介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2017年03月

そんなディープな場所とは知らずに

春風の心地よい3月29日と30日の二日間、母を連れ、長野に行ってきました。今回行ったのは、戸倉上山田温泉です。

すでにこの温泉地には、父が在世中に3回は来ていると思います。ただ宿に着いてしまうと、あまり外をぶらつくことはなかったのですが、今回は、夕方と夜の2回、温泉街を散策しました。

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街をぶらついて見つけた古い看板絵

歩いていて気づいたのは、やたらと飲み屋の看板(主にスナック)が多いことでした。町の規模としては多すぎます。また、廃墟も、ときおり目にしました。

看板だけで、夜はやっていないのかもしれないと思い、夕食後再び、繰り出したのですが、かなりの数のスナックが営業していました。

新世界通りやほろよい銀座などの通りが、ありました。歩いてすぐにおばさんに声を掛けられ、その後も、一人二人と声を掛けられました。

自動販売機で缶コーヒーを買い、公園のベンチで、一人飲んでいると、白い猫がやってきました。物陰に隠れ、こちらをうかがっています。猫をしばらく見ていましたが、目を離したすきに消えてしまい、また、歩きました。

次は、もう少し若い女性が声をかけてきて、店へと誘ってきました。こうした場合僕は、なんちゃってネイティブを繰り出します。つまり、外国人のフリをするのです。

これで、一人目の女性は、撃退。しかし、二人目の、女性は、食い下がってきました。店には英語も話せる子がいるとのこと。入口までついて行って帰ろうと思ったら、店から背の高い女性が出てきました。

確かに英語は話しましたが、あまり上手ではありません。二人とも韓国人でした。店の前で少し話し、立ち去りました。

そう長い時間歩いたわけではありませんが、声をかけてきた女性はおばちゃんも入れて計4人。何とも昭和な雰囲気でした。

家に帰ってから、ネットで調べてみると、戸倉上山田温泉のこの辺りは、それなりにディープな場所であることがわかりました。

翌日は、海野宿によって帰りました。

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車内から見た海野宿

母が足が悪くあまり歩けないため、車をゆっくり走らせて通り過ぎました。

3月上旬に銚子に行っているため、同じ月に、2回も旅行に行くのは、久しぶりのことでした。これは、母も僕も3月生まれて、伊東園ホテルを利用すると、一人、3000円引きになる特典を活用したかったという事情からです。

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一泊二食一人5000円ほどで、泊まれたのが良かったと思います。


ログハウス風の別荘にて

昨日は、花火師で投資家の友人Sさんの投資の師匠にあたるTさんの別荘に招かれ、楽しいひと時を過ごしました。

ひと時と言っても、11時過ぎから夕方の5時半くらいまでお邪魔していたので、かなり長い時間だったかもしれません。

しかし、僕にとっては、とても楽しい時間だったので、あっという間に過ぎた感じです。

ログハウス風の別荘は、暖炉もあり、僕にとっては、それだけで非日常的な空間でした。Tさんも、別荘というだけあって、いつもそこにいるわけではないようです。

昨日はちょうど寒かったので、暖炉の温かみが趣を添えていました。

Tさんが、朝から料理を準備してくれていて、Sさんと僕は手ぶらでお邪魔したわけですが、飲みながらいろいろな話をしました。

サラリーマンだけで長い時間を生きてしまうと、退職後の落差が大きいように思います。しかし、サラリーマンリタイア後は専業投資家として暮らしているTさんも、花火師と投資家を兼業しているSさんも、自分の力で稼ぐ力を持っています。

今後は、ますます組織には依存できない社会になっていくでしょう。

社畜、という言葉がありますが、社畜の裏側には安定という安心があるのかもしれません。社畜を脱し、自分一人の力量で生きていくとなると、すべてのリスクは自分が引き受けねばなりません。

Tさんも、投資において修羅場を乗り越えてきたようでした。だからこそ、今があるのでしょう。TさんやSさんから、いろいろと学ぶところの多い一日でした。


死んでも死にきれない

このお彼岸での、墓参りを機に、いろいろと考えることがありました。

母が死んだのは、僕が高校2年のときで、修学旅行から帰ってきた後でした。すでに病院に入院しており、重篤ではありました。

母が死んだのは、51歳。

一人息子を残して、死んで行くその気持ちを推し量ると、本当につらいものがあります。死んでも死にきれない、という心境だったでしょう。

僕はすでに、当時の母の年齢を超え、50代おひとり様として、生きていますが、子供がいないので、子供と死に別れるという体験は、そもそもできません。

僕は自分の人生に、まったく後悔というものはないので、幸せです。今は、静かに、心穏やかに生きていければ、それでじゅうぶんです。

今の母は、父の再婚相手ですが、この3月で、87になりました。その母は、まだ要介護にはなっていないので、今のうちに、できるだけ、旅行に連れて行きたいと思っています。

僕が16のときに、死んだ実母のことを考えることは、久しぶりでしたが、それが引き金となり、子供の頃のことをいろいろと思いだすようになりました。

そして、小学校の頃、みんなからいじめられていた子がいて、その子の気持ちなども考えるようになりました。どんな気持ちで、毎日学校に来ていたのだろう、と。

幸い、その子は自殺したりはしなかったので、良かったのですが、昔は今ほど人権が確立されていなかったので、教師も一緒になって、いじめていた部分もありました。

死んでも死にきれなかったであろう母のことを思いながら、今こうして生きている命を、大切にしたいと思っています。

墓参りの4日間

早期リタイア生活でなければ、墓参りだけで4日間も費やすことはないでしょう。正確に言えば、連続4日間墓参りをしたわけではありません。

事の起こりは19日で、昨年5月に亡くなった父の墓参りに行ったことに始まります。その際、僕が16歳のときに亡くなった生みの母親の実家の前をたまたま車で通り過ぎたときに、いとことその母親を目にしました。

そこは、ある商売をしていて、朝、店の準備をしていたのです。車を止めるだけの道幅もないため、そのまま通り過ぎたのですが、僕の胸中に、ふと、後日、生みの母の実家を訪ねてみようという思いが芽生えました。

その日は、そのまま父の墓参りを済ませ、唯一残っている父の兄弟である叔父の家に行き、父の実家の墓参りや、すでに亡くなっている兄弟姉妹の墓参りをしました。

翌20日は、一日中、昔のことを考えていました。そして昨日、21日に、僕は、生みの母の実家を訪ねました。三十数年ぶりのことで、前回訪ねたのは、祖父の葬式のときだったかと思います。それは僕が二十代のことで、本当にもうずいぶん昔のことになります。

そのため、訪ねて行くのはあまりにも久しぶりすぎて、勇気が要りました。そこで、ここでは書けない、いとこたちや叔父、叔母たちの、様々な人生模様を知ることになりました。この生みの母の実家の叔母は、母の弟の嫁さんで、母とは血のつながりはありません。

母は、5人兄弟姉妹で、4姉妹と、末っ子の長男という構成です。この末っ子の長男が本家で、その嫁さんに当たるこの叔母も、すでに80歳ですが、長男の店を手伝っているだけあって、頭はしっかりしています。

その叔母との話の中で、母の実の妹で、唯一健在の叔母が、僕のことを気にかけているということだったので、そこにも寄ってみることにしました。

そして、その流れの中で、今日、母の実の妹の叔母とその娘(僕から見るといとこ)、実家の叔母、と僕との4人で、僕の母の、実家をはじめとした、すでに他界した人たちの墓参りをしました。全部で5か所でした。

僕の母が亡くなったのは、母が51歳、僕が16歳。母は、当時としては晩婚でした。今、唯一生き残っている母の実の妹が、86歳です。母が生きていれば、92歳です。

この4日間は、一気に過去に引き戻され、叔母たちとの話の中で、子供の頃の記憶がよみがえり、タイムスリップしたような気持でした。

昨日も今日も平日で、仕事をしていたら、こうしたことはできない相談です。今日は僕が車を出し、5か所を周り、昔のことを思いだし、皆で話し合ったことは、死んだ者たちの霊が導いたのではないか、と思ったのは僕だけではないようでした。

普段は、亡くなった人たちのことをあまり考えることはなくても、お彼岸やお盆になると、あの世の人たちのことに思いが向けられます。今日は天気も良く、すでに亡くなった人たちみんなが喜んでいるように感じました。

そんなに長く働かせないでください

65〜74歳は「准高齢者」と区分するよう日本老齢学会などが提言しました。日経新聞の記事では、これまで年金制度などの社会保障で「支えられてきた」年代を見直す、つまり65歳から74歳が「支えられる側」から「支える側」へ回る社会保障制度の抜本的な見直しへの布石ではないかと示唆されています。

上記は、「74歳までは働き続けるのが当たり前の社会へ」という記事からの引用ですが、さらに以下のようなことも言っています。

このような社会になれば、従来「高齢者」になる65歳までは再雇用で働き、その後はリタイアライフをエンジョイする、というコンセンサスがあったものを、今後は74歳まではしっかり働き、引退後、10年前後は引退生活楽しむ、というライフサイクルが一般的、という方向に変わってくるのではないかと思われます。また、支える人が増えることにより年金制度崩壊の危機を回避することもできるという、実は現在の日本において最重要かつ喫緊の課題も解決されることになります。

まあ、言っていることはわかります。

定年延長の話が出ると必ず「これ以上まだ働けというのか」という怨嗟の声が上がります。実際、大学を卒業してから60歳まで40年近くにわたり、満員電車の「痛勤」に耐え、「家族のため」「会社のため」と身を粉にして働いてきた方々からすれば、無事に定年を迎えたのにまた15年も同じ生活を繰り返さなければならないのかと絶望的な気持ちになることでしょう。

まあ、筆者も、絶望的な気持ちになることはわかっているようです。会社勤めが好きな人はいいでしょうが(まあ、ほとんどいないとは思いますが)、そりゃあ、絶望的になりますよ。これはつまり、ゴールを先延ばしされるということですからね。
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僕はすでに介護リタイアしている身なので、もはや社畜生活に戻ることはないのですが、多くの終身雇用を前提として、ライフプランを考えている人にとっては、面白くもない会社員生活は、言ってみれば、マラソンのようなものでしょう。

60歳定年というゴールと、その報奨金である退職金を目指して、歯を食いしばって走っているわけです。しかし、そのゴールが、先に持っていかれるわけですから、これは大半の人にとっては、まだ走らされるのか、と思うのではないでしょうか。

さらに記事では、以下のように結論付けています。

起業、転職ともに、第二の仕事人生を始めるならばできるだけ早く、できれば40代後半には具体的な準備に着手し、50代半ばまでには実現したほうがよいと私は思います。人生100年時代を迎え、仕事人生も40年弱から60年近くに延びようとしている現在だからこそ、自分のキャリアプランを、これまでとは違う方向から考え直すときに来ているのではないでしょうか。

つまり、社畜生活で疲れ切っている人に、さらに、第二の仕事人生の提案をしているわけです。まあ、この記事の作者に悪意があるわけではありませんが、どうも、仕事と人生を一つのものと考えているようです。

まあ10年から20年程度の社畜生活は、経済基盤を固めるまでという目標を持っているのなら、ぎりぎり耐えられる長さでしょう。耐えながら貯蓄と投資に励み、できれば40歳前後で、社畜生活をおさらばして、質素に暮らすほうが人間的です。

貯蓄体質の人は、節約生活は苦になりませんから、その後のリタイア生活も、苦にはならないはずです。たっぷりの時間を使い、図書館などの公共施設を使い倒して、マイペースで生きていけば、病気になる確率も下がります。

社畜生活の息苦しさに比べれば、節約生活などは楽勝です。

銚子で風邪をひき、調子悪し

2月末に開通した圏央道を利用して、母を連れ、銚子に行ってきました。

3月8日9日と、一泊で、ぎょうけい館に泊まりました。

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宿に着く前に寄った、犬吠埼灯台です。

深夜に、母が部屋の窓を開けたらしく、そのまま、閉めることができず、障子だけを閉めて、そのままにしていたため、僕のほうは寝ている間に寒風を受け、翌日、体が熱っぽくなってしまいました。

押し出し式の、母にしてみれば使い勝手のわからない窓だったらしく、深夜に星を見ようとして開けたらしいのですが、閉めることができず、そのままにしたとのことでした。

翌日は、宿を出ると、銚子ポートタワーに行きました。

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銚子ポートタワーから撮った写真です。

その後、香取神社に寄ったのですが、母は長く歩けないので、僕一人で参拝しました。

体調が良ければ、牛久大仏にも行く予定でしたが、昼食を食べてから、体が熱っぽく、早めに帰宅しました。

その日は早めに休み、翌金曜日は、1日中寝ていました。土曜日も寝込み、そのまま今日もあまり動けずにいました。

会社に行かなくてよいのが、助かりました。

余裕のあるリタイアではありませんが、小さな喜びを積み上げて行けたらなと、思っています。

神社に猫2匹

神社をはじめとするパワースポットは、非日常の入り口です。

日々の暮らしに疲れたら、ちょっと視点をずらしましょう。

東京の疲れたサラリーマンやOLさんが、屋久島に行ったりします。癒されたいのです。まあ、屋久島に行くには、時間もお金もそれなりにかかりますから、いちばん手頃に行けるのは、神社です。

神社はどの町にも村にもあるので、ありがたい話です。僕も、わが町の神社に行ってきました。猫が2匹いました。
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こちらが、最初に出会った猫です。気持ちよさそうに寝ています。

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こちらが、次に出会った猫です。あまりにも木の幹と溶け込んでいるため、すぐには気づきませんでした。

猫は、マイペースで生きていますね。僕も、そうありたいものです。

貯金はないが、不安もない

貯金はないと言っても、少しはありますよ。しかしですね。それ以上に住宅ローンがあるので、実質貯金はゼロと言っても過言ではないかと思います。

仕事をしていて、退職金で住宅ローンを完済できる人は、貯金があまりなくても、大丈夫かとは思います。

しかし、僕の場合は、介護離職ですから、すでに多いとは言えない退職金はもらっており、今後、退職金なるもの、つまりまとまったお金が入る予定はありません。

にもかかわらず、意外と、老後に対する不安はありません。一つには、長年カルト宗教に搾取されていたので、お金がないのが当たり前になっていたのですね。

清水富美加さんが有名にした幸福の科学に、17年半、使った金額は1500万。お布施、研修、祈願で休む間もなく活動し、今から5年前に、退会。まあ、馬鹿の見本のような人生です。

しかし、そのお陰でか、楽天的です。大体マスコミも、老後不安を煽り過ぎなんです。

老後ですが、健康であれば、そんなにお金はかかりませんよ。むしろ、若い世代にお金を回すべきです。年寄りが貯め込んでいるから、経済が回らないんです。

中には金のない年寄りもいますが、金を持ちすぎている年寄りがいるのも事実です。あの世にまで、お金は持っていけません。

僕はイギリスで暮らしていたことがあるから、わかるのですが、日本人は老後を心配し過ぎです。お隣の国、韓国の老人の悲惨さに比べたら、日本の年寄りは幸せです。

韓国にも何度が行っていますが、深夜までモノを売っている年寄りをよく見かけました。年寄りの自殺率が高いのも韓国です。それでも、韓国のお年寄りは、たくましく生きています。

日本は、韓国に比べれば、年金制度は恵まれています。いや、イギリスと比べても、恵まれています。だから、不安に感じる必要なんかないんです。

不安を煽る記事を書けば売れるからマスコミはそうした記事を書いているだけなんです。実際は、不安などないんです。ホームレスが糖尿病になるほど豊かな日本なんです。

ただ、子供の貧困は、何とかしなくてはいけません。しかし、それも、相対的貧困であって、世界を見渡した時に散見できる絶対的貧困ではありません。

子供は、助けなければいけません。自分で稼げない以上は、保護が必要です。それ以外の貧困は、自己責任です。自分のケツは自分で拭く、自主独立の気概がなければいけません。

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