介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2018年11月

何かと話題の日産自動車から配当金をもらいました

日産自動車から配当金をもらいましたので、報告します。

まあ、株に関しては別ブログのほうで、書いているのですが、たまにはこちらのブログでも書かないと、おめえ、本当に株やってんのかよ、みたいに、なってしまうので、今日はちょっと株の話題を。

僕が日産自動車の株を買ったのは去年の初めで、配当の良さに釣られたわけです。その時買ったときよりも、値を下げてはいますが、放置で持ち続けています。

今回もらった配当は、以前よりも少なくなっていますが、それでも、悪い金額ではありません。


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僕にとっては、この2850円も、貴重な収入です。何しろ、日給5000円で働いている身ですからね。

まあ、半日勤務で、長めの半日勤務ですが、8時間労働を基本とすると、5時間労働なので、まるっきりの半分というわけではなく、まあ、6割程度の負荷ではないでしょうかね。

今月は、午前勤務だったため、朝が早く、起きるときには外は真っ暗。

6時過ぎに、家を出るころに、何とか明るくなるといった感じ。午前勤務の良いところは、直帰すれば、13時ごろには帰れることですね。つまり、午後の時間を私用に使える点です。

その午前勤務だった11月も今日で終わり、12月からは、昼からの勤務になります。

寒い冬は、昼からの勤務のほうが楽かなあ、などとも考えますが、どちらも5時間で長さは同じ。

まあ、5時間とは言っても、実際は、5.5時間くらいにはなってしまいますね。それに、往復の通勤で約1時間。6.5時間くらいは、アルバイトに費やしていることになります。

話は戻って、株式投資ですが、長期保有が基本なので、まだ手放さずに持ち続けるつもりです。と言うか、今売ったら、損切りなので、配当収入を加味してもマイナスになってしまいますからね。

まあ、気長に持つといたしましょう。

そうは言っても、多少なりとも利益の出ているものは売っていき、現金比率を高めていく予定は変わりません。やっぱ現金が、モノを言いますからねえ。

スタッドレスタイヤに換えて、新潟に住んでいた頃を思いだす

介護離職後のローコスト生活では、極力出費は避けたいのですが、今日、仕事帰りに、中古自動車販売店によって、スタッドレスタイヤに交換してきました。

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去年までは、雪が降ったら車を運転しない、と決めていましたから、スタッドレスタイヤに換える必要はありませんでした。

スタッドレスタイヤなんて、新潟の湯沢町で暮らしていた頃、以来です。新潟は豪雪地帯ですからねえ、ノーマルタイヤでは話になりません。昔は、スパイクタイヤなんていうのもありましたね。

坂口安吾が新潟の出で、湯沢で生活している頃は、海を見に新潟市へ行くと、坂口安吾の碑のあるあたりで、安吾もこうして寝そべって空を見ていたのかなあ、などと考えたりもしました。

新潟市はものすごく広かったけど、僕はバスには乗らず、ひたすら歩くのみ。

まあそんな、ずいぶん昔の、湯沢町や新潟市のことを思いだしたのも、スタッドレスタイヤに換えたからなのですが、この出費が4万円弱。最初はケチって中国製のタイヤにしようかとも思ったのですが、ブリヂストンに落ち着きました。

この出費も、アルバイトの通勤で、たとえ雪が降っても仕事に行かなければならないからです。まあ暖冬らしいのですが、雪の対策だけはしておかないと。

新潟で暮らした経験があるおかげで、雪をなめてはいけない、という思いが強いのです。湯沢町の冬は、ほとんど毎日雪掻きでしたからねえ。

住宅ローンの支払いも含めて、だいたい13万円以内でやりくりしている家計ですが、スタッドレスタイヤは、貯金から下ろしての支払いです。

やっぱ貯金は大事だよ、ポジションをキャッシュに移行中だよ、でも、持ち株も今は切ない状況だよ、っていう感じですかね。

年金について、次に政府が画策していること

年金支給の年齢を上げる、これは、ほぼ間違いないでしょう。

70歳まで働ける社会とは、別名、年金支給は70過ぎね、という意味でしょうからね。

さて、政府は、さらにこんなことも画策していると思いますよ。

それは、所得税住民税の非課税額を下げることです。

たとえば、今、65歳以上で年金をもらっている人だと、確か、153万円くらいまでは、非課税ではなかったかと思います。

この非課税額を、区切りの良い150万円に下げる。あるいは、思い切って140万円くらいまで下げてくるかもしれません。

こういうことを、こそこそっと、してくるのではないでしょうかね。

「あれ、今まで住民税と所得税がなしだったはずなのに、今年から引かれてるな」と思って調べたら、非課税額が変わっていた、なんてことになるかもしれません。

それまで非課税を満喫していた人にとっては、寝耳に水です。

僕は、非課税年金の安全圏は、150万円以下だと思っています。140万円だと、さらに安全ですが、これだと月の手取りは、12万円を切りますね。

僕などは、もともと、月の年金が9万円ほどなので、どう転んでも非課税枠です。

老害先輩社員から、また、絡まれました

何の因果なのか、以前記事に書いた僕を些細なことで怒鳴りつけた老害先輩社員が、アルバイト先でのパートナーと言うか、いちばん一緒に時間を過ごさねばならない相手なのです。

他に二人、同じような立場のアルバイトがいますが、こちらはどちらもおだやかな性格で、問題はありません。

問題は、いつも面突き合わせているその先輩社員なのですが、今日も、何が気に食わないのか、絡んできました。

だいたい、顔つきでわかるのですが、こちらが身構える前に、ボディブローのような攻撃を仕掛けてきます。

まあ僕を、言いなりになる後輩だから何を言ってもいいくらいに、思っているのですね。

僕も、対処することはできますが、自分の気分次第で絡まれたら、気持ちのいいものではありません。

お天気屋、というタイプがいますね。機嫌がいいときは気持ちが悪いほど愛想がよかったりして、で、機嫌が悪いときは、絡んでくるというタイプ。

まあ、一言で言えば、子供です。60を過ぎた子供を、毎日相手にするのは、それなりに苦労ですが、人生は苦なり、と看破した仏陀釈尊の教えに習い、甘んじてその苦しみを受け入れています。

ただ、こういう老害先輩社員も、モノを考える縁にはなります。

たとえば、もし、あのような男が自分の親だったらと思うとぞっとします。お天気屋の親を持った子供は、精神不安定になるでしょうね。

いい年をした僕でさえ、多少のダメージは受けるのですから、子供だったらもろに影響を受けるはずです。そして、情緒が不安定になるでしょう。

ああいう、バカな老害先輩社員と毎日接するおかげで、自分の親への感謝がますます深まります。

また、自分は、可能なかぎり上機嫌で生き、自分の気分次第で相手に当たるような、子供じみた行いは絶対にしないようにしようと、反面教師として活用しています。

まあ、そうは言っても、60過ぎの子供と毎日関わるのは疲れます。

今年2度目の歴史研究会は城跡めぐり

今年1度目の歴史研究会は、6月22日で、この日は板碑や古墳めぐりをして、古代への思いを深めました。

実は9月に、2度目の歴史研究会があったのですが、その日は日頃世話になっているAさんの不動産売買契約の付き添いをすることになり、やむなく不参加となりました。

そして昨日は、会としては今年3度目ですが、僕自身としては2度目になる歴史研究会となりました。

今回は、OY氏は体調不良で不参加となり、歴研主催者のKM氏と僕の2名での会となりました。

まずは、松山城跡へ。


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その後、菅谷館跡へ。

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どこの城跡にも、こうした空堀が見られます。

そして、今回は、KM氏も初めて行くという小倉城跡へ。


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この小倉城跡は、急勾配を上ったため、息も絶え絶え。歴史通のKM氏も、この城跡はそれまで一度も来たことはなかったそうです。

その後、杉山城跡へ。


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杉山城跡は造りが複雑で、敵から容易には攻め込まれないものになっていました。

この杉山城跡を立ち去ろうというときに、歴史好きのお爺さんにつかまってしまい、その講釈を聴くことに。いかにも、迷惑そうなKM氏も無下に断ることもできず、しばらくはその話に付き合っていましたが、秋の日の暮れるのは早いので、何とか話の腰を折らない程度にして、お暇し、最後の鉢形城跡へ。


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僕が二十代の頃に来たときとは、だいぶ様子が違って、整備されていた鉢形城跡でした。

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この日、歴史に疎い僕の専属ガイド役も兼ねてくれたKM氏の後ろ姿。

どうも小食のほうが体調がいい、ついでに家計にも優しい

食べること自体は好きなのですが、アルバイトをするようになって、特に午前勤務のときは朝が早いので、ためしに朝食を抜いてみました。

そしたら、ことのほか、調子が良いのですよ。

ちなみに、今月は午前勤務なので、まったく朝食は食べていません。

6時過ぎに家を出、12時20分まで働き、直帰の場合は、家に着くのが13時ごろ。

それから、食事を作って食べると、13時半とかになりますが、全然大丈夫ですね。

さらに言えば、直帰しないこともあり、たとえば、帰りの道のほぼ途上に、ベイシア電器というのがあるのですが、そこで30分ほど無料でマッサージをしてもらい、これは、マッサージ機を勝手に使ってという意味ですが、それから帰って食事となると、14時を軽く過ぎたりしますが、それでもあまり空腹を感じません。

で、少し昼を食べ過ぎたりするのですが、そうしたときは、夕食を抜くか、軽食程度にとどめます。

するとまた、体調が良い。

で、さらに言うと、どうも家計にも優しいようだと、こういうことになっております。

小食を推奨している人は、皆、けっこう年齢よりも若く見えますね。

僕は年相応の外見だと思いますが、小食はいいということを、最近身をもって感じているので、記事にしてみました。

日雇い派遣労働の重苦しい雰囲気を忘れない

今の僕は半日労働のアルバイトで、ゆるく働いています。

これは、僕のペースに合っていて、疲労もさほどたまりません。勿論、仕事である以上、それなりには疲れるのですが、仕事に行くのが嫌になるほどではありません。

募集要項に、50代60代が活躍中、とあったのに反応したのは正解でしたね。

で、今思いだしてもきつかったのは、倉庫での仕事でした。

僕は、その倉庫で直接雇用されたのですが、他に派遣労働者も何人もいました。

結果から言うと、僕は一日でギブアップでした。その仕事については、以下の記事で書いています。


お金がないと、怯えた生活になる

あの倉庫に派遣されてきた若者たちの絶望的な目、あるいは、無気力な目、それを、今も忘れることができません。

その若者たちと比べ、僕は恵まれています。

何よりも、彼らほど今後生きなくて良いのです。つまり、彼らよりも残りの人生が短いのです。

そして、あと数年で、年金の報酬比例部分がもらえます。そしてさらに言えば、若者と違い、将来の不安がないのです。

将来の不安がないなんて、嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、僕は、20代30代で苦しんだ自分自身と比べたら、今の僕の生活は楽すぎて、極楽です。

若いときの苦しみは、過酷です。残酷です。まだ欲もあるし、自分の人生を何とかしないと、と真剣に思い悩みますからね。

今はもう、余生なので、本当に楽です。だって、すべてを受け入れて生きていくだけですからね。何とかしようなどと、何も考えていませんからね。

ただあるがままに生きる、それで十分です。

でも、だからこそ、あの日雇い派遣の若者たちの暗い目を忘れてはいけないと、思っています。

言いたいことがうまく言えないので、また、このことは改めて考えてみます。


雨の日と月曜日が重なると憂鬱ですか

雨の日と月曜日が重なると、憂鬱ですか。

確かにね。



独り言を言いながら、老けた気分

終わろうと思うときもある

何もうまくいかない

ブラブラして、しかめっ面するだけ

雨の日と月曜日はいつも落ち込むの


あのね、気分に負けちゃだめですよ。

気分なんて言うものは、ころころ変わるものなんです。

でも、憂鬱なときに聴く曲って、あってもいいと思うのですよ。






カレンさんは死んでしまいましたが、その歌声は今でも聴くことができます。

今日は実母の命日だったので墓参りに行ってきました

僕の実母が死んだのは、今から43年前になります。

43年前の今日、実母は51歳で亡くなりました。

今年、義理の母を末期がんで亡くして、天涯孤独のおひとり様となったわけですが、アルバイト暮らしのローコスト生活で、普段は仏壇に花を供えることもありません。ときどき、食べ物を供えるくらいです。

さて、今日は、奮発して花を買い、お墓参りに行ってきました。

途中、美杉台の紅葉を見たのですが、もう盛は過ぎていましたね。


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実母が眠り、生まれてすぐ亡くなった弟が眠り、2年前に亡くなった父が眠り、今年亡くなった義母が眠る墓からは、僕の産まれた家を見下ろすことができます。

小さな家なのではっきりとは見えませんが、だいたいあのあたりだな、というのが認識できる程度には見渡せます。

その風景を見ながら、もう43年が経ったのか、と思ったものでした。

帰りは、下の道から帰っても良かったのですが、少し贅沢をして、入間から圏央道に乗り、隣の狭山日高飯能インターで降りました。

これは、軽に買い替えて、初めてのETCを確認したかった意味もあります。

また、途中にある狭山パーキングに立ち寄って、ちょっとした旅行気分を味わいたかったのもあります。

土曜日だけあって、昼時を過ぎているのに、パーキングはかなり混んでいました。

実母を偲び、実母に感謝した一日でした。

何しろ、生みの母がいなければ、今の僕はいませんからね。

墓前で僕が思ったことは、残された人生を幸せに生きることが供養になる、でした。

なぜ僕は結婚しなかった(できなかった)のか

僕は、子供は嫌いなほうではありません。

先日の同窓会で、「M君なら、いいお父さんになれたと思う」と何人かの女子に言われました。ちなみに、Mというのは、僕の本名の苗字の頭文字です。

で、そう言われてみると、子供がいたら、子供の教育には熱心だったかもしれません。がり勉を強要するとか、塾に行かせるとかではなく、自分の哲学を教え込もうとしたかもしれません。

まあ、それはさておき、僕が結婚しなかった、できなかったのは、ひとえに、臆病だったからだと言わざるを得ません。

もし、できたとしたら、勢いのある20代前半でしたね。

それ以降は、だんだん自分のダメさ加減がわかってきて、とても妻子を養う甲斐性はない、と思っていましたから。

何よりも、生活を人質にとられて社畜に飼いならされることを怖れていたのだと思います。

こんな甲斐性なしの僕でも、妻子のためとあらば、かなりがんばると思います。

でも、どんなにがんばってもダメなときもあります。最悪、過労死の可能性もあります。

僕は、自分の弱さを知るようになってからは、とても臆病になっていました。

だから、結婚するとしたら、20代前半の、まだ、恐れを十分知らず、自己認識も甘いままだったときであれば、可能性はありました。

ただ、そうした場合、その後の苦労は目に見えていますが。

いずれにせよ、僕はずっと独り者で、それで今は幸せなのだから、何の不満もありません。

あとは、自分に残された時間を悔いなく生きるだけですからね。

住まいに満足すれば、無駄なお金を使わなくなる

これはまことに不思議なことでもあるのですが、住環境の満足度が高いと、お金を使わなくなるような気がしてなりません。

これは、僕自身がまずそうですし、最近読んだ本にも、そのようなことが書いてありました。

若いときは、毎日が忙しいのです。それこそ家など、寝に帰るくらいではないでしょうか。

家よりも、他に興味のあることがわんさかあって、24時間ではとても足りないくらい、好奇心に満ち満ちているのですよ。

だから僕も、ずいぶんいろいろなところを渡り歩きました。居候もしましたね。

住まいについて言えば、固定的なところなどないほうが良いとさえ思っていました。

ところが、今は違います。

何が、どう違うのか?

まず、若い頃とエネルギーが違います。

僕は、どちらかと言うと、すぐに疲れる性質です。

で、疲れたら、寝るしかない。だから、ぐっすり寝られる環境は、何物にも代えがたいのです。

さらに言えば、寝るだけでなく、くつろげる環境ですね。


旅行に行っても、家に帰ってくると、やっぱり自分の家がいちばんだと思えるのは、これは、幸せなことなのですよ。

今は、アルバイトとは言え、仕事をしていますから、疲れて帰ってきてくつろげる環境は何物にも代えがたい。

休みの日でも、どっかに行くよりも家にいたほうがいいと思える今日この頃なのですね。

これはもう、年を取ってきた証拠なのですが、今後この傾向はますます拍車がかかるものと想像できます。

で、話を元に戻すと、断捨離後は、ますます家にいる満足度が上がっているので、それ以上に何かで幸福を満たそうという気も起らないのですよ。

今は、しばらく聞いていなかったCDを引っ張り出して、主にジャズを聴いています。くつろいで、音楽を聴いているときは、とにかく心地よい。

そのときに、コーヒーを飲んだりしますが、スタバで飲めば結構なお値段のするコーヒーも、家で飲めば、自分でドリップして、一杯15円くらいかなあ。とにかく安く楽しめます。

お金は、本当に食費に使うくらいですね。CDも本も買う予定はありません。せっかく断捨離したあとなので、もう物は増やしません、断じて、です。

今あるものを、大切にします。それで、十分です。

今度、一か月の生活費を公開しますが、老後の不安がなくなるほどのローコスト生活です。

商売道具を破壊するのはいただけませんが

リッチー・ブラックモアがディープパープルを離れて、最初のアルバム、銀嶺の覇者、はパープルファンだけでなく注目していたと思います。

ジミヘンの影響を強く受けていたようですが、商売道具のギターを破壊するのだけはいただけませんでした。

これは、yoshikiにも言えることですが。まあ、彼はドラムのほうですけど。


で、 Man On The Silver Mountain



うーん、歴史上もっとも偉大な100人のギタリストの一人に選ばれているだけのことはありますね。

韓国の高齢貧困者に会ったときのこと

これまで、韓国には3回行っていますが、一度だけ、冬に行ったことがあります。

そのときは、ずっとソウル滞在だったのですが、昼間はインチョンに行ったりしました。ここは、マッカーサーが上陸したところで有名です。

まあそれはさておき、夜はずっとソウル滞在で、同じホテルに泊まっていたのですが、夜、ぶらついていて、歩道橋の上で、ある老婆に出会いました。

ソウルの冬の夜の寒さは、やっぱ僕の住む埼玉よりも寒く、底冷えのする夜でした。

そんな夜に、一人の老婆が物売りをしていたのです。見ると、それはピカチュー。

別に欲しくはなかったのですが、老婆と少し話をして、それを買うことにしました。ちなみに、僕は、韓国語は少しは話せます。日本語と語順が同じなので、覚えるのは楽な言語ではないでしょうか。

で、そのときに買ったピカチュー、今でも持っています。

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これは、断捨離実行時も、捨てませんでした。

ちなみに、韓国の高齢者の経済状況は、かなり悲惨です。

以下は、その状況。


日本より社会保障制度の歴史が短い韓国は、少子高齢化に対する対策や将来の財政運営を準備する期間が十分ではない状態で急速な少子高齢化という波に直面している。2013年における韓国の65歳以上高齢者の相対的貧困率(所得が中央値の半分を下回っている人の割合)は49.6%とOECD平均12.6%を大きく上回り、OECD加盟国の中で最も高い水準を記録した。高齢者の貧困状態を認識した韓国政府は2014年に65 歳以上の高齢者で所得下位 70%の者を対象とした基礎年金制度を導入し、給付額を最大10万ウォンから20万ウォンに引き上げるなど高齢者の所得改善のための政策を行っているものの、いまだに韓国における高齢者貧困率は改善されていない。

うーん、韓国は、若者の就職も大変ですが、お年寄りも大変です。

僕が介護離職するまで働いていたホテルにも、韓国人の若者が2名同僚として働いていましたが、二人とも優秀でした。

他にも、中国人、ミヤンマー人など、皆、優秀でしたね。自国以外で働く彼らを、僕はリスペクトしていました。

今後、韓国に行く予定は今のところありませんが、行くなら、また、あえて寒い冬に行きたいと思っています。


身軽でストレスの少ない生活

断捨離後は、生活が軽くなった感じがします。

ただ、また断捨離は継続中です。今取り組んでいる場所は、脱衣所。それと、物入れのスペース。

キッチンや居室というメインスペースは、ほぼ断捨離は完了したのですが、もちろんこちらも、常にイノベーションを心がけています。

さて、今日の話のテーマですが、要らないものをはぎ取っていくことで、どんどん身軽になっていく心地よさ、についてです。これはダイエットにも似ているかもしれません。

身軽になると、いいことばかり。

まず、片付けや、モノを処分する大変さを痛感したので、おいそれと下手なものは買わなくなります。モノを買うにしても、きちんと出口戦略を考えるようになります。

その買ったものが、将来どのような居場所を持ち、どのように使われていくかを、考えるのですね。

すると、大半のものは、要らないものであることが判明して、買わなくなります。

買わなければ、お金はその分だけ、減りません。家計にも優しいのです。

しかし、必要なものは買います。

僕の例ですと、最近は、3万円以上する電気釜と2万円ほどの包丁セットを買いました。

これは、他人から見れば贅沢な買い物に見えるかもしれませんが、僕にとっては、必要だと判断したものでした。

その電気釜のおかげで、自宅で、実に美味しいご飯を食べています。


「所有」というのは、実は重要なキーワードなわけです。

自分にとって良いものを、所有する。他人や世間の価値判断ではなく、どこまでも自分にとってよいか悪いか、です。

なぜなら、自分の人生を生きているのは、自分自身に他ならないからです。

断捨離後は、自宅にいることが快適なので、ますます出不精になっています。

秋風が吹くと、独り身の寂しさを感じやすくなります

まあ、独り身の寂しさと言えばそれまでですが、秋も深まってくると、それはそれは切ないのですよ。

とは言っても、慰めてくれる人がいるでもなし。

で、せめて音楽で気持ちを同化します。






で、森高千里さんと歌っている、この 秦基博さん、けっこう声がいいのですよ。

なかなかの才能です。

足利市、めっちゃ好きです。

何度行っても飽きないのが、足利市なのですね。


飯能祭りと同窓会

昨日、11月4日は、同窓会があったのですが、ちょうど飯能祭りの日でもあり、少し早めに家を出て祭りを見学。

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あいにくの小雨で、あまり長く見られませんでした。傘を持って行かなかったので。

前回は、西武球場近くの中華料理店が会場で、つまり、たいていは所沢市でやっていたのですが、今回は趣向を変えて飯能市での開催でした。

会場は崖の上に建つ、ブルワリー&レストランで、地中海料理、アラビア料理の店のようでした。


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集まったのは、20人くらいだったでしょうか。今年還暦を迎えるものも多く、孫のいる人もちらほら。

集まった人たちの中で、おひとり様は僕だけのようでした。

子供や孫のいる生活も良いと思いましたが、近頃は、しみじみとおひとり様の喜びを感じています。


断捨離後の12畳の快適空間

本当は、母の49日法要後に始めたかった断捨離でしたが、アルバイトを始めたことと、この夏の暑すぎる気温で疲労困憊し、手を付けられずにいました。

10月になって、涼しくなってきてから、断捨離を始めました。

父の介護が必要になってマンションを売却したときや、実家の建て直しと仮住まい、などで、これまでにもかなり断捨離はしてきたつもりです。

しかし父の死後、母と二人の生活の中で、思い切った断捨離はできずにいました。

完全に一人きりの生活になったときに、まずやりたかったのが断捨離でした。特に一階の台所と、二階の居間は、喫緊の課題でした。

それと言うのも、13年間のマンション生活では、一度しか見なかったゴキブリを一戸建てに住むようになってからは、毎年見かけるようになったからでもあります。

マンションに住んでいるときは居住空間が6階だったため、さらに言えば、マンション特有の気密性のために、ゴキブリも容易には侵入できなかったのだと思います。

しかし、一戸建ては、相当清潔に暮らしていても、初夏から夏にかけては、ゴキブリも侵入してきます。相手もいきものですから、動き回ることは制限できませんが、せめて、住処を与えない工夫はしなければいけません。

そこで、まず初めに着手したのが台所用品の断捨離でした。これは、後日、改めて記事にする予定です。

今回は、秋から冬、そして初夏のころまで、もっとも僕が長い時間を過ごす2階の居間の断捨離が、先日ほぼ完了したので、その写真を公開します。


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2階の12畳の居間をソファに腰かけて撮った写真です。すでに衣類はかなり断捨離していましたが、さらに数を厳選しました。

すでに3回の引っ越しのときに、800冊は処分していた本も、今回さらに250冊ほどをブックオフに売却。今現在は、この本棚にあるものだけが全てです。


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この椅子に座って、好きな音楽を聴きながら本を読んだり、考え事をしたりしています。

この2階の12畳の居間は、3方向に窓があるため、陽ざしがよく入るだけでなく、冬でもとても暖かいですね。暖房費は、昼間はまったくかかりません。

ただ、その反動として、夏は暑すぎていられません。よほどエアコンを強くかけねばなりません。家を建て替えたときに、エアコン代を節約して、12畳の部屋なのに、6畳用のものを付けたので、効きが悪く、むしろ不経済であることにあとで気づきました。安物買いの銭失いであったことを、ことエアコンに関しては反省しています。

その分、一階の14畳のリビングには、18畳用のエアコンをつけてあります。こちらは、効きが良すぎるくらいです。これは、一階で、父と母が暮らしていたために、ここのエアコンはお金に糸目をつけずに購入したためです。

断捨離後の居住空間は、快適で、家で過ごす時間が至福の時間になっています。

断捨離をすると、モノの良し悪しの見極めもできるようになり(自分にとって必要かどうかという意味でブランドとかこの世的価値の品質ではありません)、無駄なものは買わなくなるという利点もありますね。

そしてその必然の結果として、ローコスト生活がさらに容易にできるようになりました。


自分を幸せにできるのは自分だけ

僕は長らく、他者依存の人生を歩んできました。

その端的な例が、宗教団体です。

生まれたときに、父が世界救世教という宗教の、そこそこ熱心な信者だったために、自然に神様を信じるようになりました。

しかし自我の芽生えとともに、自分なりの考えで真理というものを追求するようになり、複数の宗教団体を渡り歩きました。

そのへんの経緯はこのブログでも散々書いているのでここでは省略しますが、何が言いたいのかというと、人であれ、思想であれ、何らかの団体であれ、自分以外の他者が自分を幸せにすることはできない、ということなのです。

よく聴かれるつぶやきに、お金があれば幸せになれる、というのがありますが、まあ確かに瞬間風速的な救済や喜びはあるでしょうが、それは移ろうものです。

良い会社に入っていれば、良い大学を出ていれば、良い伴侶に出会っていれば、などなど、切りがないのですが、これらもすべて他者依存です。

他者依存の最大の悲劇のひとつが、カルト宗教で、これは、カルト教祖とその信者が、互いに依存しあっている関係ですね。

で、何が言いたいのかというと、自分以外に、自分自身を幸せにすることはできないということなのです。

こんな簡単な事実に気づくまでに、僕は50数年かかりました。

ただ、この気づきというのは、たんに本を読んで知識として知っている、というものとは違い、実体験から滲み出たものなので強いのです。

で、その気づきを得てからというもの、悩みは一切なくなりました。偉そうに聞こえるかもしれませんが、本当にそうなのです。

でも、課題は、あります。悩みではなくて、課題です。

僕にとっての悩みの定義は、生木を割かれるような精神状態のこと、です。これを直近で経験したのは、50歳から53歳までの3年間で、長年信仰をしていた幸福の科学という団体をやめるかどうか悶え苦しんでいたときですね。

それは、自分のアイデンティティを依拠している、謂わばレゾンデートルに関わる問題だったからです。

話は変わりますが、僕は、オウム信者の気持ちもある程度は理解できます。

で、また話を戻すと、解決の糸口さえ見えないほど混乱しているのが悩みなのですよ。

そう考えると、20代は悩みの連続でしたし、30から35までは、地獄の日々でした。

35あたりから、いくぶん楽に生きられるようにはなりましたが、その後、50にして壮絶な悩みを経験し、53歳までの3年間で、頭と心をフル回転させて苦しみ抜きました。

その経験のあと、父の介護が始まり、介護離職を経験し、経済的な問題も克服し(これは現在進行形で克服中)、今年は母を亡くし、今に至っています。

つまり、課題はいくつかあるのですが、それは悩みではありません。なぜならば、何をどう対処すればいいかがわかっているからです。

たとえば、お金がないなら働けばいい、のです。仕事がなかなか見つからないならば、自分の要求するハードルを下げればいい、つまり、仕事を選ばずに働く、ことが解決策になります。

メタボならば、運動すればいいし食事を工夫すればいいわけです。

部屋が散らかっているならば、断捨離してスッキリすればいい、のです。

つまり、解決する方法がわかっているものは、悩みではありません。それは課題であり、やるかやらないか、の話です。

その課題に対して、やるのも自分なら、やらないのも自分です。悩みではなく、課題であるとわかれば、それにどう取り組むかは自分次第、ということになります。

僕は自分の課題を知り、それに対し前向きに取り組んでいるので、毎日幸せに生きています。それは、自分次第で幸せに生きられることを皮膚感覚で知っているからでもあります。

だから職場で先輩に怒鳴り飛ばされたときも、それで自分が不幸になることもありません。それは、課題に対する対処法を知っているからです。

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

幸不幸のキャスティングボートを、他人に握らせてはいけません。

自分自身の人生のハンドルは、自分が握っていなければいけません。

僕が今日も幸せなのは、自分の人生のハンドルを自分自身が握っているからです。

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