介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

2017年01月

ローコスト生活の利点

今は母との二人暮らしなので、月10万円以上の生活費を使っていますが、いずれ一人暮らしになることを考えて、生活の簡素化を模索しています。

人間も動物の一種と考えれば、必要なものはねぐらと食料です。ねぐらとは、つまり、住むところ、住宅ですね。

動物の番組を見ていると、まずは巣を大切にします。あるいは、縄張りですね。あとは、食料の確保です。食をめぐって、争ったりしている映像をよく見たりします。

人間も、領土を争ったり、利益を争ったり、動物ほど単純ではありませんが、なんだかやっていることは似ています。

以前にも少し書きましたが、もう50代なので、今更身体的成長はなく、今持っている衣類で、残りの人生を過ごせます。ということは、衣料品代が限りなくゼロということになります。

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動物のねぐらに当たるところの住宅については、現在住宅ローンを返済中なので、これだけがわずかながら僕の人生の負荷となっています。しかしまあ、そこそこの一戸建てで、これをもし賃貸で借りるとすれば、田舎であれば、5万円、都内であれば、10万円以上はかかるでしょう。

賃貸には、ゴールがありませんが、住宅ローンは返済が終わる時がきます。返済さえ終わってしまえば、賃料はかかりません。あとは固定資産税と浄化槽の清掃と管理と検査費用ぐらいです。

さいわい、長らくホテルの設備管理の仕事をしていたため、建物の維持管理については、素人ではありません。これは、今後の武器になります。

住むところの心配さえなくなれば、あとは、食べることだけです。動物の基本ですね。もちろん、健康であることが前提です。

僕の浅はかな知識の中の話ですが、ストレスなくのんびり生活できれば、そう簡単に病気になることはないように思います。油断はいけませんが、穏やかな心で、規則正しい質素な生活をしていれば、健康生活はそう難しくはないと思っています。

つまり、なまじお金があって欲にまみれた生活を送るよりも、質実剛健なローコスト生活のほうが、より大きな視点から見ると、利があるのではないか、と思うのです。この利は理でもあります。

お金は必要なだけあればよい。あまり深追いすると、むしろ危険です。

まして、人生の晩年を迎えようとしている今は、いろいろなしがらみや欲望から離れなければならないという思いがあります。執着があると、死ぬときに苦しむでしょう。

いい人生だったと思えるためにも、持ち物はほどほどでいいし、所有するお金もほどほどでいいのです。


冬枯れ

冬枯れの風景は、若い頃から割と好きでした。最初に行った外国がイギリスだったのも、冬枯れの風景が導いたとも言えます。

北イングランドのハワースは、「嵐が丘」の舞台です。高校時代に読んだエミリー・ブロンテの小説が、未だに自分の中ではベストワンで、まあ僕自身、そう多く小説を読むわけではありませんが、あれを超えるものには出会っていません。

荒涼とした北イングランドの原野。それは、やはり晩秋か冬に行かなければ、見ることはできないのかもしれません。

僕が行ったのは夏だったので、荒涼とした原野の気配はあるものの、ヘザーという花が咲いていたので、冬枯れとは程遠いものでした。もう25年も前の話です。

つまり、イギリスには25年も行っていないのですが、ここ、日本で、僕は冬枯れの風景を楽しんでいます。

今日は曇天。雲を透かして、太陽が少し見えることもありますが、寒々とした風景です。

僕の家の2階からは、原野ではありませんが空き地が見え、木々なども見えます。その風景を眺めながら物思いにふけるだけで、静かに時間が流れていきます。

遠くに行かなくても、ここに幸せがあります。

豆腐工場労働で4500円を稼ぐも作業着代を引かれる

昨日23日から、豆腐工場での労働が始まりました。6時間働いて、時給750円なので、4500円の収入でした。ただし、ここから、長靴代帽子代作業着代などを引かれるとのことで、その分は給料から天引きだそうです。

仕事ですが、覚悟していたので、何とか一日働くことができました。

商品を入れる箱の清掃、出来上がった豆腐を冷たい水の中から出してそろえる作業、油揚げやがんもどきを油で揚げる作業などをしました。

お弁当は自分で作った握り飯が二つ。添え物は、卵焼きとたくあん。このたくあんは、川越の河村屋で買ったものです。かんたろうというたくあんです。この時期しか買えません。高いですが、僕はスーパーで売っている甘いたくあんは嫌いなので、この時期は、河村屋のたくあんを食べることにしています。

昼休みの時間は自由らしく、早めに切り上げて工場に戻れば、その時間から労働時間としてカウントされるとのことでした。僕は、およそ30分で切り上げて、工場に戻りました。

仕事は、15時半ごろには終わってしまいました。その日に作る分が終わると作業は終わりになるとのことでした。

昼休みを30分にしていたおかげで、6時間は働けました。

つらかったのは、揚げ物をしているときに、腰が痛かったことです。まあそれも、いずれ慣れるかと思います。

働いた後は気分が良く、家に帰って入浴した後の発泡酒の味は最近一番の味でした。

パート労働ですが、給料振り込みに、飯能信用金庫であれば、手数料がかからないというので、今日、飯能信用金庫で口座を作りました。振込手数料が200円以上取られるのは嫌ですからね。

飯能信用金庫に1000円を預けました。今後はここに、パート労働の報酬が振り込まれます。

今日は、口座開設後、友人と隣町の図書館で待ち合わせをし、遊歩道を散策しました。僕の住んでいる町も、隣町も、本当に静かでいい街です。散歩する場所にも事欠きません。山も近くにあり、小さめですが、湖もあります。

埼玉はよく神奈川や千葉と比較されてバカにされたりもしますが、神奈川も千葉もいいところですが、埼玉も、海こそないけれどいいところです。

今日は北風が冷たく、青空が綺麗でした。

20年間の不規則睡眠からの解放

20年、正確には20年と4か月ほどですが、24時間勤務をしていたため、勤務日の睡眠時間は、3,4時間ほどと、短いものでした。

ビル管理会社に9年4か月いて、2つの現場を経験しましたが、いずれも24時間勤務、そして、40代で一度退職し、1年ほどの充電期間の後、ビジネスホテルに入社。そして、そこも、24時間勤務でした。

そのため、足掛け20年余り、24時間勤務で、休みは多いものの、短時間睡眠が体に染みついてしまい、休みの日でも小刻みに起きることがよくありました。

介護離職で、早期リタイアしてからは、たっぷりと眠れるようになり、それでも、長年の習性から、4時間くらいで起きてしまうことは多々ありましたが、次第に6時間、7時間と、連続して眠れるようになりました。

そして、今では、普通に、7,8時間、多いときは9時間も、連続して眠れるようになりました。

この一年は、睡眠のリハビリをしていたようなものです。

そして、来週月曜日から、週二回、豆腐工場で働くのですが、日勤なので、この睡眠のリズムが崩れることはないでしょう。

睡眠は、とても大切です。健康の源です。

食欲と睡眠欲が満たされれば、幸福の過半数は、成就したようなものでしょう。

時給750円からの再出発

介護離職で、リタイア生活に入ったのが去年の1月。有休を消化する形で、書類上は2月に介護離職となったわけですが、実際は、1月末に会社を辞めたわけです。

そして、はや1年。失業給付金は疾うになくなり、働かなければならない状況です。

起業し、働いてはいるのですが、利益が出るのはまだ1年も先の話なので、現金収入を、得る必要があります。

昨日は、上福岡のステーキ宮で、友人と会って話をしました。彼から、インドネシアのお土産の絵をもらったのですが、食事の支払いは割り勘にしてもらいました。

本来ならば、高価な絵をもらったのですから、食事代くらいは僕が払いたかったのですが、手持ちの現金が少ないために割り勘にしてもらったのですね。

まあ、そのお礼にもなりませんが、少し投資の話をしました。

その後川越に行き、餃子の王将で無料餃子をゲット。これは、新聞に、毎月2回は王将の広告が出るのですが、その片隅に餃子無料券があるのですね。毎月2回、王将餃子を無料でもらえるわけです。

ただ、王将があるのが、一番近くて川越なので、そこがネックですね。日高屋とか餃子の満州は、比較的近くにあるのですが、王将には頑張って、もっと出店してもらいたいところです。

さて、その後、豆腐屋に行き、2度目の面接。

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そこで、今月23日から、週に2日、働くことになりました。時給は750円。これは、最初の100時間までで、その後は845円になります。

トラックの運転の仕事は、やめることにしました。何と言っても、母の気持ちを優先しなければなりません。高齢なので、心配をかけるだけでストレスになります。僕と境遇の似ているOさんに、もう会えないのは寂しい気持ちもありますが、仕方がありません。

豆腐工場で、時給750円で昼休みを挟んで、6時間働きます。そこの社長が言うには、忙しいときには残業もあるとのことでした。

時給750円として、6時間ですから、日給は4500円ですね。

「お金がない」と言いながら

「お金がない」と言いながら、Oさんは、僕には理解不能の支出をしていました。

まず、びっくりしたのが、電気代です。老いた母親との二人暮らしなのに、月2万円はかかると言っていました。僕も、母との二人暮らしですが、電気代が多くかかった月でも、1万円どまりです。たいがいは、数千円で済みます。

「それはかかりすぎですね」と僕は言いました。5人家族ならそのくらいかかっても理解できますが、どう使えば、2万円も電気代がかかるのか。

それだけではありません。石油ストーブなどの灯油代に1万円はかかるとも言っていました。

僕は家を新築した際に、そのときはまだ24時間勤務で家を長い時間離れなければならないこともあり、暖房はすべて電気と決めました。だから我が家は灯油代はゼロです。

僕もOさんも、雪国に住んでいるわけではありません。ともに埼玉県民です。秩父や三峰山のほうに行けば、寒さも変わってくるでしょうが、それでも、雪もあまり降らない恵まれた土地です。

聞けば、2万円の電気代の多くを占めるのは、暖房費ではないかと言っていました。電気代と灯油代で、すでに3万円の支出です。

年寄りは、一般的に寒がりですから、昼間家にいる母親が、ずっと暖房をつけているのでしょう。そのエアコンが古ければ、電気を食うことは想像できます。

あまり根掘り葉掘り聞くのもどうかと思い、食費やその他については聞きませんでした。電気代に無頓着なOさんのことですから、食費などもかなりかかっているのだと推測できます。

ただ、市営団地ということで、家賃は年収に応じて違うということは言っていました。

余計なお世話かと思い、黙ってはいましたが、Oさんの場合、煙草代も大きいと思いました。副流煙を浴びながら、僕は肺の痛みに耐えていました。狭いトラックの室内に充満する煙がOさんの人生を蝕んでいるように思いました。

煙草がいくら値上がりしてもやめる気はない、と言っていました。そして言い訳のように、その代わり酒は飲まないのだと言いました。

僕は焼酎派で、鹿児島の芋焼酎を飲んでいますが、家で飲む限りは、一か月3000円もあれば十分です。タバコなどよりも、間違いなく健康にいいはずです。焼酎は、糖質ゼロですからね。

たまに、発泡酒も飲みますが、安い酒屋で24缶セット買いすれば、税込みでも一缶当たり90円台でゲットできます。

「お金がない」を口癖にしている人は、本当にお金がない生活を送ります。これはほぼ間違いがなく、人は言葉に左右されるからです。

お金がないと愚痴をこぼす代わりに、家計を見直すべきです。自力でできることに、まずベストを尽くす。それが先決です。

実は今日、14日も、会社から電話があり、夕方から来れないかと言われましたが、夕方からだと帰りは深夜になるので、母の介助のことを考え、断りました。

僕の母は、できれば運転の仕事はしてほしくないようです。僕自身も、電話がかかってきて必要なときだけ駆り出される仕事では、気持ちが安定しません。

今、もう一つ別の会社の面接を受けています。そちらは結果待ちですが、地道な工場労働です。母の介助を考えると、そちらのほうに、気持ちが傾いています。

今は、介助で済んでいますが、今後さらに年を取っていくと、介護になるかもしれません。先はわかりませんが、少なくとも、介助や介護と両立できる仕事でなければなりません。

あとは、節約の腕を磨き、やりくり上手になることですね。今日はライフがポイント5倍なので、そちらに行きます。ライフ、ベルグ、マミーマートが、今、利用しているスーパーです。

重い介護負担と兄弟からのサポートがないという追い打ち

「23年間介護、59歳、貧困」の続きになりますが、Oさんの問題点は、兄弟が4人(Oさんは次男)いるにもかかわらず、全く協力が得られないことでした。

ただ、僕が素朴な疑問として思ったことは、おそらく他の兄弟にもそれ相応の言い分があるだろうということでした。親の介護を全くせず、経済的なサポートもしないということは、かなり異常です。

たった一日、トラックに乗り合わせて、話しただけなので、あまりその辺のことを深く訊くこともできず、ただ、Oさんがはっきりと明言したことは、4人兄弟が全て、バラバラで仲が悪いということでした。

兄弟が多ければ、たとえば、一人ぐらいは気の合う者がいるような気がして、その辺も訊いたのですが、みんなバラバラでお互いに仲が悪く、父親の葬儀に来たのは二人の弟のうちの一人だとかで、長男ともう一人の弟は葬儀にも来なかったそうです。

成り行きでOさんだけが介護することになったのかもしれませんが、一人で、親の介護を負担した23年間は、想像するだけで大変だったのだろうということはわかります。

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僕の場合は、介護離職後4か月の介護で、父が老衰で亡くなったため、ほとんど介護を負担に感じたことはありませんでした。

だから、僕とOさんとを安易に比較することはできません。

兄弟がいても、協力を得られないのならば、むしろ一人っ子介護のほうが、感情の縺れがないだけましでしょう。人を恨むことは、それがまして身内であったならば余計に、心理的ストレスは大きいものになると思います。

「重い介護負担と兄弟からサポートがないという追い打ち」が、Oさんを追い詰めていったのだと思います。

兄弟や社会への不満を口にしていたOさんですが、唯一救いを感じたのはその表情が、あまり険しいものではなく、飄々としていたところです。

おそらく、度重なる失望が、Oさんを諦観へと導いたのかもしれません。諦観が良いほうに展開すれば、仏教的な悟りへとつながるのですが、そこに至るまでには、Oさんの場合、かなりの乖離があると思いました。

介護についての兄弟への恨み、そして、医者や病院、市役所など、社会に対する恨みを口にしていたOさんですが、もう一つ僕が気になったのは、金銭管理の拙さでした。

お金がないと言いながら、僕には理解不能の支出をしていたのです。

長くなったので、Oさんの金銭管理については、また改めて、書いてみます。


23年間介護、59歳、貧困

7日に、トラックでの配送のアルバイトに行ってきました。助手席に乗り、ルート配送の手伝いをしたのですが、運転手は、Oさんと言い、僕と同じ50代で独身。

さらに共通していたのは、父親の介護の経験があることでした。しかし、Oさんの介護は、23年と長く、壮絶なものだったようです。

境遇が似ていることから、僕に親近感を持ったらしく、初対面にして、人間関係は問題なく進展しました。

ただ一つ、つらかったのは、彼が車内でタバコを吸ったときです。狭い空間にたばこの煙が充満し、たちまち僕の肺は副流煙の侵入を受けて、痛みを感じました。

窓をあからさまに開け放つのも嫌味かもしれないと思い、我慢しました。僕自身も以前はタバコを吸っていたため、多少の煙は大丈夫ですが、トラックの室内は狭いため煙の濃度は半端ではありません。

12時半から始まった仕事を終えたのは19時半でした。

所沢、春日部、岩槻を周りました。仕事自体は難しいものではありません。トラックは4トンで、後ろが見えにくいため、バックをするときには注意が必要です。

Oさんは市営団地に住んでおり、今は母親と二人暮らしだそうです。

住まいの状況は違いますが、母親との二人暮らしという点でも共通点があります。

ただ一つ、大きな違いがありました。

それは、彼が極めて悲観的な人間だということでした。会話の端々で、それを感じました。

僕は、どちらかと言うと、楽観的な人間です。

Oさんは、医者を恨み、兄弟を恨み、住まいを提供している市を恨んでいました。彼がそれらを話すときは、僕は同意するでもなく、聞き役に回っていました。

病院に対する評価も僕とは正反対で、彼の父も僕の父も、同じ病院に入院していたことが分かったのですが、彼は「あんなひどい病院はない」と言っていました。

僕は、病院には感謝しかありません。医者も看護師も、みなよくやってくれていました。

同じ病院に対して、これほど評価が分かれるのはびっくりしましたが、彼があまりに病院をけなすので、僕は褒めるわけにもいかず、黙っていました。

彼は男ばかりの4人兄弟の次男で、長男はじめ、他の二人の弟も、一切、介護に協力してくれなかったとぼやいていました。お金も一切出してくれなかったそうです。

親と同居している彼だけが、介護の負担を負ったそうです。

彼は、老朽化した市営団地に老いた母と住み、その暮らしぶりの悲惨さを訴えていましたが、確かに、彼からは、貧困にあえぐ人の雰囲気を感じました。

23年間の介護の末、今は市営団地に母親と二人暮らし、59歳、独身、貧困。それが、Oさんでした。

長くなったので、Oさんについては、また改めて、書いてみたいと思います。

体よく断られたと思っていた会社から電話が

今日、高坂に母の気功整体の送迎をした帰りに、餃子の満州で、遅い昼食を食べていたときのことです。

iPhoneに着信が。うん?あてにしていなかった、年末に面接を受けた会社からでした。

トラックでの配送の仕事なのですが、僕が希望していた曜日はもう埋まっていたとのことで期待はしていなかったのです。

ところが、明日来れないか、との打診。

まあとりあえず、明日昼からの勤務に行ってみることにしました。

僕の希望は、週1日の仕事なのですが、毎週はないかもしれない、とのことでした。

外で働かなくなって早1年。緩やかな社会復帰には、いいかもしれません。週1日くらい働くことは、精神衛生上もいいし、もちろん、わずかでも現金収入があることはありがたいですからね。

仕事も昼からなので、朝早く起きるプレッシャーもありません。

とりあえず、明日、仕事をしてきます。

新年早々暗い話ですいません

介護離職をして、もうすぐ1年になります。介護離職するまで働いていた会社はビジネスホテルで、ローテイション勤務でしたから、元旦から仕事などということもありました。

そのため、通常の会社勤めのように、年末年始の休暇というものはなく、お正月気分を感じることは少ない環境でした。今は、介護離職しているため、さらに、そうした気分から遠くなり、淡々と日常が過ぎていきます。

年末、二つの会社に職を求めましたが、結果から言うと、仕事には結び付きませんでした。一つは面接で、体よく断られ、もう一つは電話した時点でアウトでした。

友人の花火師で投資家のSさんからも、仕事の紹介をもらいましたが、日程が合わず、その話もお断りしました。

僕の場合、母の介助が優先となります。要介護度5だった父に比べれば、介護というほどの世話は必要ありませんが、介助は必要です。そのため、週に1日、多くても週に二日の仕事がいっぱいいっぱいです。

母と話し合い、介助を優先することになりました。お金は何とかなる、という根拠のない自信が母にはあります。まあ、その点は僕も同じです。

ネットを見ていたら、とても気になる記事を目にしました。

 1日午後10時25分ごろ、東京都港区新橋の路上で、風俗店案内所従業員の男性(54)が、2人組の男とトラブルになり、胸ぐらをつかまれた後に意識を失い、搬送先の病院で死亡した事件で、警視庁は2日、愛宕署に自首してきた2人のうち江東区に住む会社員の男(31)を暴行容疑で逮捕した。 同署によると、2人は案内所近くのゴミ箱を蹴ったと男性に注意され、トラブルになった。男性は心臓に持病があったといい、同署は詳しい死因を調べている。(ニュース記事より)

死んだ男性は気の毒としか言いようがありませんが、僕が同情したのは殺したとされる31歳の会社員男性です。ことの詳細はわかりませんが、胸ぐらをつかんだだけだとしたら、そのくらいのことはよくとは言いませんが、あります。

僕も結構短気なほうで、電車の中で喧嘩したこともあります。まあ、傷害事件にはなりませんでしたが、そうした危険はありました。

新橋は、サラリーマンの街です。飲み屋もたくさんあります。酒を飲み、ごみ箱を蹴るくらいのことはあります。そこで注意され、反射的に胸ぐらをつかむこともあり得ます。胸ぐらをつかんだ相手が、心臓病であったために、ショック死したのだとしたら、不謹慎かもしれませんが、僕は、逮捕された31歳の会社員のほうに同情します。

そうとうな暴行を受けてもしぶとく死なない人間もいれば、ちょっとしたことで簡単に死んでしまう人間もいます。ウサギなどは絶えずびくびくしているため、大声を聴いただけでショック死することもあると聞いたこともあります。

僕は、そうびくびくしている人間ではありませんが、加齢とともに、いろいろな免疫が落ちているのか、悲惨な話のドラマや映画は、ストレスを感じて見ることができません。

たとえ胸ぐらをつかんだだけだとしても、暴行には違いありません。それで相手が死んでしまったのですから、暴行致死ということになります。

人生とはなんと不条理なのでしょう。殺したほうの31歳も不運でしたが、殺されたほうの54歳も不運でした。

年齢的には、僕は殺されたほうの方に近いのですが、どうしても31歳のほうに同情してしまうのですね。酒を飲んで小競り合いなんて、たいていの男が経験しているでしょう。詳細がわからずここまで言及していいのかわかりませんが、31歳のほうに、奥さんやまだ小さい子供でもいたら、さらに悲しみは広がります。

これを他山の石とせず、誰にでも目も前に不条理が転がっていることを肝に銘じるべきだと思いました。

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