介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

咳をしても一人、死ぬときも一人



ムラサキさんとのコメントのやり取りを契機に、改めて孤独について考えてみました。

実は僕は、ときどき、息苦しいような孤独と虚無を感じることがあります。

そんな時は、人間存在、というものと向き合うとき。

死というゴールをもって無に帰す命ならば、 何をしても空しい、と。


これは、若い頃からある感覚で、だからこそ、仏教などにも興味を持ったのだと思います。

仏教の基本は諸行無常であり、常なるものはない、ものごとは絶えず変化する、というもの。

それは、虚無を感じる教えであると同時に、執着から離れることもできる教えでもあります。


浅く考えると、どうせ死というゴールがあるのだから、欲望のままに生きて、せめて生きているうちは快楽を貪ったほうが良いのではないか、ととらえる人もいますが、苦楽は表裏一体というのも、また仏教の教え。

まあ、仏教の話で終わってしまってはつまらないので、孤独について話を戻すと、孤独は克服するものではなく、上手く付き合うものではないか、と思うのです。

どう転んでも、人は孤独です。

ならばむしろその孤独を避けるのではなく、向き合ったほうが良い、と。

自分も孤独だけど、本当はすべての人が孤独である、と。

ただ、同時に、その孤独と向き合うことの先に、人類共通の意識、なるものがあるように思っています。

その意識を探求するのが、哲学であり、宗教なのかもしれません。


僕は、天涯孤独者として生きていて、深夜に寝床で咳をした時など、孤独の咳の音を聴きます。

そして思うのです。

俺は、あと何年生きるのだろう、と。

それは、数年かもしれず、10年かもしれず、30年かもしれませんが、

確かなことは、死に向かって日々生きているということ。

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僕は、程よい田舎町に住んでいるので、他人様の家が目に映りますが、ポツンと一軒家、などで見るような、山の中で年寄りが一人で住んでいる姿などを見るにつけ、自分にはああいう生活は無理だなあ、と思います。

あんまり過去記事をさかのぼるのも難しいのですが、今年になってから孤独について書いたものはあっただろうかと思い、探してみました。


僕が寂しさを感じた時のこと






上記の記事などは、孤独を書いたものかもしれません。

事程左様に、僕も、孤独です。

そして多分、これを読んでいる人も孤独なのかもしれません。

たぶん人類全員が孤独であり、

同時に何かでつながっている、

という感じでしょうか。

孤独だからこそ、小さな自分を何かに仮託して、

一体感を求めているのかもしれません。

今、オリンピックをやっていますが、日本が勝つと嬉しいことの一つは、

やはり自分のアイデンティティの一部分を、日本に仮託しているからでしょう。

戦争中の、靖国で会おう、という言葉も、この命は国のために捧げるが、

より大きなもののために散る命、だと思って死んで行ったのかもしれません。

僕は、3つの宗教団体を経験していますが、程度の違いこそあれ、

やはりその団体の教え、さらに言えばその教祖に、より上位の仮託先を見出し、

それを、信仰という言葉で糊塗して、安心していたのだと思います。

確かにそれは、一時的な安心を得られはしますが、

様々な矛盾や自家撞着には蓋をしたままの状態で、

真の安心立命ではありませんでした。


今は、特定の団体に属すとかいうことはなく、

宇宙意識とでも言うほかはない、法則によって統べる神、

まあ、それを神と呼べばの話ですが、

そのような存在としての神への信仰はあります。

シルバーバーチは、大霊と呼んでいますが、

法則としてこの全宇宙を統べる存在に言及しています。

シルババーチについては、スピリチュアルな話カテゴリーの中で、

かなり書き込んでありますので、参考にしてもらえれば幸いです。


おそらく僕が、何とか孤独と付き合っていけるのは、

今、親から貰った名前で生きているこの自分以上の、

より本質的な自分、自己は、この肉体の死後も不滅であり、

本来的な意味では死ぬことのない存在であることを、

信じている、

あるいは、

信じようとしているから、

なのかもしれません。


その必然として、この世は旅の途中であり、

主イエスの言葉、

「この世を旅する者であれ、この世のものとなるなかれ」が、

腑に落ちるのです。




長くなったので、今日はここまでとします。





モノを買ってもすぐに幻滅する理由



マルチ・リンガルの知識人、ジグムント・バウマンによれば、 

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消費者の消費能力を増大させるためには、

彼らに休息を与えてはならない


消費者を、
常に騒然としていて、

刺激が枯れない状態
と、

疑念と欲求不満の状態にとどめておくために、

絶えず新たな誘惑にさらす必要がある、

と、言います。


もう、すでに他界しているバウマンですが、

その著作物が示すものは、概ね的を射ています。


テレビを見ても、

ネットを見ても、

刺激だらけ。

刺激、刺激、刺激。

そして、常に、

他人との比較に晒されています。

比較、比較、比較。


そして、あの、「普通」という、

わけのわからない単語。

普通、という言葉で他者を操り、

自分も不自由になっていく。


そしてみんな、

普通になろうとして、

不幸になっていくというジレンマ。


静かに暮らしていれば、




消費から遠ざかることができるんですけど、ね。




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