介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

もしも毒親だったら、野垂れ死にしていた可能性がある

今日は親の話。

父は、3年前に自宅でなくなり、母は、去年病院で亡くなりました。

そして僕の実母は、僕が16のときに、亡くなりました。

で、これは結果論ですが、失敗の多かった僕の人生で、親に恵まれたことだけは、ラッキーだったと思っています。世の中には毒親も多いと聞きますからね。

父は放任主義、母は、再婚でしたから、義理の息子に多少は遠慮していて、そのうち、実の親子のように何でも言い合えるようになったのですが、それでも、僕に対しては寛容だったと思います。

この、寛容、というのが、僕には、合っていたわけです。

無職の時期も長かったのですが、親が寛容であったから、野垂れ死にすることなく、気楽に生きてこれました。

で、そのような良い親であったから、介護も抵抗なくできましたし、最後まで幸せな親子関係でした。

これはひたすら、自分が親に恵まれていたから、こうなった話で、毒親だったら、僕のような根性なしは、野垂れ死にしていた可能性があると、今でも思っています。

そのくらい、若い頃、35歳までの僕は、職を転々としていましたからね。

飢え死にすることがなかったのは、親のおかげ以外の何物でもありません。

この人生で、もっとも魂修行しやすい親を選んで産まれてくるという話もありますが、僕の場合は、それをすんなり受け入れられますが、毒親に苦しんでいる人に、そんなことを言ったら、張り倒される可能性もあるし、お前に何がわかる、とか言われるでしょうね。

ぼくは、そうしたスピリチュアルな考えはある程度容認できますが、世の中には実にいろいろな人がいて、いろいろな人生を生きているので、あまりワンパターンな世界観と言うか、人生観を持つべきではない、というのが今の僕の立場です。

一つの世界観の中で安住するのは楽は楽なのですが、それだと、多様性というダイナミズムは失われますね。

たとえばクリスチャンの人には申し訳ないのですが、彼らを見ていると、世界観が狭いなあ、息苦しくないのかなあ、と思ってしまいます。特に聖書に固執しているバブテスト派などは、そう思います。

話が横にそれましたが、良い親に恵まれた僕はひたすらラッキーで、あとは、ゆるやかに僕自身が衰え、西行法師のように、桜の咲く時期にでも死ねたら、本望です。

おひとり様に広い敷地や家は不要と言うかむしろ残酷

僕の家の敷地は30坪。

場所も埼玉県中西部の田舎なので、土地の固定資産税は5000円ほど。

家のほうは、親の介護で建て替えたので、今年で築6年目。

以前住んでいた駅前マンションと違い、木造の家の利点は、固定資産税の下げが早いこと。

順調に、年々固定資産税が下がっています。

このまま下がり続けて、ゆくゆくは、以前住んでいたマンションの毎月の管理費修繕積立金程度にまで、下がってくれたら御の字。

持ち家の利点は、何と言っても住居費の低さ。

このアドバンテージは年を取るほど効いてきます。

ただ、一点注意すべきは、体力の衰えに伴う、植栽の管理と階段の上り下り。

マンションの良い点は、管理費を払っているので、その点は楽です。

僕の家は、2階建てなので、今はまだ大丈夫ですが、80を過ぎたら、階段の上り下りはきつくなるでしょうね。

bg_house


事実、去年亡くなった母も、滅多なことでは2階に上がってこなかったし、最後のほうは、階段を上ることもなかったですからね。

両親の介護を通して、自分の将来も、垣間見ることができたのは、良かった点です。

おひとり様には、広い敷地も広い家も不要です。

いやむしろ、負担になるというか、残酷でさえあります。

広い家に1人、なんて、想像しただけでも、寒い感じです。

こじんまりとしたタイニーハウスが良いんじゃね、と思う昨今です。

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