介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2018年12月

大晦日の長い夜を僕と過ごしませんか

おひとり様にとっての、大晦日の夜。

長かったりしませんか?

そんな時、僕と過ごしませんか?

僕は、孤独の達人ですから、あなたの支えになり得ますよ。

で、そんな孤独に寄り添う曲を。






僕の歌姫の一人、浅川マキの、「夜」が、あなたを慰めます。

紅白もいいけど、そんな世間に背を向ける夜も、いいと思いませんか?


人間をやめてしまいたい、と思うことがある

人間をやめると言っても、自殺願望があるとか、そういうことではありません。

まあ、いろいろとめんどくさいと感じるときはありますが、幸いおひとり様なので、いろいろなしがらみからは比較的自由な立場にいます。

クリスマスや年末年始は割と好きで、人々が浮かれているときというのは、僕はより自分を客体化できるので、その遊離感が人間というモノから離れられる気がするのです。

たとえば、帰省ラッシュ。

空の便も鉄道も高速道路も混んでいます。

それらを俯瞰して、大変だなあ、と思う。

海外への出国ラッシュも、たとえレジャーに行くとはいえ、大変だなあ、と思う。

たとえば、子供を連れて故郷に帰る、そこには両親や兄弟がいて、歓迎してくれる、両親にとっては孫の顔を見るのが楽しみだし、自分にとっては、それは年に一度の親孝行の恒例行事。ある意味、日本の家族制度の象徴のような風景。

微笑ましいのですが、その中に自分がいなくて良かった、という思いがある。

つまり、自分は人間というよりも、長らく人間を見つめている巨木のような感じ。

だから僕は、年末年始のさまざまな風景を見るのが好きなのです。多くの人が初詣にごった返す風景とか。

そして、自分は、そうした中にはいない。

自分が初詣に行くときは、人がいなくなったころだったりします。そのほうが、断然、いいから。

で、年末年始のこの期間は、僕のアルバイトも休みになるので、休んだ分はお金はもらえませんが、それ以上に、まとまった時間が得られるほうが嬉しいのです。

そしてその時間に、特別どこに行くでもなく、自分自身の内側に目を向ける。あるいは、自分自身に向かって旅をする。

いやあ、どこにも行かないと言っても、少しは、散歩のようなことはするのですよ。

事実、昨日も、友人Oと、隣町を散策しました。

川沿いを歩き、田舎道を歩き、青空を眺め、公園のベンチで自分で作ったおにぎりを食べ、また歩き、寺に立ち寄り、ふと目にした手作り豆腐店で豆腐を買ったり、そんなことをして3時間ばかりの散歩を楽しむくらいのことはします。

でもまあ、どうもこの、人間という役回りを演じるのも、あと、せいぜい30年くらいか、もっと短いか、なので、せっかくの人間生活を、自分なりに楽しみたい、と言うか、味わいたい、とは思っています。

そう思いつつ、まとまった時間のあるこの時期は、より本質的な自分自身へと向かっていきたいと、強く思っています。

滋賀県大津市生まれで山口県防府市育ち

滋賀県大津市には行ったことがあるのですが、山口県では下関とかには行きましたが、防府市には、まだ行っていません。まあ、その前に、吉田松陰先生の萩市に行かねば。


で、滋賀県大津市生まれで山口県防府市育ちは、山崎まさよしです。


山崎まさよしは、声が良く、音楽のセンスも抜群。


山下達郎には一歩及びませんが、得難い才能だと思っています。






まあ、明日は明日の風が吹きますからね。

イエス様も言っています。

「明日のことを思い煩うな。 明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
とね。 

生活保護について、もう少し言わせてください

前回は、薬痴寺先輩にも登場していただいて、言及した生活保護ですが、確かに一般的なレベルの生活よりは少ない収入で暮らすことになります。

そのため、多くの人からは、あの程度のお金で暮らしてくのは大変だろうとの認識はされているでしょう。

しかし僕は、多くの現実と、また、生の肉声が吐露されている数多くのブログを徘徊して思うに、生活保護の生活扶助費よりも少ない、お金でやりくりしながら、そこから税金も払い、医療費も負担している事実を知っています。

僕自身も、今月は、住宅ローンを支払った残りの、生活費、6万円の中から、歯科治療費も捻出しています。

そういう意味では、僕も、生活保護以下の生活費で暮らしている一人かもしれません。

自分のことを棚に上げて物を言うつもりはありませんので、ここで、あえて自分のことにも触れました。


生活保護をもらっている人も、十把一絡げではないことも、容易に想像できます。

中には、本当に申し訳ない、と思いながら、肩身の狭い思いで受給している人もいるでしょう。そういう人に対しては、僕は何も言うつもりはありません。

そうではなく、前回の記事で言及したY氏のような人です。

若い頃の不摂生や無計画な支出、自身の放埓な生活が招いた末の生活保護で、さらにそれを感謝もせず、当たり前のように受け取って、その上不平不満までたれる輩のことを、薬痴寺先輩の言葉を借りて、評したのですね。


これは本当に、だんだん役者のようになっていくのですよ。

これは、役割演技というモノで、だんだんその役柄を演じるようになっていくのですね。

つまり、生活保護を受けているのだから、それらしく不景気な顔をして、同情を引かねばならない、というふうにです。

これは、本人にとっても幸せなことではないのですが、ぬるま湯につかっているような楽な部分はあるのですよ。そう言っておけば、何とかなる、からです。

一方、生活保護費よりも少ないお金で暮らしている人たちは、泣き言を言っても一歩も改善しないことを知っていますから、自助努力で生活を切り詰めたりして、国民の義務を果たしているのです。

このあたりのことを、つたない文章ではありますが、言いたかっただけなのです。


さらに、前回は言及できなかったことも、付け加えます。

それは、生活保護をめぐる周囲が、ビジネス化していることです。いわゆる、貧困ビジネスですね。

生活保護者を囲い込んで上前を撥ねるやり方ですが、これだと、生活保護者も自由がなく、囲い込まれた家畜状態です。

金の臭いのするところには敏感な闇社会の人たちが、手を出しやすい環境がそこにあることもまた、問題ではないでしょうか。

世の多くの人たちは、場合によっては、生保をもらっている人よりもきつい体調を引きずりながら、今日も仕事をしています。

僕自身も、先週は腰を痛めていましたが、アルバイトとは言え、仕事の分担責任がある以上休むということは考えませんでした。

通常の業務に加え、年末は廃棄物の量が増えます。それらの仕分けに忙殺される中、営業車の洗車も仕事に加わったため、水仕事が増え、両手の指先の幾つかはあかぎれ状態です。さらには歯科治療中の入れ歯の金具が当たって痛く、まあ、腰痛がメインでしたが、3つの痛みを抱えながらの作業でした。

僕などは、まだ半日仕事で大したことはありませんが(体力的に一日仕事は回避しています)、世の大半の人たちは、大変なストレスの中、仕事をし、生活をし、税金を払っています。

そうした生活者こそが、報われる社会であってほしいと、思っています。

生活保護のY氏に薬痴寺(やくちじ)先輩からも一言が

いやあ、生活がきつくてね、と、Y氏は言う。若い頃から仕事が長続きせず、厚生年金もどのくらい納めていたのか会社任せで記憶にない。どうやら、受給権利がないくらい少ない年数らしい。

金があるときは、競馬に競艇、パチンコパチスロ、あとは風俗。不摂生がたたり、病気がちになり、働けなくなって、生活保護に。

今度テレビを買い替えたいが、お金がなくてね(まあそのくらいの金はあるがそう言っておかないと世間がうるさいからな)。

大っぴらではないがたまには気晴らしにパチンコにも行き、タバコも吸う(パチンコしてるとこ見られたく無しい、タバコくらい吸わせてよ、医療費タダなんだし、いいじゃん)。

Y氏の仕事は、強いて言えば、不景気そうな顔をして、同情を誘うこと。つらい、苦しい、が口癖。

Y氏は、自炊は苦手。時間は有り余るほどあるが、自炊などめんどくさい。スーパーマーケットの寿司の弁当や、出来合いの総菜と発泡酒で、夕食を食べることが多い。食費がかさむが、自炊する気はなし。(それでもやっていけるんだからいいじゃん)

Y氏の昼はガストでランチ(たまにはステーキガストに行かせてよ)。

Y氏の支持政党は共産党。自民党は嫌い。

Y氏の政治家への希望。「弱者にやさしい世の中にしてほしい。生活保護費をこれ以上削らないでほしい」

Y氏の嫌いな言葉。「自己責任」「自助努力」


Y氏(65歳一人暮らし)の生活保護費の内訳。

住宅扶助 53700円。

生活扶助 79530円。

合計の生活費 133230円。


なお、今回、上記Y氏に対し、薬痴寺(やくちじ)先輩からも、コメントをいただいております。


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一方、身を粉にして働いて、きちんと40年間、国民年金を納めてきたUさん。

月額66008円の年金でつつましく暮らす。この低年金でも、医療費はタダではないため、タバコも吸わず、パチンコにも行かない。

食事はもちろん自炊。

外食は何年もしたことがない。

ボロやだが、持ち家であることが救い。

ただ、今後の修繕費が不安で、まだどこか節約できるところはないか思案中。

飼い猫が病気のため、自分の食費を削って獣医費用を捻出(来年度のペット保険を検討中)。


つぎは、零細企業を3社ほど渡り歩いてきたCさん。給料は少なかったが厚生年金の空白期間はほとんどない。ずいぶん払ってきたつもりだったが、年金の月の手取りは12万ほど。

老後、おひとり様は賃貸が借りづらいと聞いて、50歳のときに中古マンションをローンで購入。幸いローンの支払いは終えているが、年々上がる管理費と修繕積立金が、今や合計で月3万円に。

さらに追い打ちをかけるように、マンションの機械駐車場が耐用年数を迎え、入れ替えることに。老後生活の節約で車を手放したCさんも負担金を免れることはできず、大きなお金が出て行った。これには、老後の備えで毎月積み立てていた投資信託を解約して対応した。元本割れだが仕方がない。

Cさんの家計内訳

マンションの管理費と修繕積立金 30000円
65歳を過ぎてからかさむようになった医療費 20000円
マンションの固定資産税を含む税金関係の月割り10000円

残りの6万円が事実上の生活費だが、食費は自炊を基本にして20000円以下に抑えている。

現在の心配事は、持病を持っているがゆえにどうしても必要な月20000円の医療費が、今後増え続けるのではないかということ。


上記3例は、僕が今急遽こしらえた絵空事ですが、生活保護費の内訳は東京都独身高齢者の支給実態に基づいています

日本が弱者?にやさしく、真面目な生活者に厳しい国であることを、言いたかっただけなのですね。

ただ、誤解なきように言っておきますが、困っている人は堂々と生活保護費を受け取ってください。

特に子供のいる母子家庭なら余計、堂々ともらってください。子供は国の宝であり、子供を育てているだけで立派ですからね。

ただ、少数だとは思いますが、Y氏のような人もいると思います。若いころ遊び惚けて、将来の備えもせず、それで生活保護に逃げ込んで、真面目に年金を納めてきた人よりも有利な立場で暮らしている人ですね。

その矛盾について、ちょっと言いたかっただけなのです。


おい、くりすますいぶにするはなしじゃねえべ。

年金受給だけを目標にしていたKがついに力尽きる、節約疲れか

会社員生活が嫌で早期退職したK氏が、40代の若さで力尽きました。周囲からは、節約疲れではないか、との噂が。

K氏がリタイア生活中に唯一楽しみにしていたのは年金受給。

それまでの長い年月は、ひたすら預貯金の目減りを抑えた節約生活。

K氏によれば、働くことの苦しさに比べれば、節約など大したことはない、とのこと。

しかしそのK氏、年金受給前に力尽きました。

政府は、財政上の理由から、年金受給を70歳からとしていましたが、それを75歳に延長。

平均寿命も延びているため、90歳まで生きると仮定して、15年ほどならば、年金も支給できるとの判断によるものです。

K氏、残念だったのは、K氏の数か月前に生まれた人は、70歳からの支給だったことです。その数か月が、K氏の年金支給を5年先延ばしにしたのみならず、これまで我慢に我慢を重ねてきた節約暮らしの疲れが一気に噴き出し、K氏を床につけてしまったのです。



このK氏、僕の過去記事にも登場しますが、隣の市に住んでいる世捨て人です。

世捨て人に会いに行く

早期リタイア貧乏古家暮らしの課題は寒さ対策


Kの名誉のために言っておきますが、もちろん彼はまだ倒れてはいませんし、今後も倒れる予定はないでしょう。

ただ、相変わらずの貧乏暮らしは、文学青年崩れにありがちなものとはいえ、大変なようです。彼はアルバイトをしているようなので、のたれじぬことはないでしょう。


多くの人にとって、年金受給までは長い道のりになりました。

一方、生活保護者は、恵まれていますね。

それに関しては、次の記事で書いてみます。


パラダイスに突入、マジやばくね

このブログでは、何度も山下達郎の天才ぶりを紹介してきましたが、はっきり言って、ぶっちぎりです。


彼に比肩しうるミュージシャンて、いるんでしょうか。

桑田佳祐とか。

忌野清志郎とか。

うーん、やっぱ、山下達郎には一歩及びませんね。

桑田佳祐は、めっちゃ好きなんですよ。それでも、山下達郎と比べると、あと一つ。






名曲が100曲ぐらいありますが、Sparkleもその一つ。

倒れ込むようにして辿り着いた休日

今週は火曜日に発生した腰痛の影響から、いつもよりも一週間が長く感じました。

二足歩行がままならないという初めての事態で、少なくとも割り当てられた労働はこなさねばならず、まるで類人猿のような格好で、のろのろと歩きながら仕事をこなしました。

そこは半日勤務のありがたさで、今月は午後勤務なので、寒い午前中は日当たりの良い部屋でのんびり過ごし、英気を養ってから出勤。

帰りは夜になりますが、風呂に入り、夕食を食べたら、自分次第で好きなときに寝られるところがおひとり様の利点。

できる範囲でストレッチなどもしながら、とにかく自分第一に静養しました。

とは言え、アルバイトは休めませんから夜は早く寝てたっぷり睡眠。

幸い、腰が痛くて眠れないとか、そこまでの状態ではなかったので、眠ることに支障はありませんでした。

そして、腰の状態も薄紙を剥ぐようによくなっていき、水曜日、木曜日と日が進むにつれ、徐々に回復。

で、昨日金曜日は、多少足を引きずりながらも類人猿からは脱出。

そして、今日、土曜日の休日の朝、これを書いています。

倒れ込むようにして辿り着いた休日なので、有難味もひとしお。

また、腰の状態もだいぶ良くなっているので、普通に歩けることの喜びを改めて感じ直しています。


今日はこれから、9時半に予約してある歯医者に行き、そのあとはライフで買い物、あとはゆっくり自宅でくつろぎます。

明日の日曜日美術館は先日回顧展に行ってきた相原求一朗の特集なので、今から楽しみです。NHKは批判も多いのですが、民放にはない良い番組も多いので、受信料の払い甲斐があります。

その少し前の日曜美術館では、松本竣介もやっていました。

松本竣介の絵が見られるのは、群馬県桐生市にある大川美術館なので、僕の家からだと少し距離がありますが、来年あたりは訪れてみたいと思ています。

人生は苦しみの連続だからこそ小さな楽しみを大切にしたい

人類の理性と知性の最高峰のひとりが仏陀釈尊であることに、異議を唱える人は少ないでしょう。

その最高の知性が、人生は苦なり、と喝破したのは2500年の昔。

2500年前のインドは衛生状態も悪く、今よりも過酷な環境だったので、それだけでも楽ではないことは想像しやすいのですが、今の生活が文明の恩恵で快適さを増していることを割り引いても、人生が苦であることは現代も変わりません。

生老病死の四苦が有名ですが、それ以外にも4つあり、併せて四苦八苦。

そのうちの一つ、愛別離苦を、僕も今年母を亡くして、痛感しました。

サラリーマンであれば、怨憎会苦は、ほぼ毎日でしょう。パワハラ上司、傲慢な顧客、言うことを聞かない部下。

で、家に帰れば安らぎがあるかと言えばそうでもなく、気持ちが通い合わない妻、反抗期の子供がいて、その妻子を養うために、会いたくもない会社での人間の顔を脳裏に浮かべ、それでも満員電車に揺られながら、痴漢冤罪の恐怖にも怯えながら通勤する毎日。


それ以外にも、求不得苦がありますね。こんなボロアパートにいたくない、壁も薄いし、夜も眠れない、その上寒さで暖房費もかさむ、でも、金がないから引っ越しもできない、マイホームなどは夢のまた夢、欲しいものが手に入らない苦しみ。

漫画家になりたいのになれない、あいつは一発でオーディションに受かっていい役をもらえたのに、俺はもう20回も落ち続けている俺のほうが才能があるのに、あんなにサービスしたのにちっとも店にきてくれない、やり逃げは許さないわよ、などなど、世の中の事象も他人様も、自分の思うようには動いてくれません。


今つらつらと挙げた事柄は苦しみのほんの一部で、僕であれば、今は腰痛で苦しんでいる最中です。

これは、生老病死の、病の苦しみに分類されるでしょうか。実際に腰が痛いと、二足歩行がすんなりとできなくなります。痛い腰をかばいながら歩きますからね。

ついでに言うと、僕は上の歯も下の歯も部分入れ歯で、最近部分入れ歯の金具が歯茎に当たっていたくて、痛みを感じながら食べています。


今アルバイトで働いている職場に行けば、老害先輩社員はいるし、正社員にも横柄な人がいたりします。

で、そなことをあげていけばきりがないので、僕はすべてを受け入れて生きることにしています。病気もオッケーだし、嫌な人間関係もオッケー。所有株の値下がりもオッケー。

全部受け入れて、明るく生きる。まあ、暗く生きてもいいんですけど、かつての僕のように。

ただねえ、人生は、他人様がおもしろくはしてくれないのですよ。

自分で自分の機嫌を取るしかないんです。

で、僕は、日々の生活の中に、ささやかな楽しみを見つけるようにしているんです。


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先月は午前勤務だったので、6時頃に家を出るのですが、通勤途上に小さな橋があり、朝もやがかかっていたので写真をパチリ。

束の間ではありますが、こんな朝もやの風景に感動を覚えることが、僕の言う小さな楽しみだったりします。

そんな小さな楽しみを搔き集めれば、この苦しみの人生も輝くのではないでしょうか。

仏教では、それを大河の中にある中州にたとえています。

まあ本来の仏教は、神様に頼ることなく自分で幸せになっていく哲学のようなもので、大乗仏教が出てきてから本来の教えはゆがめられてしまいました。

で、別に大乗仏教でも、その人がそれで楽になるのであればいいのです。

日本に伝わているのは、99%が大乗仏教ですから、まあ、偽経ですね。

偽経でも、僕は別に否定はしません。仏陀釈尊が絶対かと言えば、それもまあ怪しいからです。仏陀釈尊と言えども、人間には違いありませんから、完璧ではありません。

まあ、偽経を掲げる日蓮で救われようが、親鸞で救われようが、かまわないのです。その人に合った救いで良いのではないでしょうかね。

だから僕は、今は大川隆法を1ミリも信じてはいませんが、大川隆法の教えですくわれる人がいても構わないわけです。

まあ何はともあれ、自分で自分をハッピーにしていくしか道はないということを言いたかっただけなんですね。

弱い人間には弱い人間なりの生き方がある

僕は自分がつくづく、弱い人間であることを、20代の頃から自覚しているので、あまりできの良くない頭をそれなりに使って、どう生きれば楽になるのかを考え続けてきました。


20代から35くらいまでの地獄の日々を思えば、年を取ったとは言え、今のほうがはるかに幸せなのですが、傍から見れば、好き勝手に生きてきた僕は、自由で楽しそうに見えたかもしれません。

で、弱いのは昔も今も変わりません。

弱くて、いいのです。

柔弱謙下ですからね。

僕は、自分に対してものすごく甘い人間なので、他人に対してもなるべくやさしい人間でありたいと、思っています。

自分に甘くて、他人に厳しいのは、最悪ですからね。

せめてその、最悪の路線だけは避けたいというだけなのです。

世の中には自分に厳しくて、他人には寛容な人格者もいますが、そこは目指さなくてもよろしい。

で、今もつくづく、自分は弱いなあ、と感じています。

ですが一方、弱い人間は慎重になり、危険を避けることができやすい、という利点があります。

この能力を最大限に生かして、何とかこの後の人生を乗り切っていきたいと思っています。

今は腰痛で苦しんでいる最中ですが、この腰痛も、人生を生きるヒントにしたいと思っています。

たとえば、腰痛になって改めて、断捨離の功徳を感じました。

部屋がすっきりしているので、移動が楽です。

健康であれば大して気にもならないことでも、腰痛で歩きづらくなっていると、歩きやすい環境か否かは重要です。

今後、年を取っていくにしたがって、歩行も困難になっていきます。そのときに部屋が散らかっていたら、危険がいっぱいです。

今のような腰痛を抱えながら、以前の部屋のようであったなら、ストレスも大きかったに違いありません。散らかった部屋にいたら、心が休まりません。

腰痛を通して、改めて、断捨離の重要性と、住環境の大切さを感じました。

弱い人間は、その弱さを逆利用して生きていくしかありません。

つまり、弱さが、プラスに転じる生き方ですね。

弱さについては、以下の記事でも、取り上げています。

僕くらい、弱い人間はいない

弱くても、だいじょうぶです

弱くてもいいのだ、と、僕は自分の弱さを肯定しています。そのほうが、生きるのが楽だから。

なんせ僕のテーマは、この苦海のごとく苦しみの連続の人生をいかに楽に生きていくか、ですからね。


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