介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2016年12月

住宅ローンを支払いつつの教育資金と老後資金はきつい

「41歳、3900万円の住宅ローンを組み完済は76歳です」という記事を読みました。

相談内容は、「 昨年、子どもが生まれ手狭になり、マンションを購入しました。夫婦とも40代のため、教育費や老後資金が不安です」というものでした。

夫婦は共働きで、手取りで51万円の収入があります。住宅ローンの内訳は、 物件価格4450万円、諸費用200万円、頭金750万円、フラット35/35年返済、毎月の支払額13万円、ボーナス併用はなし、というものです。以下が生活費と貯蓄の内訳です。

「しばふ」さんの家計収支データ
これに対し、業界歴26年目のベテランFPがアドバイスをしています。以下が、そのアドバイスの一部です。

「ポイントは、完済時期がご主人76歳という点。少なくとも65歳までに短縮したいところです。ご夫婦ともに何歳まで働かれるかはわかりませんが、仮に65歳までとすれば、それ以降の収入は公的年金だけとなります。2人とも厚生年金加入ですから、このまま定年まで会社員を継続できれば、それなりの額の老齢年金(夫婦合算で額面25万~30万円)を手にしますが、それでも、その後12年間毎月13万円のローン負担は決して軽くはありません。」

このアドバイスにもあるように、現役時代であれば何とかなっていた生活も、定年後の毎月13万円のローン負担は厳しいものがあります。

実は僕も、マンションを購入したのが40歳のときで、完済は75歳でした。繰り上げ返済を2度しましたが、それでも厳しいと感じていました。

父の介護で、マンションは売却し、実家を建て直しましたが、一戸建ての今のローンのほうが、マンションのときよりも安く、金利も有利です。それでも、完済は、69歳なので、年金受給の65歳までには、支払いを終えるために、繰り上げ返済はしなければならないと思っています。

上記の相談者は、なまじ高給を得ているがゆえに、脇の甘い生活になってしまったのかもしれません。

無論、独身者と、子供のいる世帯を同じ土俵で比べることはできません。ただ、41歳で、3900万円の住宅ローンを組み完済は76歳というのは、あまりにも無謀です。

株は怖い、投資は怖いという人がいますが、無謀な住宅ローンのほうがよっぽど怖いと、僕は思っています。

年金のありがたさが身に沁みます

今、我が家の収入は約15万円。

内訳は、2か月に一度支給される母の年金が、約10万円。同じく2か月に一度支給される遺族年金が約20万円。つまり、2か月に一度、10万円と20万円が、同時に支給されるわけです。計30万円。

この30万円で、2か月を過ごします。1か月の手取りは約15万円。

母と二人の暮らしであれば、十分な金額です。

若い人の、非正規社員が、一か月汗水たらして働いた手取り額にも匹敵します。これは、まことにありがたいことです。若い人たちだけでなく、毎日頑張って働いてくれている人たちに感謝しなければいけません。

この、母自身の年金と、父が死んだ後の遺族年金の計15万円の現金は、我が家最大のキャッシュフローです。このキャッシュフローが生命線です。

母の死後は、当然そうした収入はゼロになりますから、生活を組み立て直す必要があります。

僕一人であれば、一気に節約生活に突入します。一か月6万円もあれば、一人暮らしは可能です。

問題は、住宅ローンだけです。この支払からは逃れられません。

一人になったときは、労働時間を大幅に増やし、正社員は無理でも、パートでもいいので、長く働けば、何とかなるでしょう。

同時に、自分が今やっているビジネスも、軌道に乗せていけば、男一人、何とか生きていけると思っています。

さらに、投資の力も少しずつ向上させていけば、配当収入も見込めます。

先日の面接は、不首尾に終わりました。

しかし、仕事自体は、求人広告などを見る限り、かなりあるように思います。

質素に生きて、穏やかに暮らせれば、それで良いのです。


現金収入を求めて面接に行ってきます

今年2月の介護離職以来、給与収入は途絶え、両親の年金が収入の柱でした。

介護離職後、父が5月に亡くなり、それ以降の収入の柱は、母の遺族年金です。月15万円ほどはいただけるので、二人で生活する分には、問題はありません。

しかし、家のローンは僕が払っており、もはや手持ちの現金も底をつき始めたので、アルバイトを探していました。

介護離職でも自己都合なので、失業手当の支給は4か月のみ。理由が介護離職なので、待期期間なしにすぐにもらえましたが、もらう総額は変わりません。

その失業手当と、退職金をうまく使いながら、何とかここまでやってきました。退職金については、以下の記事で公開しています。

退職金を公開します

多いとは言えない退職金の中から、80万円もの大金を、自己投資のため、セミナー代に使ってしまったため、その残りの金額が、住宅ローン費用として、当てられました。

しかし、その現金(失業給付金と退職金)も残り少なくなってきたため、アルバイトを探していました。

僕が今取り組んでいるビジネスは、利益が出るのは一年ほど先になります。その利益も、確定したものではないため、当座の生活費は稼がなければなりません。

今日、午後、面接に行ってきます。

要介護度5だった父が亡くなり、介護負担は大幅に減りはしましたが、母も介助が必要なため、フルタイムでの仕事はできません。

また、自分のビジネスを中心に考えているため、もとよりフルタイムで働く気はありません。

そこで、パートタイムのアルバイトを探していました。

もう年末なので、働けるとしても来年からになるでしょうね。

世界でいちばん熱い夏

今日は後輩と、カラオケに行ってきました。

シダックスではありません。シダックスと言えば、2年前に株を買おうか迷った銘柄です。まあ、株主優待に色気を感じたからでしたが。

今日歌ったのは、上田知華の「パープルモンスーン」、尾崎亜美の「春の予感」、宇多田ヒカルの「ファーストラブ」misiaの「everything」、中島美嘉の「雪の華」、松田聖子の「蒼いフォトグラフ 」と、ここまで女性シンガーばかりだったので、RCサクセションの「トランジスタラジオ」、山崎まさよしの「明日の風」、もんた&ブラザーズの「KOBE」、上田正樹の「悲しい色やね」も歌いましたよ。

ちなみに後輩はと言えば、L'Arc~en~Cielばかり歌っていました。

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世代違いの僕は、定番のサザンの「涙のキッス」とビギンの「島人ぬ宝」、大沢誉志幸 の「そして僕は、途方に暮れる」、大瀧詠一の「雨のウェンズデイ」、五十嵐浩晃の「ペガサスの朝」、徳永英明の「壊れかけのRadio」も歌いました。
 
でもやっぱり、とどめは、プリンセスプリンセスの「世界でいちばん熱い夏」でしょ。この曲は、冬に歌うと最高です。


57歳のキャンパスライフ

僕は57歳です。昭和34年生まれです。山口百恵と原田真二が同い年です。イノシシ年です。猪突猛進です。

恋愛は、いつも直球勝負です。そして、玉砕します。たまには、勝つこともあります。そこは、株と一緒です。

昨日は、駿河台大学に行ってきました。前から疑問に思っていたのですが、駿河というのは、静岡県のイメージです。

♪旅~ゆけばぁ~・・・駿河の国にぃ~茶のかおりぃ~♪
これって、浪曲「清水次郎長伝」ですよね。だから、やっぱり、駿河は静岡ですよ。

それなのに、駿河台大学は、埼玉県飯能市にあります。飯能市にあるのに、駿河台とはこれ如何に?

まあ、余談はその辺にして、昨日は、思いがけず、駿河台大学の外国語プレゼン大会に行ってきました。

そんなところに、行く予定はなかったのです。ただ、贔屓にしている床屋が飯能市にあり、その1000円バーバーに行ったのです。QBカットだって、税込みで、1080円ですから、腕が良くてそれよりも安いのですね。

で、ここのおやじは大の競馬ファン。今は、浦和競馬が開催中とかで、明日は行くのだと息巻いていました。

まあ、それは良いとして、この床屋の並びに磯丸水産があり、床屋の後は、磯丸と決めています。それは、株主優待を使うためでもあります。

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僕の大好きなSFPダイニングの株主優待の出番です。ここで、マグロユッケ丼と、ランチ生ビールです。計1030円。優待で、1000円を支払い、現金で30円の支払いです。

実は、磯丸水産に行ったのは、10時45分で、「すいません、まだランチビールは提供できません」との一言で、飯能駅二階の、市役所の出張所で、広報を見ていたのですね。そこで、13時から、駿河台大学で、外国語プレゼン大会があるのを知り、俄然、行ってみたくなったのです。

僕は高卒、肉体労働者でしたから、キャンパスライフには憧れがあります。

磯丸水産でランチの後、西武飯能PePeの2階にある、スタバでコーヒー。その後、駿河台大学に行きました。

山の中のキャンパスですが、大学生が普通に歩いていました(当たり前か)。

13時から、14時15分までいましたが、途中で切り上げて、大学を後にしました。その後、入間市にある父の墓参りをし、イオンのスタバで、ワンモアコーヒーを飲みました。2杯目が108円で飲めますからね。

クラウドワークスの株主総会に参加

昨日は、恵比寿ガーデンプレイスタワー6階にある、クラウドワークス本社の会議室で行われた株主総会に参加してきました。

和光市で営団地下鉄1日券を買い、中目黒へ。中目黒から日比谷線に乗り換えて一つ目が恵比寿です。

まあしかし、早く家を出たので、中目黒駅前のスタバでコーヒー。ここは蔦谷とコラボしていて、Tポイントがたまります。僕のカードはハミングバードなので、この時期は毎年、一回ごとに、利用金額の1パーセントが、子供たちの進学支援に寄付されます。これはとても気分がいいものです。

さて、あらかじめ送られてきた資料などを見ながら、しばし経済のお勉強。

天気もいいし、まだ時間があるので、恵比寿まで歩くことにしました。ゆっくり歩いても、30分ほどです。

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この恵比寿ガーデンプレイスタワーの6階が、会場です。

社員の平均年齢が、29.8歳と若い。平均勤続年数も、1.2年と短い。社長の吉田さん、副社長の成田さん、みな若い。若いことはいいことだ、と思いました。

クラウドワークスの株は400株持っていたのですが、昨日までですでに200株を売却しているので、現在保有しているのは、200株です。

僕の前に座っていたおばあさんは、90歳だそうで、7000株を持っていると言っていました。「私は藤田さんのファンで」と言っていました。藤田さんとは、サイバーエージェントの創業者です。サイバーエージェントの株を大量保有しているそうです。

僕が楽しみにしていたのはオフィスツアーでした。これは株主を引き連れて、オフィス内を案内するイベントです。仕事中でしたが、100名ほどの社員が起立して迎え入れてくれました。

その後は昼食会です。各テーブルに、順番で取締役の社員が着席し、歓談しました。

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お土産は、お米でした。1キロですが、母と二人暮らしの僕には、何日分かの主食を賄える量です。

株主総会と懇親会に参加して、クラウドワークスの株は、無配ではありますが、もう少し持っていようと思いました。

その後銀座へ行き、母に頼まれていたスリムドカンを、斎藤一人さんの店で買い、その後、成増のミスドで、スーパーフライディの、無料ドーナッツを2個ゲット。

その足で、成増駅2階の、スタバでコーヒー。おきて破りの、スタバの席で、ミスドのドーナツを食べながらマイタンブラーでコーヒーを飲むという暴挙に出ました。

50を過ぎると、おばさんだけでなくおじさんもだいぶ図々しくなります。

露天風呂とマイナス2度と生ビール

今日は母を連れ、ホテルヘリテイジの四季の湯に行ってきました。

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平均すると年に4回ほど、読売新聞の販売所から、四季の湯の無料招待券をもらいます。ホテルヘリテイジは熊谷市にあるのですが、滑川町との境目あたりで、山の中にあります。

行く途中、花和楽の湯があります。花和楽の湯にもときどき行きますが、今日は通過です。

四季の湯は、温泉自体はいいのですが、入浴施設にたどり着くまでに、かなりの段差と距離があります。高齢の母を連れて行くときは、かなり気を使います。

内風呂と露天風呂に入った後は、水着を着て男女共有のエリアに行きました。ここには人口の滝が流れ落ちており、圧巻です。滝の下の広いぬる湯が好きなので、そこでプカプカ浮いていると、力が抜けて気持ちいいのです。

今日は内線で、電話をかけ、生ビールを運んでもらいました。一応湯の中で、飲めるようにお盆の上にのせてきてくれたのですが、体が温まっていたので、温泉から出て椅子に腰かけてビールを飲みました。

温度計を見ると、マイナス2度。陽が差しているので、温度計に違和感を感じるくらい寒くはありませんでした。


借金した金で宝くじを買うなんて

僕が数年前まで所属していたカルト教団、幸福の科学の信者で、借金した金で宝くじを買った人がいます。


彼はもう70歳を過ぎています。お金を宗教活動に使いすぎたため、家も売り払いました。それでもまだ、搾取され続けています。


本人は、信仰生活をしているつもりですが、壊れています。


ただ彼は、人間的にはいい人です。純粋で一本気で、強引ではありますが、リーダー的な人です。しかし、社会的には生活が破たんしています。破滅的な人生です。どこかで、そんな人生に酔っているようにも見えます。


彼くらいの高齢になってしまうと、もう、間違いに気づくことは難しく、また、人の意見を聞く耳を持ちません。その耳は、教祖大川隆法の言うことなら鵜吞みにするのですが、他の人の意見はききません。


その彼が借金してまで、宝くじを買ったと聞いたときは、付ける薬がないと思いました。

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彼の頭の中は、手に取るようにわかります。彼はすでに借金で首が回らないのですが、さらに借金を重ねて、一発逆転を狙ったのでしょう。

努力せずにお金が欲しいのです。しかし宝くじに当たるのは、絶望的な確率です。たとえ借金してまで多少多くの枚数を買ったとしても、絶望的な確率であることに変わりはありません。

カルト教団にはまる人の多くが、合理的な思考ができなくなります。別な言い方をすれば、もともと合理的な思考ができないから、カルトにハマるのだとも言えます。

おそらく彼は、御本尊の前に、買ってきた宝くじの束を置き、「主エル・カンターレよ」と祈ったに違いありません。これで大金を手にし、植福菩薩になろうとしたのかもしれません。

植福菩薩とは、1000万円以上のお布施をした人に与えらえる称号です。世間的には無価値ですが、幸福の科学というカルト教団内では、大変な名誉です。

結果的に、彼は当選することなく、借金だけが増えました。

また、年末ジャンボの季節がやってきました。彼は、また、絶望的な確率に、幻想を見るのかもしれません。

冬の旅

12月8,9,10の3日間、静岡に行ってきました。
初日は西伊豆町宇久須で泊まり、二日目は、土肥からフェリーで清水に行き、三保に泊まりました。

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写真は、黄金崎の馬の顔の形をした岩です。ちょうど、上に生えている松が、たてがみのように見えます。

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二日目、土肥港を、12時ちょうど発のフェリーです。
平日のため、席は余裕で空いていました。

二日目に行った三保の松原からは、残念ながら富士山は見えませんでした。
幸い2泊三日だったので、三日目に、再度浜辺に行き、富士山を見ることができました。

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雲が少しかかっていますが、富士山が見えました。

その後日本平に行き、清水インターからのんびりと帰りました。

高齢の母を連れた旅行のため、余裕のあるスケジュールでした。

時間を取りもどす季節

古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
 「学生期」(がくしょうき)
 「家住期」(かじゅうき)
 「林住期」(りんじゅうき)
 「遊行期」(ゆぎょうき)

 日本では初老とか老年と呼び、なんとなく暗い。
 近づいてくる死を待てというのだろうか。

 吉田兼好は次のように言った。
「死は前よりもきたらず」
 つまり、死は、前方から徐々に近づいてくるのではなく、

「かねてうしろに迫れり」
 背後からぽんと肩をたたかれ、不意に訪れるものだ。


 インドでは、「学生期」で学び、
       「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、
 
 人生のクライマックス「林住期」を迎える。

 人はみな生きるために働いている。
 でも、よく考えてみれば、生きることが目的で、働くことは手段であるはずだ。
 ところが、働き蜂の日本人は、働くことが目的となって、よりよく生きていない。

 家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きな仕事をして生涯を終えたい。
 一度、リセットしてみたらどうであろうか。

 人生80年。
 もっと、長生きになるかもしれない。

 と、すると

 「学生期」(がくしょうき) 0~24歳
 「家住期」(かじゅうき)  25~49歳
 「林住期」(りんじゅうき) 50~74歳
 「遊行期」(ゆぎょうき)  75~90歳

 人は生きるためにもエネルギーが必要だが、
 死ぬときもエネルギーが必要なのかもしれない。
 だからといって、生涯をなすべきこともなく、雑事に追われながら死にたくはないものだ。


 自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期が、だいたいこの林住期(りんじゅうき)にさしかかる人だと言われている。

 それまでは、あまりの忙しさに考える余裕もなかったに違いない。
 林住期にさしかかった人は、生活の足しにならないようなことを真剣に考えてみるのも悪くない。

 林住期は、時間を取りもどす季節だ。
 林住期は、人生におけるジャンプであり、離陸の季節でもある。
 これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプすることをお勧めする。

 林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だ。
 人脈、地脈を徐々に簡素化していこう。
 人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。

以上は、五木寛之の「林住期」からの引用ですが、50代の僕は、まさにその林住期に生きていることになります。

「林住期は、時間を取りもどす季節だ」というのが、まさに僕に当てはまっています。会社員時代は、生きるため、生活するために、やりたくもないこともやり、笑いたくもないところで笑い、合わせたくもない会話に合わせたりもしていました。大人の対応、というやつです。

しかし、今、会社組織という束縛から離れてみると、会社員時代は本質的ではなかったと改めて思います。ある程度は、自分というものを出すことができましたが、「場をわきまえ、空気を読む」という縛りからは、自由ではありませんでした。

もちろん会社員時代が無駄であったとは思っていません。長い通勤時間や、精神的にも物理的にも束縛の多い不自由な生活は、やはり経験しておいたほうが良いと思います。ただその時期が長すぎたり、あまりにも自分でものを考えることから遠ざかってしまうと、不自由なはずの会社員生活を辞めた後に、「こんなはずではなかった」と思う人も出てくるでしょう。

つらいとき、苦しいときというのは、そこから自由になりたい、逃れたいという気持ちが強いため、それ以外のことは小さく見えます。しかしそうした人が、いざ自由を手に入れてみると、その自由は、同時に、別な苦しみを与えることにもなりかねません。

人間とは、ことほど左様に厄介なものでもあるのです。

しかし同時に、ものは考えようで、宇宙に一つであるはずの自分も、世界に一つだけの花である自分も、無数の人間の一人であるがゆえに、かつても、そして今も、自分と同じようなことで悩んだり苦しんでいた人はいたし、今もまたいます。

ですから、自分にとって参考になる考え方を探し出し、そこに解を求めることが可能です。

まずは生きることの前提として、おひとり様であろうが家族があろうが、「一人であることに強くあるべき」です。一人である、とは、精神的なことだけではありません。経済的自立も含みます。


およそ人は、早晩、死ぬ運命にあり、その頸木からは逃れられません。それならば、死ぬまでの時間が全てです。その時間をいかに生きるかが、またすべてでもあります。

自分を偽らずに、生きていきたいものです。

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