一昨日の14日、
飯能市のイタリアンレストランで、
4人での集まりがありました。
男3人女性一人。
男3人は、
昨年11月に、
飯能市の個室居酒屋で集まったメンツ。
今回は、そこに、一人女子が参加。
女子と言ってもクラスメイトなので、
60代ですけどね。
集まった理由の一つは、
2月の末に亡くなった友人の実家を訪ねる相談。
ワインを飲みながらいろいろと話したのですが、
この店のマスターは、
イタリアのナポリで修業したそうで、
ピザを焼く水色の窯が売りのようでした。
話に熱中して、
あまり写真を撮ることができず。
そして話の中で、
今回この店を選んだK君が、
特別支給の年金よりも失業手当のほうが多いため、
年金はもらっていないとのこと。
そんなこともあるのか、
と思いましたが、
あるようです。
彼は僕と同じ3月生まれですが、
28日に65歳になるため、
当然今は、
経過措置による厚生年金の特別支給分を、
貰う権利があるのですよ。
しかし、
失業保険と同時にはもらえないのだとか。
さて、
今度有志数人で、
その死んだ友人の実家を、
訪ねる段取りまでして、散会。
帰りも、
東飯能から帰宅し、
一度乗り換えて、
駅を降りて、
夜の散歩をしながら帰りました。
途中、
ラーメンを食べたい誘惑もありましたが、
中性脂肪が増えそうなのでやめました。
日々の暮らしに「楽しい」がないと、
人生から活気が失われていきます。
だから、
どんな状況にあっても、
その中から、
少しでも、
楽しい要素を見つけ出していくことが肝要かな、と。
昨日は、
近所のスーパー銭湯に免許証を見せ、
お風呂に入った後は、
誕生日サービスの生ビールで、
一人でお祝い。
人間は、
究極、
一人で生まれてきて、
一人で死んでいくのですから、
一人でも楽しく生きる工夫が必要です。
四面楚歌、という言葉があります。
これは、
四方が敵だらけの状況を表しています。
孤独な状況というのは、
自分だけが、
一人ポツンと取り残されている感覚です。
大なり小なり、
人は、
孤独を感じるように、
できています。
理由は、分離、にあります。
分離とは、
大いなる源からの分離です。
平たく言えば、
神からの分離です。
敬虔なクリスチャンが、
どんなに過酷な状況にあっても心に平安があるのは、
神を求め、
統合に向かおうとするからです。
僕は、
キリスト教は好きではないので、
クリスチャンではありません。
平安を得るのに、
クリスチャンである必要はありません。
神への祈りや平安は、
クリスチャンだけの特権ではないからです。
一人が寂しいときは、
その周波数を手放します。
手放して手放して、
向かう先は、
源の意識、です。
それを、
神と呼びたい人は、
呼んでも構いません。
自分がしっくりくる呼び方でいいのです。
シルバーバーチは、大霊、と呼んでいます。
その大霊や源の意識に、
より近い存在が、
ハイヤーセルフ、です。
そして、
そのハイヤーセルフは、
自分自身でもあります。
その、
より源の意識、
大霊、
神に、
より近い存在であるハイヤーセルフ(霊界にいる自分自身)と、
繋がることが、
最高にして最適な統合であり、
分離(孤独)からの脱却法です。
この事実に気づいた人は、
神社や教会に行く必要はありません。
パワースポットだと思って行った神社で、
不成仏霊に憑依されて、
より不幸になっていく人も、
いますからね。
触らぬ神に祟りなしとは、
よく言ったものです。
わけのわからないパワースポットに行くよりも、
自分の中にこそ、
神への道があるよね、
という話でした。
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