、日本に生まれるべくして生まれてきたのですが、ここの説明は長くなるので、便宜上、たまたま、と言っているまでです。

で、この束の間の人生で、人は何らかの役割を担っています。

更に本質的なことを言えば、役割でさえなく、それは、演技であり、役割演技と言ったほうが、正確でしょう。

なので、今、どんな立場にあろうと、それは、永遠に続くものではありません。

ここのところが実感としてわかってくると、人生は生きるのが楽になります。

楽になって、人生そのものを、旅のように楽しむことができるようになります。

今の僕の感覚は、まさにそういう感じで、せっかく縁あってこの世界に生まれて来たのだから、この旅、あるいは、この劇場を、楽しもうよ、と思っているのですね。

だって、こういう機会は、とても貴重なのですから。

“ひざの痛み”を訴える中高年は2,800万人

今朝読んだ、女性自身の記事で、膝を強くするための生活習慣について書いてあるのを読みました。

幸い僕は、今のところ、膝の痛みはないのですが、母はよく、膝が痛い、と言っていました。

また、僕の周りでも、膝の痛みを訴える人は、ちらほら、見受けます。

『100歳まで自分の力で歩ける「ひざ」のつくり方』(アルファポリス)の著者で戸田リウマチ科クリニック(大阪府吹田市)の戸田佳孝院長によれば、

「“ひざの痛み”を訴える中高年は2,800万人いると推計されています。自分の足で歩けなくなると、介護が必要になるだけでなく、積極的に外に出て人と関わろうという気力も失われて、どんどん心と体が弱っていきます。認知症のリスクも高まります。そのように自立を奪う最大の要因が“ひざ痛”です。ひざの痛みを克服して、“100歳まで歩けるひざ”を作ることが、寝たきりになることを防ぎ、健康寿命を延ばす秘訣なのです」

なのだそうです。

また、

「患者さんに『ひざによい食べ物は何ですか?』と聞かれて、私がすすめるのは納豆・鶏のむね肉・ブロッコリーです。納豆に豊富に含まれるビタミンKはカルシウムを骨につけるタンパク質の合成に不可欠。鶏肉はタンパク質が豊富。ブロッコリーにはひざの炎症を抑える『スルフォラファン』が含まれます。診察をしていると、ひざが悪い人には、どうも納豆や鶏肉が苦手、という人が多いようです」

ということなので、僕自身の食生活も考えてみました。

まあ、納豆はよく食べていますが、鶏肉は、たまに食べるくらいですね。ブロッコリーは好きですが、毎日は食べませんね。

おおむね、アスリートに良いとされる食べ物が、膝にも良いのかもしれません。

さて、僕のような、60にもなったおひとり様は、健康管理が基本。


そこで始めた自彊術ですが、友人で先輩のSSさんから借りたDVDは、磁力が弱いのか、数回の再生で読み取らなくなったために、楽天ポイントを使って、DVDも購入し、それを見ながら、ほぼ、毎日実践しています。


ほぼ毎日、というのは、たまには、やらない日もあるということですね。

まだ、初めて10日ほどですが、何とか続けられそうなので、これからも、経過報告していきます。

今日は朝から冷たい雨

スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに換えたのは、桜の咲き誇る道を歩いた日の土曜日なので、6日のこと。

そして、今日、10日は、朝から霙交じりの雨。

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まあ、雪になることはないと天気予報で言っていたので、大丈夫だとは思いますが、小学生の頃、4月17日に雪が降ったことを思いだしました。

どうしてそんな日付まで覚えているかと言うと、その日が、お祭りの日だったから。

寒いのは今日1日だけで、明日からはまた、春らしい陽気になるようです。

今日のような雨の日は、静かに意識を遊ばせるのに最適。

情報から遠ざかり、自分と向き合うことといたします。

月額家賃の100倍の貯蓄額が必要だそうです

土曜日に、公団住宅沿いの桜を目にして、老後は、ああしたところに住むのも、選択肢の一つとしていいのではないか、と思いました。

まあ、僕の場合は、すでに、介護のために建て替えた家があるため、その選択肢はないのですがね。

うーん、僕は69歳まで住宅ローンが続く、世間一般では、老後破産まっしぐらとかいう、定年退職後も住宅ローンを払う組なのですが、まあ、ゴールがあって良かったな、とは思っています。

というのも、年を取ってからのアパート探しは大変だからです。

そこで、東京都住宅供給公社の規定をチェックしてみました。

それによると、月額家賃の100倍の貯蓄額が必要、かつ、満60才以上であること、だそうです。


ということで、満60歳以上はクリアーしてますね。


問題は、月額家賃の100倍の貯蓄額のほう。

月額家賃5万円としたら、500万円。


すでに過去記事でも公開しているように、僕の貯蓄額はそこまではありません。

なので、落選

チーン
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まあ、東京都住宅供給公社に住むのも、審査があってそれなりに大変だということが、わかって、改めて、自分は恵まれている、と感謝した次第です。

老後生活にしろ、セミリタイア生活にしろ、住居費の圧縮がキモであることは、同じかもしれません。

桜の風景から、横顔へ

思いがけず遭遇した美というモノは、インパクトがあります。

まさに土曜日に見た、古い公団住宅沿いにある桜道は、そうでした。

別に名所でもなく、何の変哲もない場所。

で、桜の木の下で、やはり飲み食いをしている家族やグループ、だべり合っている若者たちなど、それぞれにぎやかに過ごしていたのですが、勿論エチケットとして、そうした人たちを写真に撮ることははばかられ、やり過ごしたのですが、そうした喧騒とは別に、一人で、桜の木の下で本を読んでいる婦人だけは、どうしても、記憶に残しておきたかったのです。

それで、少し離れたところから、桜の木を撮るふりをして、パチリ、と。

家族連れや、仲間たちとわいわい飲み食いしている集団が多い中で、一人で、ああして本を広げて読むということは、なかなかできることではありません。

できることではないが、なんかうらやましいというか、その自由さがいいなあと言うか、とにかく好感を持ちました。

ということで、その写真を再びアップ。


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で、その流れで、人の暮らしというモノを改めて、考えてみました。

どうしても、旅行とか、レジャーと言うと、少し大げさになりますが、生活の足もとに、暮らしの快適さのヒントがあるのではないか、と。

ふと、その女性を見て、思いました。

まあ、顔をのぞき込んだり、横顔さえ見る勇気はありませんでしたが、遠くから見ていても、心が和みましたね。

横顔と言えば、とても素敵な曲があるので紹介します。





ター坊と呼ばれていた大貫妙子も、もう65歳。

シュガーベイブ時代からだと、かなりの音楽キャリアです。

何かの雑誌で知ったのですが、今は葉山に住んでいるとのこと。

僕も、二十代の頃に葉山の友人宅に居候した経験があり、とてもいいところです。海も近いし。

ああしたところで晩年を過ごせるのならば、まだまだ良い曲が作れると思います。


桜吹雪と桜の木の下で本を読む婦人

昨日は、朝、ノラ・ジョーンズを聴きながら、紅茶を飲んで窓の外をしばし眺めていました。

その後、ステーキのどんに行き、ランチを食べ、しだれ桜で有名な寺に。


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菜の花の向こうに枝垂桜。うーん、いい感じ。

で、昨日の用事は、スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに替えてもらうために、自動車屋に行くことだったのですが、まだ時間があったので、少しドライブ。

すると途中で、素敵な桜スポットを発見。

隣の市の、かなり古い公団住宅がある川沿いにある桜なのですが、その商店会の駐車場に車を停めました。


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一階部分が商店会なのですが、営業している店はわずかで、大半がシャッターが下りています。

で、僕は、桜を見学しに川沿いに。


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満開の桜に、心もワクワク。

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ちなみに、反対側は、こんな感じ。

うーん、どっちに行こうかな。

まあ、とりあえず、歩きましたよ。


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うーん、桜のトンネルが。

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どこまでも続く川沿いの桜道。

こうして歩く間も、桜吹雪が僕の頭に、肩に、積もる。


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わお、桜の木の下で本を読む婦人を発見。

こういう感性って、好きなんですよ。

この人、人生の楽しみ方を知っています。孤独にも強そう。

遠慮気味に、ちょっと離れた場所から、アイフォンでパチリ。


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しかしこの桜通り、かなり長いですよ。

別に、有名な名所でもないのに。

とりあえず、途切れるところまで行ってみようかと。


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うーん、公団住宅もこのあたりで終わり、桜の乱舞も、この先で終わってるっぽい。

で、URにUターン(座布団1枚)。


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うーん、桜に酔いしれそうだなあ。この美があれば、酒、要らなくね。

水でも、酔えるよ。

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遠出しなくても、近くにいい場所があるじゃん。

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こういう反射も、いいよね。

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川に落ちた桜と、排水溝の出口下に張り付いた桜も、なかなかおつなもの。

で、この後、車屋さんに行ったのですが、思いがけない桜の饗宴に、うっとりした気持ちがずっと続いています。


断捨離後にわかる要るものと要らないもの

断捨離をしたのは、去年の秋のこと。

あれから、半年が経とうとしていますが、断捨離は大正解だったと思います。

まず、言えることは、断捨離したことで、年末の大掃除などという大げさな行事がなくなったことです。

そして、断捨離後は、我が家には大きな家具がなくなったので、仮に何かを動かす際にも簡単にできることです。

さらに言えば、現存する家具の大半はキャスター付きで、移動が楽なこと。

これも、考えた末の決断で、これも大正解。

今はまだ60歳と若く(若くねえか)、自分でだいたいのことはできますが、今後は徐々に不如意となっていきますからね。

そうしたときに、自分では動かせない大きな家具があったりしたらと考えるだけで、心が重くなる。

心は、常に、軽くしておかないとね。

その心がけ一つで、人生はどんどん身軽になっていきます。

で、前回の断捨離後から、何か変化があったかと言うと、一つだけあります。


断捨離後の12畳の快適空間

上の記事を書いたときには、12畳の部屋に据え付けていたのが、6畳用のエアコンでした。

で、ジャパネットで家電祭りというのをやっていて、やっぱ、エアコンはダイキンがいいなと思い、ジャパネットに電話したりもしたのですが、仕事帰りに立ち寄ったベイシア電器でも相談したところ、ジャパネットのものよりも上級ランクのエアコンを、ジャパネットよりもさらに安い金額で購入できました。

6畳用のエアコンを、14畳用にするときは、コンセントも変える必要がありますからねえ、そうしたことも込みの値段で、さらに、ジャパネットよりも安くしてもらえたし、さらに、10年保証付きだったので、購入を即決。

で、今は、主たる居住空間である12畳の部屋には、ダイキンの14畳用のエアコンがついています。

これで、今年の夏は快適。

値段はかなりしましたが、そういうところのお金はケチってはいけません。上級モデルのエアコンは、消費電力に優れていて、ランニングコストも少なくて済むのです。

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従って、イニシャルコストが、多少かかっても、長い目で見ればお得なのです。

で、何が言いたいかと言うと、断捨離後は、要るものと要らないものが、ハッキリとわかるので、消費行動が楽になる、ということですね。

つまり、消費も、より主体的にできるようになる、ということかもしれません。

お金を使わない上質な暮らし

僕は、これまでいろいろな人に影響を受けて、今があると思っています。

それは、実在の人物であることもあるし、歴史上の人物であることもあります。また、時には小説や漫画の中の架空の人物であることもあります。

で、歴史上の人物はやや距離感があるし、小説や漫画の中の人物はリアリティに欠けますが、やはり何と言っても実在の人物から影響を受けることが最も多いかと思います。

影響を受けた人はたくさんいますが、その影響力にはかなり、差があります。

で、そうした人をここで挙げていくときりがないのですが、たとえば、さりげない影響力、というモノがあるように思うのですね。


たとえば、僕が二十代の頃、アルバイトは数限りなくしているのですが、そのアルバイトの日々の中で、ある高齢の、60歳くらいの女性の家でお茶を飲む機会がありました。

その前後の経緯は記憶があいまいなのですが、彼女は公団住宅のようなところの4階あたりに住んでいて、その暮らしぶりが質素であることは一目瞭然でした。


ただ、家具にしろ調度品にしろ、よく使いこまれていて、質素ながら気品があるのです。

そして僕は、その部屋で、午後のお茶を飲ませてもらったのですが、何気ないインスタントの紅茶でしたが、とてもおいしく、上質の時間でした。出された菓子もありふれたものでしたが、何かが違う。

当時僕は若く、深い考えもなく、ただ、いい雰囲気の人だなあ、と思っただけです。

勿論、自分の母親よりも上の年齢の人に恋愛感情はなく、そういった類の感情とは別の憧れのような感情とでもいうのでしょうか。


とても、いい時間だった記憶があります。

だからこの婦人とは、出会い、というよりも、つかの間の触れ合い、だったのだと思いますが、その後、僕が簡素な生活への憧れを持つに至ったことと、無関係ではないように思いました。

勿論、この婦人一人の影響力ではなく、僕には昔から、修道院生活への憧れや、雲水生活への郷愁のようなものがあり、魂の生地として、簡素なものが好きなのだとは思います。

雲水などの修行僧の持ち物は、三衣一鉢ですし、イエスも、「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」と言っています。

まあ、持ち物への執着は、苦しみを生むのですよ。


で、話を戻すと、お金を使わない上質な暮らしは、意外と近くにあるよ、と言いたかったのですね。

暮らしが上質になるかどうかは、その人次第、なのではないでしょうか。

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心が晴れやかだと、塩むすび一つの昼食でもおいしいですからね。

太陽と仏陀とアルバイト生活

昨日の夕方、社員さんをキャラバンにのせて最寄り駅まで送り届けて工場に戻るときに、バックミラーに強烈な光を放つ太陽が飛び込んできました。

その光の威厳に打たれ、しばし陶然としました。

あるいはまた、午前勤務のときであれば、仕事帰りにこのような、


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仏陀の像を見つけたりします。

つまり、発見があるのです。

発見、とか、出会い、ですね。

で、勤務時間は、この世の物差しである時計で決められているのですが、季節は移ろい、その移ろいに合わせて風景は変化します。

それが、おもしろいのです。

アルバイト暮らしであるからこそ出会える風景、なのかもしれません。

そんな小さな喜びを、積み上げていく日々です。


何とかこのまま息を潜めるようにして暮らしていければ

何とかこのまま息を潜めるようにして暮らしていければ、僕はそれで十分で、他に大した望みはありません。

今の穏やかな暮らしに、極上の喜びを感じているので、このまま少しずつ衰えていき、できれば、自宅で死にたいと思っています。

仕事に費やす時間も、通勤時間を含めて6時間と少し。

ときどき、相方が有休をとると、通し勤務で11時間以上の拘束時間となりますが、それは月に一度あるかないか。

むしろときどき、そうした長い勤務を経験しておくと、普段の時短勤務のありがたさと言うか、快適さがより深く感じられるということで、それはそれでよし。

とにかく、今の暮らしが自分に合っているのです。

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欠けたるものは、何もなし。

生活は、月11万円ほどのアルバイト収入で、全く支障なくやれています。

これで、住宅ローンさえ終わってしまえば、生活は相当楽になると思います。

とにかく、欲しいものが、ない。

家電製品が壊れたら買い替えるくらいなもの。

そのような、必要に迫られたときに対応できるくらいの蓄えがあれば、他にお金を使うところは数えるほど。

以前は、よく温泉に泊りがけで行っていましたが、それは親がいればこその話。

親の喜ぶ顔が見たくて、行っていた部分がかなりあります。

勿論、僕も温泉好きですが、一人で行くなら、日帰り入浴で十分。

だって、泊りがけで行って、広い会食場で、一人で無言で食べるのも、何か味気ない。

それならば、家でのんびりしたり、近場をさ迷い歩くほうが良くね、という感じなのですよ。

何はともあれ、この日々の平安こそが喜びであるのです。

継続は力なり、生活の中に組み込んだものしか続かない

今日から4月。

そして、今日から午後勤務。

そのため、目覚まし時計で起きることなく自然に目覚め、モーニングコーヒーを飲みながらゆっくりと過ごし、それから庭に一本だけある、そこそこ大きな木の枝を切りました。

この木は、隣家との境界にあり、これから暑くなり葉が茂ってくると、隣の家の庭にも葉が落ちたりします。

そこで、早めに枝を切っておこうと思ったのですね。

枝切りをしながら、隣の主人と会話。

隣の主人は、もうすぐ70歳だそうで、趣味のツーリングも、最近はやってないとのこと。


今日、枝を切った理由は、暑くなる前にというのと、もう一つは、明日が、木の枝や葉などを出せるゴミ出しの日だからです。

ちょうど枝を切り終え、落ちた葉を拾い集めて90リットルのごみ袋に入れていたときに、メール便のお姉さんが、僕の家の前で車を停めました。

楽天ブックスで注文しておいた自彊術の本だな、と直感したら、その通り。

この本、楽天ポイントでの買い物なので、現金の支出はなし。

ローコスト生活の面目躍如と言ったところ。

すでに昨日、DVDを見ながら、一度行った自彊術ですが、全31動作を行っただけで、かなり効いている、感触を得ています。

今日は、午前中に、木の枝切りという一仕事を終え、これから食事をして仕事に行くので、自彊術は、夜になる予定です。

ゆっくりやっても30分で終わるので、慣れてきたら、もっと時間も短縮できると思いますが、早くやるよりも正確に、丁寧にやることを心がけたいと思います。

ジムに行くのもいいのですが、これから年を取っていくことを考えれば考えるほど、自宅で気軽にやれて、しかも体に無理のないものが一番かと。

その点、今回SSさんを通じて出会った自彊術は、まさに天からの贈り物だと思っています。

どんなに良いこと、良いモノでも、継続しなければ、継続できなければ、意味がないので、その点、生活の中に組み入れやすい自彊術は、良いのではないかと思っています。

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