介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2016年09月

1%の科学と99%の思いやり

昨日の日曜日、多摩湖畔に建つ掬水亭で、高校時代の同窓会がありました。恩師である先生も、すでに齢84歳とのことで、予定時間に到着せず、気をもみましたが、少し遅れて到着、何とか始めることができました。

この年、五十代も後半になってくると、クラス会の出席者も少なくなってきます。そういう僕も、前回は、24時間勤務明けと重なったため、二次会からの出席でした。

そのため、先生には会えず、二次会に出席してくれたクラスメイトと旧交を温めることはできましたが、一抹の寂しさはありました。後で気づいたことですが、一次会の終了間際にでも顔を出し、挨拶しておけばよかったと思いました。

今回は、最初からの出席で、その後二次会にも参加できたため、よかったと思います。

その同窓会の中で、入間市役所に勤める友人から教えてもらった情報がありました。それが、僕の父の終末在宅医療に関わってくれたS先生の講演に関するものでした。

昨日の同窓会でそれを知り、今夜、入間市健康福祉センターに行き、S先生ともお会いできただけでなく、講演も聞くことができました。

S先生は、若い頃に落研をやっていたこともあり、講演の構成、内容、話し方など、すべてにおいて、素晴らしいものでした。在宅医療に、使命感と情熱を持って取り組んでいることがよくわかりました。

すでに僕は、父の在宅医療のときの、S先生の仕事ぶりを身近に見ていたので、先生の使命感と情熱は、直接感じていましたが、講演という形で、スライドなどを用いながら話してくださったため、さらに、よくわかりました。

そのS先生の講演テーマが、「1%の科学と、99%の思いやり~寄り添い、ささえあう在宅医療~」でした。

僕は、父の在宅医療の経験を思いだしながら、先生の講演を聞いたので、一時間があっという間でした。非常に中身の濃い講演で、密度の濃い時間でした。

僕は出身は入間市ですが、今現在は、別の町に住んでいます。本来は、入間市民ではない僕が参加していいのかわかりませんでしたが、入間市役所に勤める友人の紹介もあり、参加させてもらいました。

何よりも、S先生に再会し、改めてお礼を言うことができて良かったです。

ときどき、寒々しい医療事故や事件などを、マスメディアを通し、知ることもありますが、父の場合は、素晴らしい先生に巡り会い、最後の時間を在宅医療という形で穏やかに過ごすことができたことは、本当に幸せだったと思います。

働くのもリスクなら、早期リタイアもリスクです

僕は、生きることそのものがリスクだと思っています。

僕は、経済的にはさほど裕福な家に生まれたわけではありません。しかし、一人息子として、おそらくは甘やかされて育てられたのだろうと思います。弟がいましたが、彼は生後すぐに死んでしまいました。

一人っ子は、家庭内で社会性を学べません。親が大事にしてくれるので、自分中心の世界観を持ちやすいのです。だから通常は自己評価は高い人が多いはずです。

自己評価は高くても、世の中に出たらただの人です。ボコボコにされます。まさに僕がそうでした。

凡人は、ボコボコにされてから学びます。賢者は、ボコボコにされる前に学びます。愚者は、ボコボコにされても学びません。懲りない面々というやつです。

僕は凡人なので、いちおうボコボコにされてから学びました。

会社にもボコボコにされましたし、カルト宗教にも、ボコボコにされました。

親の介護で、早期リタイアしましたが、会社員生活に限界が来ていたので、むしろリタイアは歓迎でした。

会社員生活は、精神的にも体調的にも、大変です。これは多くの人に同意してもらえると思います。

ストレスMAXで仕事を続けて体を壊した日には、元も子もありません。知人の中には、薬がないと眠れない人もいますが、家族のことを思うと会社を辞めるわけにはいかないと言います。

働いていることのリスクは、ずばり、ストレスです。過労死、ということもありますし、僕の以前の職場であれば、仕事中の事故、ですね。

ではリタイアしたらどうなるのか、ですが、これはこれで、リスクがあります。

まず、若い人ならともかく、中高年、特に僕のような50代後半では、再就職は、あったとしても、低賃金です。

仮に就職できたとしても、自分の子供ほどの上司に、「もたもたしてんじゃねえ」とか言われるかもしれません。

まあ僕は、罵倒されても結構受け流す力はあると思っていますが、気分のいいものではないでしょう。

まあそういうわけで、今は再就職はやめて、起業と言えばかっこいいですが、要するに自営業ですね。それを始めたわけですが、利益が出るのは1年後ということで、気の長い話ではあります。

(今回から、文の出だしの段落は落とさないことにします。一文字開けるのも手間ですからね。そういうわけで今後は少し書式が変わりますがマイナーチェンジなので許してください)

財布の中にいくらあれば安心なのでしょうか

 昨日は久しぶりに、川口に住む友人と池袋で落ち合い、飲みました。

 一件目は焼肉屋で、二件目はベトナム料理の店でした。

 池袋へと向かう東武東上線の車内で、僕はかつてマンションで一人暮らしをしていたときのことを思いだしていました。

 当時僕はカルト宗教に属していて、そちらへの出費が多かったのですが、同時にマンションのローンの繰り上げ返済も考えており、かなりの節約生活をしていました。

 当時の僕は、財布の中には現金は3000円以上入れないと決めていました。通常は、3000円もあれば十分だったのです。

 24時間勤務を終え、朝、仕事明けにリンガーハットで、チャンポンを食べながらビールを飲んでも、1000円でおつりが来ました。だから財布の中の3000円は、僕にとっては十分な金額でした。

 もちろん毎回リンガーハットに寄るわけではありません。まっすぐ帰ることのほうが多かったのですが、24時間勤務明けの解放感から、やよい軒やサブウェイ、松屋などで朝食を摂ることもよくありました。

 人と飲みに行くときは、1万円札を持っていくようにはしていましたが、それで足りなくなることはありませんでした。

 以前テレビで蛭子さんが言った、財布の中にないと不安な金額が数十万円だったことにびっくりしましたが、安心する金額というのは、人それぞれなのでしょう。

 財布と同様に、安心する預貯金の額というのも、人それぞれなのだと思います。

 月10万円ほどでやりくりするスキルがあれば、預貯金はそれほど多くなくても不安にはならないでしょう。

 一方、自炊もできず、外食に頼ったり、家の中のちょっとしたトラブルに対応する力がなければ、預貯金が多くなければ不安になるでしょう。

 外部依存を減らし、可能な限り自分の力で対応できるようになることが、誰においても、今後求められるスキルなのではないでしょうか。

消費癖のない人間にはリタイア生活は天国

  早期リタイアといっても僕の場合はわずかに3年ですが、「たかが3年、されど3年」です。

 どういうことかと言うと、以前にも少し書きましたが、往復4時間の通勤時間と24時間勤務という長時間勤務に、体と精神が悲鳴を上げていたからです。

 そのタイミングでの介護離職だったので、「介護離職ですか、大変ですね」と言われても、「いやあ、それほどでもないです」と、答えていました。

 事実、仕事に比べれば、介護は大変ではありませんでした。まあこれは人によるので、一般論ではありません。

 僕の場合は、父が我慢強い性格で、なおかつ淡々とした人だったので、介護に手を焼いたことはほとんどありません。体が痒いと言って、寝ているときにオムツを取ってしまい、シーツを濡らしたことが2度ほどありましたが、その程度です。

 ただ、死に至る間際には、一時的に急に元気になり、起き上がってわけのわからないことを言ったりしたことは何度かありました。それでも暴れることもなく、介護しやすい人でした。

 介護離職して4か月後に他界しましたが、もし僕が会社を辞めたくなかったのに離職していたなら、再就職の大変さなどから自分の境遇を嘆いたかもしれません。

 しかし僕の場合、こう言っては何ですが、介護離職は渡りに船でした。もういい加減仕事に疲れ切っていたので、やめられる条件が整っただけで、素直に喜んで会社を辞めました。

 介護離職というのは、会社を辞める理由としては申し分ありません。

 会社を辞めて4か月後に父が他界し、それからさらにまた4か月が過ぎようとしています。

 退職して8か月にもなると、早期リタイア生活も板についてきます。なんと言っても、毎日好きなだけ寝られるのが、リタイア生活の特権です。

 24時間勤務のときは、3,4時間の眠りの習慣が、体に染みついていて、休みの日でも連続して6,7時間眠ることはできませんでした。必ず、3時間か、長くても4時間ほどで目が覚めてしまうのです。

 今ではそうした習性も改善されました。

 そして今は、まだ利益は出ていませんが、好きな仕事をマイペースでやっています。マイペースだと、ストレスもほとんど感じません。

 早期リタイアといっても僕の場合はわずかに3年ですが、「たかが3年、されど3年」ですと冒頭で言いましたが、50代後半のこの3年は大きいと思っています。

 仕事能力には個人差がありますが、僕は、56歳を境にガクンと落ちた自覚があります。多少は危険を伴う仕事だったため、ケガや事故への心配も日に日に現実味を帯びてきた矢先でした。

 3年早く早期リタイアできたことは、天の恵みです。父のおかげでもあります。平日の昼間に、このようにブログなどを書いていられるのも、リタイアできたおかげです。

消費癖のない人間にはリタイア生活は天国です。

難平地獄からの脱出

 今日、クラウドワークスの株を100株売却しました。

 9月10日に、そのときの上限幅いっぱいの1120円で指値をしておいたものです。クラウドワークスは、9月9日にも、100株売却しています。このときは925円での約定でした。

 今回はそのときよりも100円近い高値での約定でした。

 9月5日に約定したアーレスティとクラウドワークスは、この1年ほど値を下げたまま持ち続けていた銘柄です。

 クラウドワークスも、アーレスティと同じく難平買いで、400株まで増やし、取得価格を721円にまで下げていました。最初に買った時が1000円以上でしたから、一度高値で買ってしまうと、難平買いをしなければ、取得単価は下げられません。

 しかしクラウドワークスの今年の最安値は、330円。これは上場来安値でもありました。2月12日に付けたこの安値のときは、難平地獄という言葉を思いだしたほどです。

 現物買いの良いところは、じっくり待つことができるところです。クラウドワークスが倒産しない限り、所有株がゼロになることはありません。

 今日の利益は、39000円です。

 クラウドワークスは、無配当で株主優待もありません。ですから、ただ所有しているだけでは何のリターンもありません。ひたすら、キャピタルゲインだけを狙った投資でした。

 時代に合った企業であるという読みがあったからです。しかしその読みも、怪しいものでした。

 今日はたまたま売れましたが、その後値を下げています。クラウドワークスは、まだ200株所有しているので、タイミングを見て売却するか、かつて大黒天物産で、取得価格の4倍で売却した経験を活かし、もう少し様子を見て、じっくりと長期保有にするか、まだ決めかねています。

 アーレスティとクラウドワークスは、難平買いが成功した例ですが、銘柄は伏せますが、難平買い後も値を落とし低迷している銘柄を所有しています。こちらは売るに売れず、まさに株初心者が、陥ると言われている損切りできない状況です。

 高校時代はよくマージャンをしましたが、少ない金額でも金をかけていたから、熱くなれました。株も同じです。

 300万円ほどをちまちまと運用していますが、身銭を切っているからこそ、興味を持ち、続けていられるのだと思います。

若い人たちにこそお金を回すべきです

 僕自身は、老齢の母との生活ですが、ただの一度も不満を感じたことがありません。

 一緒に暮らしている母は、僕が19歳のときに、僕の父のところに再婚相手として、板橋からやってきました。母の実家は高崎ですが、板橋の大山というところで、一人暮らしをしていたようです。

 当時の僕は、父の再婚を何の感慨もなく受け入れていました。もう少し若かったら、反発する気持ちもあったかもしれません。

 しかし僕は、家を出て一人暮らしをしたかったし、そのためには、父の再婚は僕にとっても悪い話ではありませんでした。

 僕は、大学には行かず、アルバイトを転々としてフリーターのようなことをして、35歳まで過ごしました。その間、合同結婚式で悪名高い、統一教会で、2年ほど専従生活をしています。

 35で、やっとまともな仕事に就いたのですが、時を同じくして幸福の科学というカルト宗教にはまり、両親も巻き込んでしまい、統一教会で、1000万円、幸福の科学に、1500万円ほどのお金を使ってしまいました。

 このことは、以前、別の記事で書いています。

      我が家の預貯金をお話しします  

 バカの見本のような人生を送ってきて、53歳で、カルト宗教幸福の科学を脱会。

 その後父の入院と介護で、当時住んでいたマンションを売り払い、実家を建て直して現在に至っています。父はこの5月に他界しましたが、僕自身は1月末に介護離職し(書類上は2月)、もうすぐ8か月になります。

 ずいぶんと散財しているのに、今もこうして普通に生きていけるのは、ぶっちゃけ、親の年金収入のおかげです。

 父の他界後は、母の年金と遺族年金になり、2か月に1度もらう年金収入はだいぶ減りましたが、それでも生活保護程度の収入は得ています。これは、いわば、不労所得です。

 この年金に助けられています。なぜなら、もし父が再婚していなければ、今一緒に暮らしている義理の母とは、親子関係にはなれなかったからです。

 義理の母の遺族年金で、僕は今、事実上生活させてもらっています。自宅で起業し、仕事はしていますが、今はまだ無収入です。僕自身は無収入にもかかわらず、飢えもせずに生きていられるのは母の年金のおかげです。

 一方、若い人たちの雇用環境は、僕が彼らの年代だったころに比べて、極めて厳しいと言わざるを得ません。消費が伸びないのは当たり前です。若い人たちの給料が安すぎるからです。

 若者が疲弊する社会は健全ではありません。このままでは日本は衰退します。

 

手取り25万円の過労と手取り13万円のジリ貧

「残業は月100時間ぐらいあったけど、残業代は出ました。なので、手取り25万円は超えていました」
 Tさんが、IT系の中小企業にいたときのことです。

「結局、残業代はたくさんもらっていたけど、長時間労働の過労で倒れて体調を崩しました。精神科では抗うつ神経症って診断されて、働けなくなりました。両親のいる実家に帰って、しばらく休んでから大学時代に取った図書館司書の資格を生かそうと図書館に勤めた。今と同じ嘱託職員で、手取りは12万円程度でした」

 図書館の嘱託職員は、5年で雇止めになるようです。

 上記のTさんは、その後実家を出て都内で働くようになります。手取りは、少し増えて13万円。

 手取り13万3442円で、家賃5万円のアパートでひとり暮らし。手取り給与から家賃を差し引くと、月8万3000円しか残りません。

「5年の契約が切れるとき、私は39歳です。すごく司書の仕事は好きで続けたいけど、またギリギリの生活から抜けられない覚悟をして、同じような非正規を渡り歩くか、またはほかに能力ないけど、もう少しまともな生活ができるような仕事をなんとか見つけるか。年齢もあるし、本当は将来がないなら今すぐちゃんとした仕事を探したほうがいい気もするし。悩みばかりです」

 単身で暮らす20~64歳の女性の3人に1人(32%)が貧困状態にある(国立社会保障・人口問題研究所)そうです。

 もしかしたら、実家に戻れない事情があるのかもしれませんが、Tさんは東京暮らしをやめるべきです。田舎で質素に暮らすのは、それほど大変ではありません。刺激も少ないですし、山や川に行くだけでも気晴らしになります。

 

ただ一人歩むことの平安

 原始仏教経典の中にある釈迦の詩を読んでいて、感じたことがあるので、記してみます。

「あらゆる生き物に対して暴力を加えることなく、あらゆる生き物のいずれも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め」

「交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」

「朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」

「林の中で縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め」

「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め」

「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め」

 愛情や親しみといった、一般的には良いとされるものでも、釈迦的には、「苦」になってしまうのでしょうか。

「何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく」というのはいいですね。このようにありたいものです。

「他人に従属しない独立自由を目指して」も、目指すところです。もう過去のことではありますが、長年カルト教団に搾取されていた身としては、身に染みる言葉です。

「子を欲するな、友を欲するな」というのは、何と強烈な言葉かと思います。

 数か月間、迷惑メールが止まらないアドレスを、閉じるに際し、何人かにメルアド変更のお知らせを出したのですが、いくつかは返事がありませんでした。自然に疎遠になっていくものは、成り行きに任せたほうがいいと思い、そのままにしてあります。

 僕は会社依存型の人間ではなかったので、会社以外での交友関係がそれなりにあるのですが、会社一辺倒の人は、退職すると同時に大半の人間関係が消滅してしまうらしいです。

 去る者は日日に疎しで、介護離職後は、11年間勤めたホテルでの人間関係も、一人を除いて希薄となりました。

 人はだれでも時に押し流され、バラバラになって、一人で死んでいきます。

 もともと一人で生まれてきたのですから、一人で死んでいくのは道理です。昔の中国の皇帝のように、自分が死ぬときに道連れを強要できる人は、今の時代ではいかなる権力者であってもいないでしょう。

 孤独を受け入れなければ、真実に向き合うことはできません。

 愛する人がいても、それが愛着となれば苦に転化します。愛する人や物に対しても、執着したら苦となります。しかし、執着のない人などいないでしょう。立派なことを言う宗教家が、実は最も執着が強かった例を何度も見てきました。

 執着が全くない人はいませんが、少ない人はいます。そうした人は市井の中でひっそりと暮らしています。誰に知られることもなく、自己顕示欲も少なく、静かにしています。

 そしてその静かさの中に、平安を感じているのかもしれません。


本日、また株を売りました

 今日は日経平均が、17000円を突破したせいか、僕の所有銘柄も、おおむね上昇していました。

 現在3つの銘柄を現物売りに出しているのですが、そのうちの一つの、アーレスティという銘柄が、今日、約定しました。

 アーレスティは、非鉄金属系の会社です。昨年の初夏だったでしょうか、1000円以上のときに買い、その後下がり続け、今年になって、難平買いを2回して、平均取得価格を819円まで下げて、値上がりを待っていました。

 指値は、996円。

 今日年初来高値で、ちょうど996円に届いたところで約定。その後はやや値を下げ、現在は、984円になっています。

 僕の指値のところまで上がってくれたわけです。100株売却での利益は、17000円ほどですが、ずっと塩漬けにしていた銘柄だけにうれしいものがあります。

 今日は、越生の黒山三滝で友人と待ち合わせをし、少し歩いて、山の中腹にある東屋のベンチで話を3時間ほどし、帰ってからログインしてみたら、約定していたわけです。

 現在売り注文を出しているほかの2銘柄は、まだ指値との乖離がかなりあるので、簡単には約定しないかもしれませんが、今後の展開次第ですね。

迷惑メールが止まらないアドレスを解約

 ネット生活のマイナス点の一つが、迷惑メールの存在ですね。

 長年使っていたOCNのメルアドが、6月ごろから迷惑メールが頻繁に送られてくるようになり、8月は、フィルターと言うのを掛けてもらっていたのですが、その無料期間も終えたので、解約しました。

 フィルターを掛ける前は、毎日深夜に、一つ一つ迷惑メールを削除していたのですが、一日に、100件を超えてくると、いい加減、その作業にあほらしさを感じます。

 そこで、少しずつ、メール受信が必要な相手先だけを選び、Gmailや、エキサイトメールなどに移行していきました。

 情報の海の中で生活していると、その取捨選択が大切になっていきますね。

 実際、OCNのメールを閉じてみて思うのは、いかに多くの、広告メールを受け取っていたかという事実です。何らかの商品をネットで買うと、その後も、メールが送られてくることが多いです。

 もちろん、メールは要らないと、意思表示することもできますが、それでも時々は送ってきたりしますね。商売ですから仕方がないのでしょう。

 長年使っていたメルアドなので、いずれかの業者から、情報が漏れ、悪徳業者が迷惑メールでトラップを仕掛けてきたのでしょう。

 一度、だまされてクリックしてしまいましたが、そのクリックが、今もそのメルアドが生きているというシグナルになってしまったのかもしれません。

 それで、迷惑メールは、増え続け、また減り、さらに増え、などを繰り返しているようでした。どこかの時点で、収まれば、解約まではしなかったのですが、3か月間、ついに迷惑メールがなくなることはなかったので、終了となりました。

 まあ、他にもメルアドはいくつかありますから、困ることはありません。
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