介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2019年03月

厳然とした事実として、死、というモノがある以上

若い頃はエネルギーが横溢しているので、その必然の結果として能動的なもの、あるいは攻撃的なものへ、思考、もしくは、行動が、傾くのは当然である。

そのため、活動的でないものを軽視し、華々しいものにあこがれる。

僕の場合で言えば、格闘技や喧嘩腰の議論、海外への旅、などが、それになります。

強いモノ、アクティブなモノ、への志向から、空手や少林寺拳法、中国武術などに興味を持っただけでなく実際に道場に通いました。また、ブルース・リーへの傾倒から、香港にも3回行きました。

武道や格闘技の話をしだすと止まらなくなるので、この辺で押さえますが、要は、若い頃は、能動的攻撃的傾向があるということです。

ところが、年を取るとともに、僕の場合は、次第に受容的、内省的になっていきました。

まず、厳然とした事実として、死、というモノがあります。

3年前には、在宅で父を看取り、去年は母を亡くし、ますます、死、というモノを考えるようになりました。

そして、死を考えて思ったことは、どんなに鍛えても、強さにアイデンティティを依拠するのは虚しい、ということです。

これは、美についても言えます。

どれほど美に執着しても、年とともに容色が衰えていくことを止めることはできません。

それゆえ、美、にアイデンティティを置いている人も、早晩、苦しむことになります。

ですから、この世の移ろいやすいもの、今の例で言えば、強さとか、美とかに、アイデンティティを置くべきではない、というのが、僕の考えです。

で、まず、大切なことは、衰えていく自分、という事実を受け入れる。

その上で、自分が最善と思えることを成していく、ことではないか、と思うのですね。

で、縁あって出会った自彊術ですから、僕は、これに、今日から取り組もうと思います。

そしてできれば、自分の肉体と対話できるところまで行きたい、と思っています。

格闘技には戦う相手、つまり敵がいますが、自彊術には、敵はいません。

敵がいないことを、無敵と言うのです。

60代最大の関心ごとの一つかもしれない

元横綱の、北尾氏が亡くなったことを聞いたとき、僕が改めて思ったのは、格闘家が意外にも短命であること。

千代の富士もそうでしたが、僕が若い頃に馴染んでいた空手でも、たとえば、黒澤浩樹。

極真の全日本大会で、初出場初優勝した、ファイティングマシーンと呼ばれた男です。その黒澤が亡くなったのが、50代。

また、かつて、マンガにも登場した、ケンカ十段、芦原秀幸も、短命でした。

芦原秀幸は、極真会館を破門されたのち、四国松山に、芦原会館を開きました。

四国と言えば、僕が十代の頃に影響を受けた宗道臣の少林寺拳法の本部道院があるのが香川県。

で、武道とは離れますが、僕が18年弱、信仰していた幸福の科学の教祖、大川隆法が生まれたのが徳島県。

そして、僕が尊敬する坂本龍馬が生まれたのが高知県。

と言うことで、四国四県は何かと縁があり、いずれの県にも行っていますが、どこに行っても、食べ物がうまい印象です。

まあ、それはさておき、何を言いたかったのかと言うと、あまり無理な鍛え方をすると、健康寿命に影響するのではないか、ということです。


そして昨日、僕の友人のSSさんが、やっている自彊術と言うのを、見に行ってきました。

昼頃に仕事を終えたあと、隣の市のレストラン天狗でランチ。支払いは、500円分の株主優待と、現金140円。税込み640円の日替わりランチをいただきました。

午前勤務のときは朝食は食べないので、ライスとお味噌汁をお替りしました。


その後、お寺で開催されている自彊術を見に行ったのですが、そのお寺が、レストラン天狗の近くで、単立のお寺で、街中にあるため、駐車場もないようで、くるまはそのままレストラン天狗の駐車場に置いたまま、歩いて行きました。

そして、高齢者の集う、自彊術教室の片隅で、見学させてもらいました。


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うーん、自彊術。よさげです。

自分で、器具も何も使わず、自宅でも、できるのがよろしいかと。

で、帰りに、SSさんが、DVDを貸してくれました。これを見て、独習しろ、と。

で、できれば、本も買ったほうが良い、ということで、本も紹介してもらいました。

その本も、楽天ブックスで、楽天ポイントを使って購入しようかと、今、検討中です。

うーん、自彊術。

とりあえず、ぼちぼちと始めてみて、その後どうなったかは、またいずれ、経過報告いたしますね。

何と言っても、健康あっての人生だと、改めて思った昨日でした。


実は、身近にいる億万長者

僕は自分の資産(というほどのものではないが)も、ブログで公開しているので、いかに倹しい生活かは、わかってもらっているとは思いますが、実は意外にも、億万長者は身近にいたりします。

たぶん、あなたのすぐ隣にもいますよ。

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その点は、浮遊霊と同じかもしれません。

たとえば、この人、ロナルド・リード

1922年、アメリカのバーモント州ブラトルボロで生まれたロナルド・リード。彼は地元のバーモント高校を卒業した後、第二次世界大戦で北アフリカ、イタリアで兵役につきました。


やがて第二次世界大戦が終わり、彼は地元のバーモント州で、兄とともに自動車修理工として働きました。

しかし、その工場は他社に売却され2人は職を失ないます。

ロナルドはその後、大手デパートでの掃除夫やガソリンスタンドの店員として働きました。


彼は少ない給与でもコツコツと真面目に働き、倹約質素な生活を続けていました


彼の死後、遺産分与に関する遺言状が弁護士に託されましたが、彼の職業や収入から考えると、その遺産は当然微々たるものだと思われました。

しかし、実際には、ロナルドが所有していた株式の束を確認したところ、なんと彼の資産は800万ドル(約9億610万円)にもなっていたのです。


その遺産はロナルドの遺志に従い、ブラトルボロ・メモリアル病院に480万ドル(約5億4300万円)、ブルックス図書館に120万ドル(約1億3500万円)が寄付され、残りは親族や友人に分けられました。


もう一度言いますが、ロナルドの職業は自動車の修理工やガソリンスタンドの店員です。


あるいは、日本人であれば、本多静六なら、知っていますよね。

僕が住む埼玉県が生んだ偉人です。月給の4分の1を天引き貯金して、財を成した人です。


実は、僕の職場のアルバイト仲間にも、億万長者がいることが判明しました。

今度、その人についても、書いてみます。

赤毛とソバカスにまた行きたい(もうないけど)

高校時代のときどき行っていたロック喫茶、赤毛とソバカス。

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吉祥寺にあったのですが、高校3年ともなれば、車の免許を持っている友達もいて、そいつらの車で吉祥寺に。


赤毛とソバカスは、ジャズ喫茶もあったのですが、当時は僕も仲間もだれ一人、ジャズを聴く者はおらず、当然ロック小僧で、ツェッペリンとか。


まあ、僕は、イエスとか、クリムゾンなんかをリクエストしていたのですが。あとは、ピンク・フロイドね。プログレが多かったですね。






ただ、当時一番耳にしたのが、ジェフ・ベックだったと思います。

ファンが多かったんでしょうね、その必然として、リクエストも多かったのだと思います。

確かに、ジェフ・ベックのギターはすげえとは思います。僕も、今でもたまに聴いています。


で、それはさておき、やっぱ、クリムゾンをリクエスト。






イエス、キング・クリムゾンときたら、ピンク・フロイドをリクエストしないわけには行きませんね。

と言うことで、




当時の、プログレ御三家と言うか、何と言うか。

思春期にいい音楽をたくさん聴いていたおかげで、老後も、これらの曲を聴くたびに、当時の楽しかった日々がよみがえります。

今でも年に三日くらいは、ひとりプログレ祭りで、プログレを聴きまくることもあります。


一か月更新のアルバイトで食いつなぐ日々

今月も無事、お給料をいただけましたことを、皆様に報告いたします。

そしてまた、無事、一か月更新の契約書を更新できたことを報告いたします。


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上記雇用契約書は、去年のものですが、このような書面を、毎月渡されます。

だいたい、給与明細書と一緒に渡され、サインと印鑑をして返却します。そして、自分でも一枚持って保存します。

上記文面にあるように、「会社の経営状況、本人の能力に」とあるように、一か月更新のアルバイトは、雇用の調整弁の役割もありますね。

そもそも派遣社員でもあるわけで、派遣されてその工場に行き、働いているわけで、まあ僕は、もう60歳だし、子育て世代でもないので大丈夫ですが、現役世代はきついでしょうね。

どうも聞くところによると、僕が働く工場も、正社員よりも派遣社員のほうが多いという噂です。

まあ、僕の目から見たら、誰が正社員で誰が派遣社員なのか、見分けがつくはずもなく、とにかく顔を合わせれば、誰にでも挨拶して、つつがなく仕事をこなすだけです。


年金をもらえるまでは、あと5年。

報酬比例部分をもらえるまでは、あと3年。

住宅ローン完済までは、あと9年3か月。

まあ、そんな先のことは考えず、毎月、更新された仕事に取り組むといたしましょう。


天涯孤独のおひとり様にとって、近所づきあいはある意味死活問題、でも素顔のままでいられたらいいよね

昨日は、自治会の総会でした。

年に1回の総会、欠席するわけには行きますまい。

ましてや、天涯孤独のおひとりさま。

近所づきあいは、ある意味、死活問題。

ゆめゆめおろそかにはできませぬ。

僕のご近所も世の中の縮図である事実に変わりはなく、高齢化が問題になっています。

で、昨日議題に上ったのは、毎年春と秋に行われる一斉清掃について。

この一斉清掃は、介護離職後は、僕は欠かさず出席しています。

それまでは、ホテル勤務だったため、日曜日が出勤日に重なることもあり、必ず出られるわけではありませんでした。

で、父も母もなくなり、天涯孤独の身となった今は、アルバイトを探すときも、必ず、日曜休みのところでした。

それは、勿論、自治会の活動に欠席しないため。

近所づきあいをなめてはいけません(誰も舐めていないって)。

会社の人間関係から解放されても、近所の人間関係は、自分が今の家に住む限りはついて回ります。

そして、この家は、終の棲家。

だからこそ、近所づきあいは大事なのですよ。


人生なんて、良いときもあれば、つらいときもあるもの。

以前、僕は、近所づきあいで、つらい経験もしているので、特にそのへんは気をつけています。

まあ、肩ひじ張らずに、肩の力を抜いて、なるべく素顔のままの付き合いを心がけています。





天涯孤独のおひとり様にとって、近所づきあいはある意味死活問題。

でも素顔のままでいられたらいいよね、と思っています。

自分の思い通りになることとならないことを見極めて、足ることを知って生きる

昨日は、午前中は霙交じりの雨が降っていたので、自宅警備とブログパトロールの日と決めて、コルトレーンを聴きながら、パソコンの前に座っていたのですが、ずっと座っていたら、ちょっと苦しくなってきました。

なんか、事務職の人って、こんなふうに座っているのだとすると、やっぱそれだけでも大変な仕事なのだな、と思ったりもしました。

ジョン・コルトレーンのアルバムはものすごい数があるので、とても全部を聴き切れるものではありませんが、縁あって入手できたものを大事に聴いています。

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昨日、繰り返し聴いていたのは、ジョン・コルトレーン アンソロジー1956-1958。

さて、世の中には、自分の努力ではどうにもならないことにこだわって悩んでいる人がいます。

まあ、そういう僕も若い頃は、そうだったのですが、あるときに気づいたのですよ。

この問題は、俺が、どんなに悩んでも解決しない、と。

だったら、悩むだけ損じゃね、と。


その気づきを得てからは、徐々に悩みからは解放されていきました。

悩むたびに思うのですよ、これは俺がどうにかできる類のものか、とね。

そうすると、次第に、悩みを客観的に突き放して見られるようになりました。

つまり世の中には、自分の思い通りになるものとならないものがあるのですよ。

で、自分がどうにもできないことは、悩むだけ損なのですよ。

その無駄なエネルギーを、もっと建設的なと言うか、もっと自分が楽しくなるために使ったほうが良いのではないのかと、思いますね。

昨日は僕は、コルトレーンを堪能して、楽しかったですよ。楽しかっただけでなく、味わい深かったですよ。

ジャズとボサノバと沖縄民謡が好きだと他人には言っているのですが、今は家にいるときは、8割がジャズですね。で、あと1割がクラシックで、もう1割が、その他諸々。

で、そのように音楽でも、自分の好きなものを聴く。これは、100パーセント自分の自由。

自分の自由になることは、全部自分の好きなようにする。

だけど、自分がどうすることもできないものに関しては、あっさりとした気持ちで眺める。

そのようにして、足ることを知って毎日を暮らしていれば、まずそうそうストレスなどもなく、伸び伸びとやっていけます。

普通に起こり得る遺産相続の怖い話

昨日アルバイトから帰って、昼食を作っていたときに、何気なくつけたテレビ。

NHKの「助けて!きわめびと」約40年ぶりに変わる「相続の新ルール」というのを、みていて考えさせられました。

高齢の夫に先立たれ、一人残された老婆とその二人の子供、長男、長女、の三人の相続の話でした。

長男も長女もそれそれ自分の家庭を持っています。

で、法律では、妻である老婆が二分の一、残りの二分の一を二人の子供がわけるのですが、資産は持ち家(2000万円相当)と預貯金1000万円。

どうしても分け前が欲しい長男長女は、老婆の住む自宅売却を提案。

老婆は渋々売るのですが、高齢のため、なかなか次の住処が見つからず、やっと見つけたアパートは、知らない町の中にあり、近所づきあいもなし。

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誰も幸せにならない、あえて言えば、長男長女だけが、それぞれ750万円という現金を得ただけの話。

で、このほど、相続のルールが変わり、高齢の夫に先立たれた妻は、その家に住み続ける権利を持つというモノ。


遺産相続は、僕も経験しています。

ただ、僕の場合はきわめてシンプル。

兄弟もなく、義理の母とも仲が良かったので、もめることはまったくありませんでした。

と、ここまで書いたところで外を見ると、何やら霙交じりの雨が降っています。

今日は外は寒そうなので、自宅警備とブログパトロールとしますか。

まあ、週末の休みは、雨の日はのんびり過ごさなくちゃね。


栄華を極めたときのソロモンでさえ

お金のある無しにかかわらず、人生における幸福の種はそこかしこにあります。

たとえば、季節の移ろい。

僕が、今のアルバイトを始めたのは、昨年の7月。

暑い盛りでした。

母が死んだのが5月。

そして、母の四十九日法要を終えたのが7月初め。

その区切りがついて、すぐに仕事につけたのは、天の恵みとしか言いようがありません。

介護生活ののち、ミッシングワーカーになってしまう人もいると聞きますからね。

で、仕事は、午前勤務と午後勤務を月替わりでやるのですが、たとえば午前勤務であれば、冬などは、暗いうちに家を出ます。

そして、3月の今は、もう、出勤時間には空が明るくなっています。

こうした季節の移ろいを身をもって感じられるのも、早朝に家を出るからこそです。

午後勤務の場合は、午前をゆったりと過ごせますし、それはまたそれで良いものです。

わずか25分ほどの通勤時間でも、季節の移ろいを感じたり、今の時期であれば、菜の花の咲く風景を見たりするのも心が和みます。

昨日、勤務先の工場の片隅に、黄色い花が咲いているのを見て、写真にとりました。

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この黄色い花を見たときに僕が自然につぶやいたのが、マタイによる福音書の一節。

「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」

ソロモンというのは、イスラエルの王で、巨万の富を持っていた人です。そのソロモンでさえ、この一輪の花ほどには着飾ってはいなかった、ということ。

豊かさというのは、すぐ足元にあったりします。ただ、それに気づくか気づかないかは、人それぞれ。

この一節の前後の記述は、深い内容です。マタイによる福音書だと第6章に当たる部分。ルカによる福音書だと12章に当たる部分ですね。

うーん、深い言葉だと思いませんか。

アルバイト先の工場の敷地の片隅に咲く黄色い花に癒された時間でした。

ライフで見た二人のおばさんのびっくりする行動

僕がメインに利用しているスーパーマーケットのライフで、二人のおばさんのちょっとびっくりする行動を見たときのことです。

一人は、品の良さそうなおばさんで、キャベツの安売りの日でした。

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ひとつ98円だったのですが、そこは野菜のこと、大きさに違いがあります。

で、誰でも少しでも大きなキャベツが欲しいところ。

そうは言っても、そこにあるものから選ばねばならず、僕も御多分にもれず、複数並んでいる中から、大きめのものを選んだのです。

で、キャベツを買い物かごに入れる際、外側の汚れた葉は、横に置いてあるごみ箱に捨てます。

そのため、隣接のごみ箱はキャベツの葉でいっぱいに。

そのキャベツの葉を数枚、品の良さそうなおばさんが拾っていたのです。

僕は、嫌な気は全くせず、どこか申し訳ないような気持ちになりました。

この同じ日、別のおばさんのびっくりする行動も目撃しました。

こちらのおばさんは、どことなく身なりが汚らしい感じで、顔つきも卑しさが出ていました。

そのおばさん、何と刺身コーナーから、カゴに置いてあるワサビと生姜を大量に手につかんでポケットに入れていました。

そのワサビと生姜は、刺身を買った人が必要なだけ、たいていは一つか二つ持ち帰るものなのです。

それを、刺身を買いもせずに、ワサビと生姜だけを鷲掴みしてポケットに入れ、何を思ったかまた戻ってきて、別の場所のカゴの中のワサビと生姜もまたいくつかつかんで、そそくさと歩いて行きました。

最初に見たおばさんには好感を持ち、あとに見たおばさんには嫌悪の感を持ちました。

まあ、その感情も一瞬想起しただけで、いろいろな人がいる、と思い、自分の買い物を続けたのですが、いろいろな場所で見る人の行動で、いろいろなことを想像することがあります。

人生いろいろ、おばさんもいろいろです。

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