介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2018年06月

職を求めて、面接に行ってきました

昨日、28日は、職を求めて、面接に行ってきました。

求人ジャーナルという、就職情報誌に載っていた会社です。

5月いっぱいで新聞の購読をやめたために、毎週日曜日に入る求人広告が見られなくなったので、街の店舗などに置いてあるフリーペーパーの求人誌を見ていたのです。

面接場所は、新狭山駅の近くの、派遣会社の一室でした。
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土日休みで、仕事は平日のみ。50代60代の人の求人でした。

職場は飯能市で、従業員の送迎や工場内の軽作業のようでした。

後日、その工場のほうに、直接面接に行く必要があるとのことで、昨日持って行った履歴書は、その派遣会社のほうに提出したので、あとは直接現場に出向いて行って面接を受ければいいのでしょう。

7月1日に、母の四十九日法要があるので、それ以降の日で、希望を出しておきました。

まあ、縁があれば、そこで決まるんじゃあないでしょうか。

縁がなければ、また、新たに探すことにします。

辰巳の空と人の暮らし

今日は、新霞が関ビルで株主総会があり、その後、隣の霞が関ビルで、総会後に渡されたヒレカツサンドを食べながら、サラリーマンを見ていました。

ちょうど、昼時で、サラリーマンの唯一のリラックス時である、その姿を見るとはなしに見ていました。

空が晴れ、気持ちの良い風が吹き、つかの間の解放感を抱えたサラリーマンが、広場を交錯していました。

そうした人の姿を見るのが好きで、結局自分は、人を見ていたいのだ、と改めて思いました。

そうした中、一人のOL(今は死語かも)が、ちょうど持参のお弁当を食べる姿を目にしました。彼女は、食べる前に、小さく合掌したのです。

僕は、とても好感を持ちました。

まあ別に、宗教とかは抜きにして、食べ物に対する感謝の気持ちがある点を、ですね。

さらに言えば、自分で弁当を作って、職場に持ってきているしっかり者のところですね。

くびに名札をぶら下げていたので、セキュリティーのしっかりした会社なのでしょう。


虎ノ門の駅がすぐ近くなので、そこから、2回地下鉄を乗り換えて、辰巳に行きました。


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辰巳桜橋を渡って

辰巳桜橋の上は風が強かったですね。日傘をさしていた女性は、傘がおちょこに。

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辰巳運河の向こう側から見たうっすらとしたスカイツリー

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船となかなか味のある雲

川沿いを歩き、辰巳橋を渡って、都営辰巳一丁目アパートのほうへ。

写真は撮りませんでしたが、この辰巳団地が、その古さと言いなかなかの渋さが。

何と言うか、人の生活、を感じました。

周囲に立つ高層マンションとは違う、世界が、そこにありました。

やっぱり、人の生活が垣間見える風景というものは、いいものです。

広島とか、西日本で強いコンビニ、ポプラなんかがあるのも、良いですね。


平日に、うろうろできる早期リタイア生活だからこその、贅沢かもしれません。

最近少なくなったトイレ共同のアパート

僕が若い頃は、トイレ共同のアパートなんて、ざらにあったのですよ。

ところが最近は、こじゃれたワンルームなんかが多いようで、今では、トイレ共同のアパートは、希少価値のようです。

僕もトイレ共同のアパートに住んでいたことがあります。

3畳一間でしたが、トイレ共同は構わなかったのですが、天井にネズミがいたようで、その音でうるさくて一か月もしないうちにそこを出ました。

その後、同じ板橋区内に住んだアパートは、トイレ共同ではありませんでした。

板橋区は、東京都内でも住みやすさは、5本の指に入るんじゃあないでしょうか。

物価が安く、気取りがないというか。

1円で服が買えることで有名な、のとやも、板橋区。

僕も、のとやで、100円の新品のスラックスを買ったことがあります。

東京でも、トイレ共同のアパートであれば、安い家賃で今でも住めるかもしれません。
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東京で安く暮らすには、住居費の節約がまずは第一です。

それと、安い定食屋のある街を選ぶこと。

たとえば、僕が居候をしていた練馬区の桜台などは、隣の江古田駅前に、安い定食屋がありました。190円で、ラーメンと半炒飯のセットが食べられたりとか、ね。

ついでに、のとやのような、安い衣料品店があれば、なお良いです。

そうすると、ものすごく、生活費は安くなります。

そのようにランニングコストを抑えて、浮かせたお金で投資をすれば、老後を乗り切れるでしょう。

ただ、老後を乗り切ることだけが人生ではないので、若い人には、今の時間を大切にした日々を送ってほしいと思います。


母のことを思いださせる曲

僕が実母を亡くしたのは、僕が16歳のときでした。

当時、良くカーペンターズを聴いていて、クロストゥユ―という曲を聴くと、母が死んだときの状況が思いだされます。邦題は、遥かなる影、だったかな。

で、5月に亡くなった僕の義母のときは、山下達郎のcozyというCDが、車のカーステに突っ込んだままになっていたために、ずっとそのアルバムが流れていたのですね。

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その中の、fragileという曲が、何故か頭の中に残り、fragile
を聴くと、母のことを思いだします。


人は、ことほど左様に、不確かな、揺蕩うような感覚の中で、生きているのかもしれません。


歴史研究会に参加して

昨日、21日は、かつて盛んに活動していたサークルの中の一つ、歴史研究会に参加しました。

これを主宰するのは、今年県庁を退職したKM氏。

歴史研究会の活動が最も活発だったのは、今から30年以上も前の二十代の頃でした。僕は、当時から、ただついていくだけでしたけどね。

そして、昨日、そのKM氏と、今は自宅で療養生活を送っているOY氏と僕の三人で、そのOY氏の車で、歴史的史跡巡りをしました。


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KM氏とOY氏の後ろ姿

OY氏は、3人分のホットコーヒーを自宅でつくって、それぞれのタンブラーに入れてくれていました。そのコーヒーを飲みながら、史跡をめぐりました。

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板碑が食い込んだ御神木

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神社前の茅の輪

河童の三平が出てきそうな風景の中を、車で、あるいは、徒歩で、巡りました。

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高さ2メートルを超える板碑

今回は、僕も、板碑について、新たに学びました。

KM氏は、歴史と聖書に造詣が深く、一緒に歩いて回っているだけで、知らずに教養が身につきます。

僕の住む埼玉県中西部は、古墳も数多くあり、また、新田義貞が、鎌倉に攻め上った鎌倉街道などもあり、かつての時空を感じました。


見えない明日に泣き濡れた日々

昨日は東京の赤坂に泊まり、今日は、先ほど帰ってきたのですが、久しぶりの東京。

人の多さに酔い、歩くペースの違いに戸惑い、二年数か月前まで新宿で働いていたときとは違う自分に気づかされました。

同時に、都会にいるがゆえの得も言われぬ孤独が、僕をとらえて離しませんでした。

都会に行ったのは、株主総会に出るためだったのですが、シェラトン都ホテル東京で株主総会を終え、赤坂のカプセルホテルへ。


シャワーだけ浴びて、夜の街に繰り出したのですが、行きたいところがない。

東京は嫌いではないのですが、新宿時代、そしてその前の浜松町に勤めていたときも、24時間勤務明けに、営団や都営の一日券で歩き回っているので、本当にもう行きたいところがない、と思いました。

でも、まあ、馴染みのある荻窪や、浅草に行ったりしたのですが、何とも言えない孤独を感じました。

人は、しょせん孤独な存在です。

つんくも歌っていますね。

生まれたあ、時からあ、孤独なんだけどお、忘れていくんだあ、いろんな恋をしてー、とね。

で、恋をしていない僕は、どうなんだと。

孤独を忘れることすらできないのか、と。

ぼんやりと、浅草の夜の風景を眺めていました。浅草の、と言うよりも、浅草側から見た、川の向こうの風景ですね。


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そして思ったのですよ。

ああ俺の人生、35までは、暗かったなあ、と。

で、どのくらい暗いかというと、見えない銀河の夜、くらい暗かったな、と。

あるいは、先日亡くなったことが判明した(実際はかなり前に死んでいたらしい)森田童子の歌のように暗かったな、と。

当時は、すぐそこにあるはずの明日が見えなくて、頭から布団をかぶり、泣き濡れた日々でした。

そんな日々を、唐突に思いだしながら、21時少し前まで、暗い夜の川と対岸を見ていて、赤坂に帰ったら、宿の前が大騒ぎ。

エレベーターが、じかに赤坂の通りに面していて、その前に大型画面があり、人だかりが。

みんなビールやワインを飲んで、日本対コロンビア戦を見て、盛り上がっているのですよ。

その横を通り、エレベーターに乗り込んで、6階の自分のカプセルへ。

畳一畳ほどの僕の空間。

この、一人分の孤独が、僕の前にありました。

少ないと言って暴れた男の年金は12万、僕の年金予想額は8万

母の年金停止手続きを行ったのが、6月13日。そして、最後の年金支給日が6月15日でした。

一昨日になるその15日に、最後の年金が振り込まれているのを確認しました。ありがたいことにその年金から、今度の49日法要における、僧侶への支払いが賄えそうです。

母の年金の支給停止手続きをしたときに、改めて年金について考えました。


もう3年近く前になるでしょうか。

年金が少ないと言って暴れて、新幹線に火を放った男がいましたね。

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その巻き添えで、亡くなった人もいたように記憶しています。

彼が怒った理由は、少ない年金、です。

で、どのくらい少ないのかと言うと、24万円です。支給額が、です。

年金は、2か月に一度の支給なので、月に直すと、12万円です。

僕のねんきん定期便での予定額は、月にすると、8万円乃至、9万円というところ。いずれにせよ、その、火を放って自殺した男よりも少ない金額です。

youtubeで、ひろゆきをよく聞くのですが、彼はベーシックインカム賛成派で、8万円で暮らせる、とよく言っています。彼はお金持ちですが、少ない支出で楽しく暮らしています。

彼が持ち出した例で言うと、年間100万円あれば余裕だと。

3万円ほどの家賃を払い、5万円で自炊生活。レジャーは、インターネット。確かにネットを上手く使える人は、今はほとんどのことがほぼ無料で楽しめてしまいます。

ほぼ無料と言ったのは、通信費がかかるからですね。しかし、5万円あれば、食べて、光熱費や通信費を払えますね。

だからつまり、この自殺して暴れた男は、単にマネーリテラシーと言うか、生活リテラシーが低いだけなのです。

僕は、月に8万円乃至9万円の年金がほぼ確定していますが、これから年金をもらう人で、30代以下の人たちは、支給額が減るだけでなく、支給開始年齢も、先延ばしされる感じがプンプンなのですよ。

僕は、こちらのほうが問題ではないかと思っています。一億総活躍社会というスローガンは、お前ら、ずっと働けよ、という政府からの暗黙の方向付けなんじゃないんでしょうか。

おそらくは、今後、年金は70歳支給開始になるかと思います。

年金の減額と支給開始の先延ばしが予想される以上、これからの若い人たちは、まあ、自分の世代も同じですが、特に必要なのは、ローコストで生活できるスキルです。しかもみじめではなく、楽しく、心豊かに日を送る技術があなたを助けるでしょう。

まあ、ストレスがなければ、ローコストで楽しく暮らせるので、達観すればいいだけなのですよ。


親の年金に依存して暮らす子供の未来

昨日、川越の社会保険事務所に行き、母の年金の支給停止手続きをしてきました。6月にもらえる年金が最後の支給ということになりました。

さて、その年金ですが、ときどき、8050問題、という言葉を聞きます。つまりこれは、80代の親が50代の子供を養っているという話です。

これ以外には、7040問題があります。70代の親が40代の子供を養う。つまり、親の年金が、主たる収入源であり、それに依存する息子、娘が、かなりの数いる、という現実です。

万引き家族という映画も、ばあさまの年金に家族が縋り付き、足りない分を万引きで補うという話のようです。まだ見ていないので、テレビで得た情報でしかないのですが、これはかなり、現代社会の世相をとらえていると言えるかもしれません。

さて、僕は昨日社会保険事務所で手続きを終え、一区切りしたついでに、担当の職員に、親が死んだ後も年金をもらい続ける子供はいるのですかと訊きました。

まああまり、率直には答えてくれなかったのですが、払い過ぎた年金はあとで返してもらうことになる、とは言っていましたね。

働かない娘が、親の死後も届け出をせず、年金をもらい続けていた話は、まだ記憶に新しいのですが、親の年金に頼り切っている子供は、いずれ親の死後に、新たなる現実に直面します。

子供のほうも60代になっていれば、自分自身の年金が目の前にありますから、あまり問題にはならないでしょう。

やはり、50代は、まだ自分の年金までには少し距離があるし、40代では、なおさらでしょう。

どうしたって、世間に放り出されて、いずれかの市場に自らを投げ出し、額に汗して働かねばなりません。

それまで働いた経験や資格があれば、何とかなるでしょうが、それでも、親の介護などで、数年のブランクがあるだけでもきついのです。ミッシングワーカーと言うやつですね。

ましてや、働かずに親の年金に依存してきた息子や娘が、そのまま生活保護に移行できる保証はありません。

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運良く、親身になって助けてくれる人がいれば、生活保護に滑り込むこともできるかもしれませんが、窮して途方にくれる人のほうが多いでしょう。

自分の足で立ち、自分の口を養うくらいの能力は、身につけておかなければなりませんね。

大切なのは、自分で幸せになる能力

僕は、幸せです。

傍から、どう見えようともね。

傍からどう見えるかなどは、知ったこっちゃありません。

だって、自分の人生を生きているんですからね。

誰だって幸せになれるんです。

ただ、そのためには、少しばかり、覚悟が必要です。

他者に依存しないという覚悟です。

ここ、大事なので、もう一度言っておきます。

他者に依存しない覚悟です。

僕はもう、一人で死ぬ覚悟ができているので、死ぬことは怖くありません。

では、病気は?

病気は、なってしまったら諦める覚悟ができています。

ただし、なるべく病気にならないような生活習慣は、実行します。

たとえば、食事に気をつけるとか、適度な運動をするとかですね。

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上は、サバ缶に、キャベツとブロッコリーと酢につけた玉ねぎを混ぜ合わせ、その上にスーパースプラウトをあっさりと乗せたサラダですが、ドレッシングは、かけません。以前はかけていたのですが、ドレッシングなしのほうが素材の味が出ておいしいことがわかったからです。

一度に上の分量は食べられませんが、だいたい朝の定番のサラダになっています。それに、シリアルか、おにぎりか、フレンチトーストを少し食べます。

適度な運動については、以前は町営のジムでウェイトトレーニングをしていた時期もあったのですが、そこまでの負荷は必要がないように感じています。今は、もっぱら自重トレと、ストレッチですね。筋力は適度にあればよく、それよりも体の柔らかさが大事であると感じています。

食事と運動と睡眠を自己の管理下に置く。これだけが、僕が普段心がけていることです。

これを、自助努力と言います。

自助努力もせずに果実だけもぎ取ろうなどという虫のいいことは考えていません。

天網恢恢疎にして漏らさず、と言います。

お天道様は見ています。

人生、誤魔化しは効きません。

因果応報と言うやつですね。

さて、死ぬ覚悟と病気の覚悟はできているので、あと心すべきは、お金のことですね。

これは、ローコスト生活で、乗り越えることができます。

幸い、僕は、お金のかかる趣味は持ち合わせていません。

ゴルフもやらないし、キャバクラや、ソープにも行きません。

お金を使うとしたら、旅行ぐらいですが、これも、安く旅行できるスキルがありますから、あまりお金がかからないのですよ。

先日行った沖縄も、朝食付きのホテル4泊と往復の航空券で、33500円です。レンタカーを借りたらもっと高くなりますが、移動はバスとゆいレール、しかも、一日券を上手く利用したので、乗り放題でした。

つまり、世間一般の人が思っているよりも、はるかに安いお金で、旅行も楽しめるのです。

3月に行った北海道旅行も、朝食付きホテル3泊と往復の航空券、さらには、JR乗り放題二日間と、海鮮丼無料券がついて、26000円でしたからね。本当に、行く日を上手く選べば安いのです。

まあこの辺は、株にも通じます。

安いときに買って、高いときに売る。たった、これだけ。そのシンプルさに、惹かれます。

頭の出来があまりよろしくないので、複雑なものは苦手なだけでなく、疲れるのです。僕は、疲れることは嫌いなのです。

だって、疲れると、だんだん元気がなくなって、鬱になっていくのですよ。今僕が元気でいられるのは、エネルギーを無駄な労働やストレスで、浪費していないからです。

そんな僕も、仕事をしないと生きていけない状況ではあるので、もちろん仕事は探しているのですが、なるべくストレスの少ないものをと考えています。

大切なことは、少ない給料であっても、暮らせるスキルです。そして、お金をあまり使わなくても、人生を楽しめる能力です。

たとえば、かつては、かなり書籍代がかかっていましたが、最近は、図書館をフル活用しています。新刊をリクエストして、読んだりとかね。

まあそういうわけで、あまりお金はないのですが、僕の老後は安泰で、楽しいのですよ。

このテーマは、おもしろいので、また今度、言及したいと思います。

青空と痛み

どこに行ってもよかったのですが、サイコロを振って、行き先を決めました。

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サムライブルーのこのJALで旅立ちました

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初日の宿は旭橋駅から歩いて3分ほどの距離にあるホテル

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首里城公園散策後に一休みした場所

オリオンビールのつまみに、お姉さんがミミガーを出してくれました。

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味のある石畳

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猫ちゃんもリラックス

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安里駅近くの宿 

こんな宿なら、安く泊まれます。一人旅には打ってつけ。

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こんな路地を歩き回って

上は栄町市場街ですが、牧志公設市場街とはまた違った趣があります。

その後、市場街とは対照的な、壺屋やちむん通りなども眺め歩きしながら、ふらりと寄った店で、マンゴーかき氷に出合いました。


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100パーセントまじりっけなしのマンゴーかき氷

凍らせたマンゴーをそのままかき氷にしているそうで、これは本当においしかったです。滞在中、3回も通いました。

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波之上宮の上の空

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那覇の街の、また、別の空

実は、今回の旅では、空の写真をたくさん撮りました。まあ、空を見に行くのが、この旅の半分の目的でしたからね。

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那覇滞在3日目に行った瀬長島

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海沿いの道を歩く

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やっぱり海でしょう

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海風テラス

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でも、ハブには注意しないとね

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具志営業所発の那覇バス内

瀬長島には、那覇バスを利用して行ったのですが、最寄りの停留所が具志営業所で、そこから歩いてかなりの距離がありました。

で、帰りも、その具志営業所から乗ったため、まだ、乗客は僕一人、街中を通るにつれ、乗客がぼちぼちと乗ってきました。


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世界遺産の識名園にも、那覇バスで行きました

那覇滞在4日目は、疲れが出て動く気になれず、前日行った瀬長島にあるホテルの温泉に行きました。このときは、赤嶺駅から送迎バスに乗せてもらいました。

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空と海を見ながら何も考えない脱力の時間でした

6月3日の初日こそ、雨に降られましたが、翌日から6月7日の帰りの日まで、ずっと晴天続きでした。

まあ、僕は晴れ男ですからね、だいたいどこに行っても晴れます。

これまで沖縄に行ったときは、いつもレンタカーを借りて動き回っていましたが、那覇にしっかり滞在して、ゆいレールやバスを使って、自分の足で歩きまわるのは、今回が初めてでした。

青空を見ていると、死んだ父と母の姿が思いだされ、切ないような痛みを感じましたが、まだ僕自身の人生は続くので、ここで気持ちを一段階切り上げて、これからの人生を生きていこうと思っています。

なんくるないさぁ。


しばらくネット環境を離れ、三昧に入ります

三昧とは、サマーディ、すなわち、禅定などの精神集中のことを指すことが多いのですが、日常生活においては、読書三昧とか、放蕩三昧とかのように使われますね。

端的に言えば、「どっぷりつかりきる」ということでしょうか。ネットサーフィン三昧、というのも、最近ではあるでしょうね。

で、僕としてはむしろ、月の変わったこの時期に、ネット環境から少し距離を置き、他のことをしてみたいと思ったのです。

株取引は、ネットで行っているのですが、現物取引のみのため、もともと、画面に張り付く必要はありません。せいぜい一日に一回、値動きをチェックしていれば良かったのです。

しかしその株取引も、多くの銘柄を現金化して一段落したため、しばらくは株の取引はありません。取引しようにも、買う現金がありません。今ある現金は、今後の支払いと、今後数か月を生き抜くための資金ですからね。

ということで、ネットからはなれて三昧に入り、一度リセットをしようと考えています。

ふらりと旅に出るのもいいし、図書館に入り浸って読書に耽溺するのも悪くありません。

あるいはまた、近場の山々を歩き回るという手もあります。

寝袋一つを持って海の見える場所に行き、日がな一日、寄せては返る波を見るのも一興かもしれません。

まだ決めてはいませんが、しばらくパソコンには触れないつもりです。

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