今日は雨の中、僕が一度も会ったことのない伯母の告別式と火葬場に行きました。

告別式の会場は昭島市。埼玉県民の僕にとっては、都内を走るのはあまり得意ではありません。道は同じなのですが、横田基地前とか、国道16号など、結構混むのです。

早めに家を出、11時に到着。身内だけとかいうことらしく、最初は僕も含めて7人で始まりました。

喪主は伯母の娘さんで、67歳だそうです。年よりも若く見え、ちょっと芸能人のような感じの人でした。香典も花代も要らないということで、すべての費用はこの娘さんが出したようです。

「40年以上別々に暮らしていて、何も親孝行をしていないので、せめて最後くらいは」みたいなことを言っていました。

伯母は、書道の先生の家に手伝いに入ってから、すっかりそこの家の人になったようで、実の娘との暮らしを拒否し続けていたようです。

その書道の先生が死んでからはその娘さんが先生となり、その娘さんと言っても、その人ももう80歳でしたが、今度はその人が先生となり、一緒に暮らしていたそうです。

その80歳の先生も、遅れて、やってきました。

さらにその先生の姪の夫婦と3人の娘が来て、姪夫婦は、40歳前後でしょうか、娘3人は、小学生二人と幼稚園児くらいでした。

その後、先導するクルマのあとについて、立川の火葬場に向かいました。

僕の車にはカーナビがないので、前の車を見失ったら、火葬場にたどり着けないのでは、と若干不安でしたが、何とか到着。

その後、火葬している間に食事を摂り、すべてが終わったのは、15時近くでした。

僕は、一緒に暮らしている母自身が義理の母で、伯母もその娘であるいとこも初対面で、初対面の人が多かったのですが、割とそういうのは平気なので、流れるように過ぎていった一日でした。

ただ、その伯母も、不思議な人生を生きた人だとは思いました。

書道の先生と一緒に来た姪夫婦の、その姪も、生まれてすぐ両親を亡くし、その伯母さん、つまり、こちらの伯母さんは書道の先生のほうですが、そこで育てられたそうです。

そしてそのときにはすでに、今日告別式をした伯母のほうも一緒に住んでいたわけで、お互いに家族のように感じていたそうです。

つまり、今日の喪主である、今日僕が初めて会ったいとこである67歳の娘のほうは、高齢になった母親を引き取ると言ったものの、断られたのは、書道の先生の家の中で血のつながりはないものの家族ができあがっていて、伯母にしてみれば、今更実の娘と暮らしてもつまらないというか、何と言うのでしょうか、いろいろな事情があったのでしょう。

ただ、書道の先生の家での暮らしは、本当に楽しいものだったようです。皆で旅行に行った写真なども見せてもらいましたが、今日来た3人の小学生と幼稚園の娘が、伯母からすれば曾孫のように見えたことでしょう。伯母は、93歳で息を引き取りましたが、良い人生だったのではないかと思います。

何だか複雑な話です。

複雑な人間関係が、僕自身も今もよくわからないのですが、とにかく、母にとってはいろいろな人に会えてよかったようでした。

立川の火葬場というのは国立に近く、南武線が走っていたので、僕は土地勘が全くありません。ナビがないので、帰りが不安でしたが、夕方の渋滞前に、家に着けたのは良かったです。