昨日は、高崎に行ってきました。会ったことのない伯母の納骨があったためです。

僕の母は、義理の母のため、母とは血のつながりがありません。その母の姉の納骨です。会ったことがなく、告別式で写真を見、棺の蓋を開けて花を添えたときが最初にして最後の対面でした。

この伯母の娘が従姉ということになりますが、すでに60代。そして、母の唯一残る実家の兄が90歳で、高崎に住んでおり、3人の息子がいます。彼らとも、血のつながりはありませんが、3人は二人が50代一人が40代です。

さて、一人の従姉と3人の従兄弟たちは、いずれも東京の、しかも都心で働いています。誰も高崎には住んでいません。

お寺で49日法要をしたのち、高崎市内の墓地に行き、納骨をし、そのあと、寿司屋に行って食事会となりました。食事中に、いろいろと話があったのですが、基本的には僕は部外者のようなものです。

彼らと、共通の思い出がないため、そのような話になると蚊帳の外です。

ただ僕は、そうした疎外感には滅法強くできています。全く意に介さないどころか、楽しく彼らの話を聞くことができます。

さて、3人の従兄弟たちの長兄は、僕より年が一つほど下ですが、日興証券に、大学卒業後からずっと勤めています。その彼と、最近の株の値動きや、経済のことを話しました。

これは、ここでは書けませんが、なかなかに楽しい時間でした。

株式投資をしない人は、機会損失と言いますか、かなりの損をしています。ただ銀行に大切なお金を預けているだけでは、言葉は選ばなければなりませんが、富裕層に利用されるだけです。

彼らはタダ同然の安い金利で銀行からお金を引っ張り、レバレッジを効かせて儲けています。庶民は、ただでさえお金がないのに、安全だと思って利息のほとんどない銀行にお金を預けます。

まあ何というマネーリテラシーの低さでしょう。これでは、貧富の差は広がるばかりですが、仕方がありません。

僕は銀行には必要最低限のお金しか置いておきません。まあ、この話をすると長くなるのでやめますが、経済に強くならないと、本当に危ないです。これは自戒の意味でも、そう思います。

従兄弟たちの会話の中で、スーパーフライディの話題が出ました。すでに形骸化し、帰れる雰囲気ではないそうです。会社員の悲哀を、聞かされました。

僕はすでにリタイアしていますが、会社員時代の100倍は楽しい人生を生きています。