介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2017年05月

底辺労働での子育てはきつい

非正規社員はもちろんのこと、正社員であっても不当に安い賃金で働いている人は、底辺労働と言ってもいいのではないでしょうか。

一人で生きていくのがやっとというような給料で、子育てまでしていたら、お金が足りないのは当たり前です。

そうした人たちは、ダブルワークで糊口をしのいでいると言います。

実は僕自身も、前職時代、給料の安さからダブルワークを試みたことがありました。結果は、長くは続きませんでした。

僕の場合は独り者で、教育費はかかりませんでしたが、宗教活動にはお金が必要でした。そのためのお金と、住んでいる分譲マンションの繰り上げ返済のためのダブルワークでした。

結婚式場のウェイターをしたのですが、テキパキと動けず、自分でもこれはだめだと思い、さらには、そこまでして必要なお金でもなかったので、すぐに辞めてしまいました。

まあ、結局独り者は、その辺が気楽なのです。

ところが、子育て中でなおかつ収入が低い場合は、本当に深刻です。お金に余裕がないと、夫婦仲も険悪になるケースがあるようです。

独り者で金がない場合、自分の中だけで折り合いをつければいいのですが、夫婦で金がない、あるいは、子供の教育などに必要なのに金がないという状況は、切羽詰まっています。

こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、年寄りにばかりお金が回っているようで、釈然としません。

もちろんすべての高齢者が金があるわけではありませんが、金融資産の大半は、高齢者が所有している事実は何を物語っているのでしょうか。

これはつまり、何割かの高齢者は、べらぼうにお金を持っているということです。その人たちが、預貯金の平均値を引き上げているわけです。

100万円以上する3泊4日の豪華列車の旅が発売と同時に売り切れる一方で、1円2円の節約のために、わざわざ遠くのスーパーまで自転車で走る人もいます。

まだ日本は格差は少ないほうだと言いますが、今後は拡大する一方でしょう。

大人の貧困は、まあある程度致し方ない面はありますが、子供には罪はないので、子供の貧困だけは、何か特別な手当てが必要に思います。

安倍さん、頑張ってください。安倍さんじゃだめか、ボンボンだから。

ここは、農家出身で叩き上げの菅さんにかんばってもらいますか。菅さんも他の火消しで忙しくてそれどころじゃない? 

そうですか。わかりました。政治には期待しないことにしましょう。

下手を打って(失敗して)も、死んだらあかん

「下手を打つ」とは、僕がナニワ金融道という漫画で知った言葉です。

ナニワ金融道は、僕が、男組に続いて全巻そろえた漫画です。男組というのは、主人公が、流全次郎と言い、中国拳法の達人です。この話をすると長くなるのでカットしますが、「全巻そろえる」というのは、お金もかかりますし、よほど気に入ってなければ、できない算段です。

僕は共産主義者ではありませんが、ナニワ金融道の作者青木雄二さんは、好きですね。

彼は、バリバリのマルクス信奉者だったようですが、それは横において、彼も、さんざん冷や飯を食わされたその経験が、漫画の中で生きていると思うのです。

男組も、ナニワ金融道も、古本屋に、全巻売り飛ばして今は手元にないのですが、漫画がこれだけ読めるというのも、日本に生まれたアドバンテージではないでしょうか。

それはそうと、未だに過労死が後を絶ちませんが、「下手を打って(失敗して)も、死んだらあかん」と、言いたいですね。

仕事が原因で死ぬなんて、まったくばからしい話です。

辛いときは、ジャズかボサノバでも聴いて、あるいは、古典落語とか、漫才とかコントでもいいですし、そうした、気分転換になるものに触れて、人生なんて、そんなに深刻に考えるこたあないんだと、長屋のはっつぁんのように、気楽に考えたら、何とかなりまっせ、ということなんですよ。

ちなみに僕は、苦しいときには、沖縄民謡を聴きまくっていました。あのサンシンの音色を聴くと、心が柔らかくなるのですね。

沖縄民謡、大好きです。沖縄民謡の話だけで、一晩明かせまっせ。

まあそれはそうと、僕が言いたいのは、「下手を打っても、死んだらあかんで、ほんまに」ということなのです。

すいません、埼玉県人なので、関西弁が間違っているかもしれません。


雨の日の伯母の告別式と火葬場

今日は雨の中、僕が一度も会ったことのない伯母の告別式と火葬場に行きました。

告別式の会場は昭島市。埼玉県民の僕にとっては、都内を走るのはあまり得意ではありません。道は同じなのですが、横田基地前とか、国道16号など、結構混むのです。

早めに家を出、11時に到着。身内だけとかいうことらしく、最初は僕も含めて7人で始まりました。

喪主は伯母の娘さんで、67歳だそうです。年よりも若く見え、ちょっと芸能人のような感じの人でした。香典も花代も要らないということで、すべての費用はこの娘さんが出したようです。

「40年以上別々に暮らしていて、何も親孝行をしていないので、せめて最後くらいは」みたいなことを言っていました。

伯母は、書道の先生の家に手伝いに入ってから、すっかりそこの家の人になったようで、実の娘との暮らしを拒否し続けていたようです。

その書道の先生が死んでからはその娘さんが先生となり、その娘さんと言っても、その人ももう80歳でしたが、今度はその人が先生となり、一緒に暮らしていたそうです。

その80歳の先生も、遅れて、やってきました。

さらにその先生の姪の夫婦と3人の娘が来て、姪夫婦は、40歳前後でしょうか、娘3人は、小学生二人と幼稚園児くらいでした。

その後、先導するクルマのあとについて、立川の火葬場に向かいました。

僕の車にはカーナビがないので、前の車を見失ったら、火葬場にたどり着けないのでは、と若干不安でしたが、何とか到着。

その後、火葬している間に食事を摂り、すべてが終わったのは、15時近くでした。

僕は、一緒に暮らしている母自身が義理の母で、伯母もその娘であるいとこも初対面で、初対面の人が多かったのですが、割とそういうのは平気なので、流れるように過ぎていった一日でした。

ただ、その伯母も、不思議な人生を生きた人だとは思いました。

書道の先生と一緒に来た姪夫婦の、その姪も、生まれてすぐ両親を亡くし、その伯母さん、つまり、こちらの伯母さんは書道の先生のほうですが、そこで育てられたそうです。

そしてそのときにはすでに、今日告別式をした伯母のほうも一緒に住んでいたわけで、お互いに家族のように感じていたそうです。

つまり、今日の喪主である、今日僕が初めて会ったいとこである67歳の娘のほうは、高齢になった母親を引き取ると言ったものの、断られたのは、書道の先生の家の中で血のつながりはないものの家族ができあがっていて、伯母にしてみれば、今更実の娘と暮らしてもつまらないというか、何と言うのでしょうか、いろいろな事情があったのでしょう。

ただ、書道の先生の家での暮らしは、本当に楽しいものだったようです。皆で旅行に行った写真なども見せてもらいましたが、今日来た3人の小学生と幼稚園の娘が、伯母からすれば曾孫のように見えたことでしょう。伯母は、93歳で息を引き取りましたが、良い人生だったのではないかと思います。

何だか複雑な話です。

複雑な人間関係が、僕自身も今もよくわからないのですが、とにかく、母にとってはいろいろな人に会えてよかったようでした。

立川の火葬場というのは国立に近く、南武線が走っていたので、僕は土地勘が全くありません。ナビがないので、帰りが不安でしたが、夕方の渋滞前に、家に着けたのは良かったです。

会ったことのない伯母の死

今日、行きつけの飯能市の床屋に行き、磯丸水産で株主優待のランチを食べ本屋で立ち読みをしたりして帰宅したら、母が、大変なことになったと言っていました。

母の姉で、93歳になる伯母が、亡くなったというのです。

母は僕の産みの母ではなく、父の再婚相手です。

そのため、その伯母とは、僕は一度も会っていません。

母が僕の父と再婚したのは、僕が19歳のときで、そのときは互いに初婚ではないしということで、我が家で、ささやかな宴をしたのですが、そのときもこの伯母は来ませんでした。そのため、僕はこの伯母とは面識がないのです。

この伯母は、結婚して一人娘をもうけたのち、すぐに離婚して、書道の先生のところにお手伝いに入り、それきりそこに住み着いたようでした。

その娘は、マンションを買い、母親を引き取って一緒に暮らそうとしたそうですが、書道の先生のところが良いらしく別の生活だったようです。

この娘のほうとも、僕は一度も会っていません。一応、いとこ同士ということにはなるのですが、何しろ血縁のつながりもなく、会う機会もなかったのですね。

今の段階ではまだ葬儀のことも聞いてはいませんが、母は、たった一人の女姉妹の姉なので、葬儀には行きたいようです。

今、僕は早期リタイアの身で、母の年金で暮らしているようなものですから、葬儀に参加するのはやぶさかではありません。

まあ、どうなるにせよ、母が望むようにしてあげたいと思っています。

父の一周忌に在宅介護生活を思いだす

父の死から、一年が経ちました。

昨日は、父の弟である叔父の家で、ささやかな法要を行いました。叔父夫婦が信仰している立正佼成会による法要でした。

檀家の坊さんに頼むと、また法外な読経料を要求されます。

介護離職して一年数か月。大袈裟な法要は、経済的にできません。

また、本来法要というものは、気持ちが一番大切だと思っています。通夜式と葬儀のときの読経は、決められた坊さんでないと、墓に入れないという制約がありました。つまり、選択の余地がなかったのです。

しかし一周忌法要は、縛りはありません。

そこで、叔父夫婦の好意を受け入れ、立正佼成会方式でお願いすることにしました。

そうは言っても、僕が立正佼成会に入信することはありません。そのことは、昨日、はっきりと、集まった人たちに言いました。昨日集まったのは、僕と母を除く全員が、立正佼成会の会員さんです。生前の父とは、面識のない人たちです。

それでも、無事、法要を終え、父についての話などをし、良い時間を過ごすことができたことは良かったと思っています。

在宅介護生活は、それなりに大変ですが、僕の場合は、父が手がかからなかったこともあり、こう言っては語弊がありますが、楽でした。

父も、最後までボケることもなく、話が通じたことが大きかったと思います。口がきけなくなったのは、いよいよ最後となったときでした。

在宅で看取ることができた、と言っても、死ぬ瞬間は見られませんでしたが、在宅で、老衰で亡くなるまで、介護できたことは、良かったと思っています。

教育費だけで4000万円

昨日は、花火師で投資家のSさんの広大な庭で、バーベキューをしながら飲みました。

集まったのは、Sさんの投資の師匠Tさんと、近所に住むHさんです。僕を含めた計4人で、昼頃から、夕方まで飲み、食い、語りました。

昼間から酒を飲み、好き勝手できるのも、リタイアならではです。

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Hさんは、すでに退職しており、3人の子供を大学までやり、さらに一人は大学院まで出したということで、教育費だけで、4000万円以上かかったそうです。

そのHさんが、射撃の趣味があり、途中、自宅に戻って、銃を持ってきました。

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こちらの的は近いほうで、角度は違いますが、別のところに、遠い的があり、皆で、打ちました。

子育てにはお金がかかることを、改めて感じました。

体調が悪いと気が弱くなります

もう50代も後半ですから、僕も普段は元気ですが、体調が悪いときは気が弱くなります。

今年になって、2回も風邪をひきました。インフルエンザではないので、大したことはないのですが、それでも微熱と咳、さらには悪寒などで、テンションは下がります。

若い頃は躁鬱の気のあった僕ですが、今では落ち込むことは滅多にありません。基本は、さらさらと生きています。

それは、この世を生きることは旅のようなものだ、と思っているからなのかもしれません。命には限りがあり、この世にいる時間は束の間です。そう思うと、何かに固執したり、執着したりすることが空しくなるのですね。

仏教的には諸行無常と言いますが、この諸行無常を理解するように努めることで、ずいぶんと生きることが楽になりました。

それでも、体調が悪くなると、苦しいものは苦しいので、苦を感じることはあります。お釈迦様も、毒キノコに当たって死んだくらいですから、毒の苦しみは味わったと思います。

そうした苦も、受け入れる気持ちが大切なのでしょう。

ただ、そうは言っても生身の人間、体調の悪いときは、辛いです。そしてその辛さは、独り身であることが拍車をかける場合もあります。

今は、母との二人暮らしですが、いずれ母が他界したのちは、僕は、一人になります。

「咳をしても、一人」という句がありますが、見事に孤独をあらわしていますね。

僕は、孤独には強いほうだと自負していますが、これからどんどん年を取るにつれて、いろいろな不如意なことも、起こってくるでしょう。それは、覚悟しています。

不如意な状態になっても、さらさらとしたさっぱりした心で生きることが、今後の修行になってくるでしょう。

長らく、宗教を転々としていたので、それは、今思えば、無駄にはなっていません。今は、いかなる宗教団体にもかかわりはありませんが、荘厳な宇宙法則は信じています。それで十分です。

このブログがいつまで続くかわかりませんが、体調が悪くなり、不如意な状況になっても、なるべく書き続けていきたいと思ています。

貯金が500万円あれば老後生活は大丈夫

5月は、のっけから支払いが続きました。

まずは2年に一度の車検代、これがおよそ8万円。自動車税、これが34500円。

さらに、固定資産税が、今年から、新築住宅に与えられる減税措置がなくなり、8万円ほど。ちなみに、優良住宅の場合は、減税措置が5年です。

庶民は、あまり高い住宅は建てられませんので、つまり、優良住宅の範疇ではないので、減税は3年で終了。

今月は、上記20万円の支払いのあとに、通常の住宅ローンがあり、かなりの支出となっております。

一方、僕の知り合いで市営住宅に住んでいるM君は、家賃1万円で余裕の生活。

いかに固定費を安くするかが、勝負の分かれ目です。

頭が悪すぎた僕は、あまりにもおバカな人生を歩んできました。それでも、まだ、こうして、けっこう幸せに生きているからラッキーとしか言いようがありません。

僕のどの点がお馬鹿かというと、マネーリテラシーの低さですね。

50過ぎてから、やっと経済の勉強を始めたくらいですからね。

家賃が1万円なら、手取り20万円の給料で余裕の生活です。

でも、50代の僕は、若い人たちに比べれば、恵まれています。年金が、視界に入る年齢だからです。

何とかこのまま、65歳支給を死守してもらえれば、滑り込みセーフでやっていけます。

年金支給60歳を目指していたのですが、65歳にされ、ゴールが5年延ばされました。早く来い来い年金支給。

まあ、それはそうと、住宅ローンのない人は、それだけで有利ですね。賃貸の人は、生涯家賃から逃れられないので、それはそれで大変です。

やっぱり持ち家で、ローン無し。借金なし。それで、貯金が500万円ほどあれば、余裕の生活でしょう。

老後生活に必要な金は3000万円とか言って不安を煽っていますが、何をおっしゃるウサギさんで、1000万円あったら超余裕、500万円で余裕、300万円で大丈夫、100万円だと、少し心もとない、という感じですね、僕からすると。

まあ何はともあれ、僕の場合は、まずは住宅ローンの完済が、先決です。住宅ローン残高から、株を含む預貯金を引いたら、マイナスですからね。それでも、明るく生きています。


経済的に余裕があれば働きたくない

ヤフーの意識調査によれば、経済的に余裕があれば働きたくない人が約65%います。

それはそうでしょう。よほど強靭な体力、および、めちゃくちゃ向いている仕事ならば、働くことは苦にはなりませんが、大半の人間は生活のために辛いことも我慢して働いているのです。

僕の尊敬する斎藤一人さんなどは、一年の三分の二を旅していますが、納税額は200億を超えています。一人さんは、頭が良すぎるので例外的ではありますが、中卒で億万長者の粋な男です。

何でいきなり一人さんの話かというと、仕事を楽しみにすることが、一人さん流の考えなのですね。桁外れの成功者ですから、その発言には聞く耳を持つべきですが、一方で、どんなに頑張っても、とても仕事が楽しみとは思えない人もいるわけです。

そんな人にとっては、「経済的に余裕があれば働きたくない」のは、当たり前だと思うのですね。当たり前だのクラッカーですよ、本当に(てなもんや三度笠を知っている人にしかわからないところです)。

まあそれはそうと、意識調査のコメントを少し見てみましょう。

私が就職したころの定年は55歳。やっぱ、そのくらいに退職してあとはゆっくり、というのが体力・気力的に勤め人にはいいところ。70歳なんて、勤め人は奴隷と同じ。

出来れば50歳で退職し、残りの人生自由に生きたかったが、既に51歳。
子供達の進学でまだまだ稼がなといけないので、予定は大幅に狂った。

「生きがい」だろうが「健康のため」だろうが政府にとってはどうでも良いことに違いない。とにかく稼いで税金なり保険料を納めて欲しいのだ。

何が嬉しくて働くかいね
自分の畑で野菜作るならええが
他人にこき使われて何が嬉しいか
馬鹿馬鹿しい

働きたい人は働けばいい。但し、働きたくない人が、働かなければならない社会にするのはおかしい。

労働者は70歳まで働いちゃったら余生楽しむ間無く死んじゃうかも。75歳超えての団体旅行は厳しいって今の知り合い高齢者が言ってたけど、高齢になったら早く仕事から解放して欲しいよ。自営で自分のペースで仕事出来る立場なら別だけど…

僕の独断と偏見により、共感できるコメントだけを引用してみました。

ところで、僕の知人で、一発逆転でリタイアした男がいます。

月収は残業代込みで15万円男の逆襲

うーん、やっぱりアメリカ株なのかなあ。

金がないほど、腹が減る

非正規社員の僕の後輩の言葉です。

「金がないほど、腹が減るんすよ」という彼は、吉野家と松屋がキッチン替わりです。これに加わるのは、やよい軒で、ご飯はいつもおかわり三杯。

非正規社員の彼に限らず、低所得者層は、好んで炭水化物を食べます。手っ取り早く空腹を満たすには、炭水化物がもってこいなんでしょう。

そして彼らの多くが、なぜか、パチンコや競馬が好きだったりします。日頃のストレスを解消する意味もありますが、僕が思うには、射幸心ではないかと。

つまり、非正規社員で、収入も低いため、一発逆転を狙う気持ちが強いように思うのです。そして、いつも腹を空かせている。

これも僕は思うのですが、ある種の社会的飢餓感が、彼らをいつも空腹にしているのではないかと。その飢餓感が、過剰とも言える炭水化物の摂取に走らせているのではないかと思うのですね。

そして彼らの多くが、喫煙者です。タバコを吸い、カップラーメンやハンバーガーなどのジャンクフードを食べ、たまの贅沢がやよい軒でのおかわり三杯では、体に良いわけがありません。

もちろん、すべての非正規がそうだと言っているわけではありません。

中には、自炊を徹底し、健康に気を配っている人もいます。

ただ、僕が知っている非正規の人たちは、なぜか、喫煙者が多いです。それで、疲れているのか、カップ麺やコンビニ弁当で軽く食事を済ませ、野菜は驚くほど食べません。

何だかそれでは、負のスパイラルです。

ただね、相当なストレスを抱えていると思うんですよ。

人間も50を過ぎればあきらめもつくんですが、30代や40代では、まだ諦観には程遠いのかもしれません。あきらめたら楽になるよ、と教えてあげたいんですが、考えてみれば自分も、30代の前半まではもがき苦しんでいましたね。

まあ、「もがくときにはもがくがよかろう」ということかもしれません。

久しぶりの労働と現金収入でした

昨日は花火師のSさんと、つつじ祭りの花火の打ち上げをしました。まあ僕は、その手伝いということで、花火を上げたのはSさんで、僕はというと、それに付随する手伝いをしたのです。

すでに早朝から、Sさんの後輩のIさんも手伝いに来ていました。Iさんは、その後仕事があるため、そこで、僕がバトンタッチをしたわけです。

ありがたいことに、朝食と昼食付でした。朝食時は、少しですがビールとお酒もいただきました。

その後、坂道を上り、花火の打ち上げ場所へ。

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時間帯によっては、10連発もあるため、筒を横に並べてあります。

段取り表に従い、祭りの行事の仕切りごとに花火を打ち上げます。

それほど高い山ではありませんが、打ち上げ玉をその都度取りに行くため、何度も上り下りしました。これが、日ごろ運動不足の僕には、良い運動になりました。

晴天の下で、気持ちよく動き、さらには現金支給で、お金もいただけるというまことにありがたい一日でした。

この花火師の世界は、特殊な世界で、このビジネスに新規参入するのはかなり難しいと言えます。

たとえば、ラーメン屋であれば、誰でも始められますが(それでも資金と経験と勇気が必要です)、花火師は、明日からなろうと思ってもできるものではありません。きわめて、参入障壁が高い業界なのです。

また、地元の消防団や世話役へのあいさつ等もありますし、届け出書類の作成などもあります。ただ、花火を打ち上げていればよいというものではありません。昨日は同じ昼食の席に、県会議員なども来ていました。

昨年、Sさんと知り合ったおかげで、こうして花火師の世界を知り、また、いろいろな行事にも参加することができ、僕自身の視野も広がっています。さらにまた、Sさんの手伝いをすることで現金収入も得られることは、ありがたいことです。

晴れ渡った空に連発する花火は、祭りに来ていた人々にも好評でした。

祭りがワクワクするのも、そこには非日常の空間があるからなのかもしれません。

今井のこうじんさまとアウトレットパーク

5月1日は、今井のこうじんさまの日で、子供の頃は、これが楽しみでした。

朝から花火の音が、ドン、ドン、ドンとなるのを聞くと、それだけでわくわくしたものです。僕が小学生の頃のこうじんさまは、数々の屋台のほかに、見世物小屋が出ました。この見世物小屋が、異界の入り口のように感じてドキドキしたものです。

子供の小遣いでは少し高い入場料で、そこに入るには、綿菓子や団子や焼きリンゴなどを食べるのを、我慢しなければなりませんでした。

あれから40年以上が経ち、露店の数も少なくなっていました。金子のマミーマートに車を置き、歩いて今井まで行ったのですが、まだ9時台だったせいか、露天商は露店を組み立てている最中でした。

露天商、俗に言うテキヤですが、年寄りが多かったです。あとは、ヤンキー風の女性たち。

露店準備中の通りを抜け、一時は塩船観音まで歩くことも考えましたが、それはちと距離がありすぎると思い、目にした公園のベンチで一休み。

そこから川沿いに引き返して、途中でまた露天商の並ぶ通りへ。ちょうど、警察が、入口封鎖をしているところに出て、そこからまたのんびり露店を見ながら歩きました。

うーん、やっぱり子供の頃に見た露店よりも格段に少なく感じました。もちろん、見世物小屋もありません。

そのままマミーマートに戻り、駐車した分、何か買おうと、焼きそばやチョコレートなどを買い、父の墓参りをして、三井アウトレットパーク入間へ。

すごい人出で、人に酔いそうでした。まあ、ファッションの店というか、僕には縁のない店ばかり。

何しろ僕は、以前記事にも書きましたが、残りの人生、服は一切買わずに済みそうだというくらい、今ある衣類を着ていればことが足りると思っている人間です。

まあ、靴くらいは磨り減るから買うでしょうが、本当に、衣類って、いらないよね、っていう感じです。だってまだ、クローゼットに着きれないほどありますからねえ。

それですら、3度の引っ越しのたびにかなり処分しているんですが、決して着道楽でもないし、そんな僕なのに、それほど着るものがあるのは、やっぱり日本はモノがあふれすぎているんです。

しかし、アウトレットパークを歩く人たちは、見ているとみな買い物意欲が旺盛のようでした。まあ、たっぷり消費してください。

アウトレットパークが広すぎるのと、自分の消費欲のなさと、別の言い方をすれば体力のなさと、人酔いで疲れ果て、早々に退散したのですが、出口の渋滞はなかなかのもので、国道16号に出るまでに、かなりのタイムロス。

露天商とアウトレットって、すごいコントラストだと思いました。

僕は、風情があるだけ露天商のほうがいいかなあ。

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