介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2016年03月

オムツがびっしょり

 今朝の父のオムツ交換の時、ズボンに触った時点で、濡れているのがわかりました。
 ありがたいことに、父は、自分で、多少は腰を上げることができるので、オムツ交換で、苦労したことはないのですが、今朝は、尿取りパッドがずれていて、尿が、オムツ全体に回り、さぞかし、お尻や腰回りなどが痒かっただろうと思います。

 母も多少は、交換を手伝ってくれるのですが、ちょうど、朝の連続ドラマ「朝が来た」が始まってしまい、いらいらし始めたので、そのあとは、僕一人で対応しました。
 本当は僕一人で全部できるのですが、母に、できることは手伝ってもらうことで、自覚を促しています。

 老老介護のことを、テレビや新聞などで見聞きするたびに、その大変さを想像してしまいます。
 

一階には一部屋しかないので

 朝の恒例行事、痰の吸引から始まって、顔や体拭き、オムツ交換、さらには胃瘻からの栄養補給のセッティングを終えて一段落したところなのですが、母が、寝不足を訴えていました。
 どうやら父が、夜中の3時ごろに、体のかゆみを訴えて、起こされてしまったようなのです。

 我が家は土地が30坪しかありません。100平米、ですね。
 その、広いとは言えない土地に、車3台分の駐車スペースを確保したので、必然的に、一階の建坪は少なくなります。一階にはお風呂場やトイレ、キッチンなど、生活するのに必要なスペースも要るので、居住用にまわせる空間は、さらに少なくなります。

 一階のダイニングキッチンは、14畳あるのですが、それは台所を含んでいますので、居住空間は十畳ほどになるかと思います。そこに、父のベッドが置いてあり、卓袱台を挟んだ位置に、母の寝床が敷いてあります。
 僕の寝室は二階にあるので、夜中に父が、何かを訴える最初の相手は、どうしても母になります。
 そうした理由から、母は時々寝不足を訴え、一階にもう一つ自分が落ち着ける部屋がほしいというのですが、それはできない相談です。
 母のストレスも理解できるので、なるべく週に一度くらいは、日帰り温泉に、連れて行くようにはしています。

オムツ交換の回数が変わるときもあります

 退院前に、病院の看護師さんから、オムツ交換の回数は一日4回と言われていたのですが、ときどき、3回になってしまう時があります。

 実は今日が、そうなりそうなのです。

 父の了解を受け、今日は母を、隣の市の日帰り入浴の温泉に連れて行ったのですが、僕は母を温泉施設で降ろし、マイカーを買った中古車センターで、月に一度の無料洗車に行き、その後介護のための備品などを買いに行くなど、いくつかの用事をこなしてから、母が先に入っている日帰り温泉に合流しました。

 合流後、僕に残された時間は40分でした。

 「日帰り入浴には2時間半から3時間は必要だ」、が、母の口癖です。
 母は、炭酸風呂というのが好きで、じんわり体の奥まで温まって、関節にもいいらしいです。

 僕は、母ほど、長い時間は必要とはしませんが、そうした施設で入浴する場合、のんびりと1時間くらいは、湯につかっていたいという気持ちはあります。
 しかし母との、1階ロビーでの、待ち合わせ時間までは、40分しかなかったので、シャンプーや髭剃りの時間も含めると、大好きな樽風呂で、のんびり青空を眺めながら、リラックスする時間は、そう長くはありませんでした。

 帰宅後、母も僕も疲れていて、少し仮眠したつもりが、存外にも長くなり、2回目のオムツ交換の時間を過ぎて眠りこけてしまったのです。

 慌てて、先ほど、交換したのですが、尿取りパッドには、たっぷりの尿が吸い込まれていました。
 父に謝りながら、先ほどオムツ交換をしましたが、今日だけでなく、様々な事情で、日に4回のオムツ交換が、3回になってしまうことがあります。


今日は、訪問看護の日でした

 今日、月曜日は、訪問看護の日でした。
 要介護5の父は、介護度が最も重いため、介護点数を最大限、利用することができます。ただし、同じ作業をしてもらうにも、介護度が重いほうが、金額は高くなります。それはそうですよね。介護度が重いほうが、それだけ、同じ作業をしても、手間がかかりますからね。

 ただ、僕の父の場合は、認知症でもなく、頭は極めて、しっかりしています。今、89歳ですが、頭だでなく、耳も達者です。では、なぜ、要介護5という、最も重い判定になったのか。
 それはおそらく、胃瘻を設置されていて、さらに、自分でトイレに行くことができず、必然的に、排せつは、オムツに頼らざるを得ないからだと思います。胃瘻とは、難しい字ですが、イロウと読みます。口から食べることができなくなった時に、やむを得ず、栄養を取る手段として、胃に、チューブのようなものを設置します。それが、胃瘻、ですね。
 僕が介護リタイアをすることになったのは、病院から退院を要請され、また、父自身も、自宅に帰りたいという気持ちが強かったためです。通勤時間や勤務時間の短い仕事であれば、仕事と介護の両立も可能だったかもしれませんが、往復4時間の通勤時間と、24時間勤務では、28時間、場合によっては30時間以上も、家を留守にすることになります。だからどうしても、仕事を続けることは不可能でした。
 胃瘻の栄養補給については、別の機会に述べますが、高齢の母がそれをするのは、なかなか大変です。一日に4回のオムツ交換も、容易ではありません。さらに、痰を取るための作業もあります。
 ここではすべてを書ききれませんが、おいおいそうしたことは、このブログにアップしていきたいと考えています。
 
 今日は、訪問の看護師の方が来てくれて、1時間、世話をしてくれました。
 次は、金曜日になります。
 訪問看護は、週二回、月曜日と、金曜日です。
 訪問看護と訪問介護は違うのですが、長くなるので、そうしたことは、また後日書いていきたいと思います。
 

リタイア生活の利点

 僕の場合は介護離職ということで、自発的リタイアではなく、成り行き上のリタイアということになるのですが、根が楽天的なので、サラリーマンとしての収入は入ってこなくなるが、なんとかなるだろう、と思っていましたし、今もそう思っています。

 今日、リタイアしてよかったなと思うことがあったので、そのことを書いてみます。

 実は今日、自治会の総会というのがあったのですが、それに、初めて出席することができました。
 リタイアするまで、僕はホテルに勤めていたのですが、24時間のローテイション勤務でした。通勤は、往復4時間。まさに通勤は、痛勤でもありました。一度出勤すると、通勤時間を含め、最低でも28時間は帰れません。ローテイション勤務は、曜日には関係がないため、必ずしも日曜が休みになるとは限りません。そして、これまで、僕が休みでない日曜日に、総会が開かれていました。だから参加することができなかったのですね。
 ところが今は、自ら好んでそうなったわけではありませんが、毎日が日曜日のようなものです。そして今日の日曜日、総会なるものに、初めて出席し、それまで言葉を交わしたこともなかった近所の人たちとも、多少、近しくなれました。近所づきあいというのは、一つ間違えると、ストレスになります。
 総会に出て、「ああ、自治会には、こういう人たちがいるんだ」、と、わかっただけでも、僕には、大きな収穫でした。
 リタイア生活の利点は、意外なところにあるものだ、と感じた良い一日でした。

レッツビギン

 定年まで数年を残し、この2月に介護離職しました。会社に行かない生活が、もうすぐ2か月になります。

 積極的リタイアであれば、「会社に行かなくてよい」生活という表現になるかと思いますが、僕の場合は、微妙です。3年前に、バリアフリー化のために、自宅を建て直したので、まだかなり住宅ローンが残っています。50代で組んだローンなので、返済は15年の変動金利ですが、まだ12年ほど残しての介護離職となりました。

 レッツビギン、とにかく何かを始めよう。

 これは、若いころに見た青春ドラマの、主役の先生が、口癖のように言っていた言葉なのですが、なぜかふと、それを思い出したので、僕も、この言葉から、見切り発車のつもりで、このブログを始めていきたいと思います。
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